裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

7日

日曜日

スコットドッコイ

 そんなこったから遭難するんだ。朝7時半起床。曇りで気圧が極めて不安定。ただしそれが肉体でなく神経にきている。落ち着こうと圓生の『品川心中』を聞く。何で落ち着こうというときに、と思われるかもしれないが、ちゃんと気分が平静に戻るのはさすが落語ファン。テレビをつけたら、なんと渡辺文雄の『遠くへ行きたい』が能登の旅で、さんなみが映っていたので急いでK子を呼ぶ。ご主人と奥さんが並んで、おなじみの広間で話をし、渡辺文雄はメカブのしゃぶしゃぶを食べて感心している。どうだ、うまいだろう、と、すでにその味を知っているものとしていばりたくなる。その後で、今度は娘夫婦のやっているイタリアン民宿『フラット』に行って、コンカ(粉糠)イワシのピザを食べていた。これは先を越された。悔しい、って渡辺文雄に嫉妬してもどうしようもないが。

 朝食、ホタテスパとオレンジ。読売新聞書評欄で文芸評論家の千石英世氏がこないだ私も時事通信社で書評した、木下直之氏の著書『世の途中から隠されていること〜近代日本の記憶』を書評している。さすがに内容をきちんと紹介し、さらに一歩そこから踏み込んで評論していて、際だった工夫はないが感心するに足る書評になっている。私の書評の方はちょっと著者の木下氏のことばかりに触れすぎて(ファンなものなので)、著者で本を選ばない読者には不親切なものになっていたかもしれない。そこらへん、反省。

 食後、キッチンの脇に積み上げられているグッズ類(ほとんどが原稿の図版用)を夫婦で整理する。まだネタになるものと、もう使わないものを分ける。使わないもののほとんどは、K子がナンビョーさんのところに送るのであろう。迷惑がっているんじゃないかと思うのだが。ナンビョーさんと言えば彼女のサイトの『三の腕』、マイナー宗教潜入レポートが面白い。信じやすい宗教というのはカルトにならない。マトモに考えて信じられるか、普通? というようなものにこそ、信じ込む快感はあり、それがカルトとなる。また人間というのは、どんなアホなことでも信じられる動物なのである。

 午前中は南原企画のマンガの原作をやり、K子にメール。それから、昼は冷蔵庫の中の釜揚げシラスをご飯に乗せて、シソのみじん切りと一緒に食べるシラス飯。腹ごしらえもして、さて、準備よし、と気力を奮い起こして書庫に入る。某原稿の資料にどうしても必要な本を、今日はこの書庫の本の山から探し出さねばならぬ。半日はかかるだろう、とふみ、思うだに面倒なのでこれまで延ばし延ばしにしてきた。疲れるしイラだつし、ずっとしゃがみっぱなしでいると腰や足が痛んでどうしようもない。いっそもう一冊買っちゃうか、と神保町回って探してみたのだがちと珍しい本なのでそううまくは見つからず、あきらめて今日の残りをこれに費やすことにし、さて、とまず第一書庫の方に入って、ここらから始めるかと、手近の本棚の前に立ち、目の前の棚を眺めたら、なんと、そこに、その探索本がちょこんとささっていた。数ヶ月前に棚の入れ替えを少ししたのだが、そのとき偶然に、ここに移動したらしい。うわ、と声をあげる。うれしいことはうれしいが、あれだけ覚悟して意気込んで入ったのにも関わらず、アッサリでもなくいきなり見つかってしまっては拍子抜けである。こういうこともある。今日はそれで時間が余ってしまったので、昨日からの不調もあり、マッサージ予約。

 天気はよし。散歩に出て、青山の方へ。買い物して、荷物が出来たので帰りはタクシー、と思ったら、いったい今日は何があるのか、青山から渋谷にかけて、えらい混み様。岸体育館の周囲はぐるりと自動車が取り巻いて、動くどころでない。NHKの方から回ってもらおうとしたが、そこらへんも一面の自動車の列。特に地下駐車場に入ろうとする車が曲がり角までギッシリという有様で、まったく身動きがとれず。青山から渋谷まで30分以上かかる。今日は渋谷で何かあるのか?

 帰宅、原稿書きすすまない。テレビを見ていたら加藤紘一の証人喚問関連のニュースで、衆議院議員・加藤精三の五男として生まれる、と経歴が出た。父が星一徹役の声優と同姓同名というのも初めて気がついたが、五男なのに紘一という名であるのもなにか不思議である。マッサージを新宿で一時間、受ける。今日は男性マッサージ師で、力でグイグイ揉んでくれる。帰って夕食の準備。豚とほうれん草の鍋と、生麩の青椒牛肉絲風炒め物。わっぱ飯は銀ダラの粕漬けで。LDで『謎のモルグ街』。もちろんポーの原作だが、いかにもハリウッド風通俗スリラーに仕立てあげている、その安っぽい味がいい。映像は安っぽいどころか金をかけていて、オールセットで19世紀のパリを再現しているのが、今の映画にない、何か舞台劇のような雰囲気。出演者はもちろんフランス人という設定だが、当然のごとくに全員英語をしゃべっている。『RUE MORGUE』、『BUREAU DES INSPECTEURS』と看板もフランス語で書かれているが、立入禁止の札には『FORBIDDEN TOTHE PUBLIC』と、いきなり英語。このわかりやすさ第一主義が当時の映画の基本で、誰もトヤコウ言う野暮天はいなかったのだろう。カール・マルデン演ずる怪博士が主役だが、一応の主人公は犯人と疑われる若い教授で、名前がデュパン。字幕ではみんなが彼のことをポア、ポアと読んでいる。豆(POIS)のことかと思っていたが、ふと気がついた。これはポー(POE)なのではないか。原作者の名と、原作の名探偵の名を合成してポー・デュパンという名(ひどい名だが)にして、そのポーをフランス読みでポアにしているんだろう。うーむ。そのポア教授を影薄く演じたスティーヴ・フォレストがゴールデン・ラズベリー主演賞をとった『愛と憎しみの伝説』が急に観たくなる。

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