裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

金曜日

甘党の諸君、久しぶりだねえ

 また会えてうれしいがそのクソ甘いパフェだけは勘弁してくれたまえ。朝7時半起床。ゆうべはクリクリからの帰りに体の予報のごとく雨。まだ今朝まで降ってるが、降ってしまえばいくらか楽になる。朝食はスープスパ。一応、テンション上げのため麻黄附子細辛湯をのむ。日記つけて風呂からあがったら、K子がハンコ持って郵便局へ行けと言う。還付金を受け取って来るのである。雨の中を傘さして行くが、窓口でちょっとゴタつく。係が何人も用紙をのぞきこんでああだこうだ。何か不備があったか、それとも犯罪に巻き込まれたか、と不安になる。五分くらい待たされた後、これはすでに銀行口座に振り込まれているらしい、ということがわかる。無駄足を踏んだわけだが、局員が見てもなかなかわからなかったのだから、こっちが見て、すぐわかるわけもない。まったくお役所仕事というやつはこれだから、と一般庶民的文句をぶつぶつつぶやきながら帰る。今年の還付金は全額修正申告に消える。母も今年で店を定年になるし、それを近々東京に迎えたりするのに金が要るのである。昨日買ったウルフルズのCDを聞く。『借金大王』がやはり一番印象に残る。“貸した金返せよ”というフレーズが頭にリフレインする。実際、私から借金している人たちが全員一度に金を返してくれたら、母を住まわすマンションの頭金くらいすぐ払えるのだ。

 ナンビョーさんから花籠が届く。K子の誕生日祝いである。私からのプレゼントは新刊の猟奇殺人実録本。今日は何が食べたい、と訊いたら、うーんと考えて道玄坂のサモワール、と答えた。以前、行ったロシア料理である。店の雰囲気委がレトロで気に入って、また来ようと思ってからもう二年もたつ。なぜそれきりになっているかというと、そこで食事をした翌日に、私は足を骨折して入院して、再訪どころではなくなってしまったからなのであった。と学会の気楽院さんから、勤め先が出版した本を贈っていただいた。これ以上謹厳な勤め先もちょっとない、というところだが、本は同性愛などがテーマになっており、裏っぽい私好みのところもある感じ。感謝。氏はこの本の校正を担当しているのであった。

 SFマガジン、海拓舎、アニメージュ魂、河出書房とやらねばならない原稿が山積しているが、午前中は例によって雑用でつぶれる。芝崎くんから久しぶりにメール。潮さんの夢を見たとやら。今度墓参りに連れていってください、とのこと。ライターのBさんからもメール。いろいろ大変らしい。仕事の話などいくつか。

 雨は昼過ぎにほぼ、やむ。外へ出て、今日晩に行く予定の道玄坂の方へと足を向ける。東急本店脇にある回転寿司『台所屋』の話を昨日自分でして自分で行きたくなったのである。途中で文化村の近くにあるリサイクルブックショップ『闘牛百貨書店』にも寄る。ここは以前にこの日記にも書いたが、チェーン店名がみんな人を食っていて、『キノコノクニヤ書店』『たらの芽書店』『本とうです』『あたた書店』『猫の手書店』『象のあし』などというのがある。今度新店舗が小岩に開店だそうで、店名は『どですか書店』。この曰く言い難いセンス、とても他人と思えない。

 台所屋は渋谷区回転寿司戦争で現在のところ、江戸一を抑えてナンバーワンの位地を獲得している店であるそうな。入ったのは一時ちょっと過ぎだったが、客はパラパラ。サーモン、エンガワ、びんとろなどをつまむ。注文どうぞ、というのでここの名物のクジラ、それとシャコを頼む。クジラは赤身でクセがなく(まあ、風味もそんなにないが)食べられる。一皿300円。アサリ汁も頼んだがこれはやたらしょっぱくて閉口。サーモンやエンガワは甘くてうまかったが、私はやはり江戸一派だな。この店の人気は安さに多くを負っているだろう。ランチサービス値段で、七皿と味噌汁で1060円。

 出て、近くの小じゃれた喫茶店でコーヒーを飲みながら、と学会誌用の本を書評用に再読。この本も今朝、どこへしまったかと思いつつ書庫に入ったら、すぐ目の前の山の中に発見した。他の本にしようかとも思ったが、ゲンがいいのでこの本に決定。帰宅、さてとリキを入れて河出書房新社の原稿を書き出す。本日、4時半からクレヨンしんちゃんの試写が入っているが、果たして書き上がるか?

 今回の河出は編集部からのお題は“澁澤龍彦と藤野一友”である。澁澤の二十代からの親友、国文学者藤野岩友の息子でシュールレアリズムの画家、二科展の鬼才と言われた彼が、実はSM雑誌で中川彩子という女性名で怪筆をふるっていた。この両者の間の関係性について書いてくれませんか、と編集部が私に電話をかけてきたときには、ふむ、ついに、という感じであった。実は私の古書コレクション中、最も古いもののひとつに中川彩子の画集がある。と、言っても椋陽児や山田彬弘ら十人との合同画集(SM緊縛画集)だが、中川彩子はその巻頭におかれ、点数も最も多く採られている。この中川のシュールで非日本的でどこか人をくったユーモアがある画風に魅せられたとき、私はまだ受験で上京したばかりの高校生だった。さて、それからこの画家の他の絵が見たい、と勢い込んで古書店めぐりが始まり、彼がイラストを描いている裏窓叢書の九十九十郎(千草忠夫)の『悪魔術の塔』だの、『風俗草紙』だの『奇譚クラブ』だのといったアブ雑誌類だのを買いあさり、結果、その系統の雑誌類のコレクションが私の書庫にたまりはじめ、ついにまっとうな古書類を追い出し始めるに至った。いわば中川彩子こそ、私の古書集めの原点、と言えるようなものなのだ。よくぞこの依頼が私のもとに来た、という感じで資料をどんどん投入して書き進める。

 結果、依頼の15枚という枚数を大幅に超過してしまい、かなり削って、それでも17枚になった。『クレしん』には間に合わず、次回に行くことにする。日頃の私の文章は読者の読みやすさ、ということを第一義に置いているのだが、どうせ澁澤の特集を買うようなどマニア相手、ええいとばかりに古書関係のデータや注釈などを詰め込んで、しかも主観バリバリ、読みやすさなどは二の次にする。かなり最近の私の原稿中では異色のものとなる。書き足し、訂正、つけ加えなどして完成は7時45分。ネットでもいろいろ資料読んだが、ちょっとガックリとなったのは『東大オタク学講義』の私の授業がネットの岡田さんのサイトにあるが、そこで私が中川彩子を“この女の人“と言っているようになっていること。あちゃあ。テープ起こしの際にそう聞こえていたのか、会話を切り張りしているうちにこうなったか。単行本でも見逃していたのは不覚。これでは私が中川彩子マニアでございなどと主張しても面目まるつぶれである。岡田さん、ここ、訂正しといてくれないかしら。

 8時ちょうどに、東急本店前でK子と待ち合わせ。道玄坂のロシア料理、『サモワール』に入る。渋谷で一番古い、戦前からやっているロシア料理店で、外観もツタがびっしりとからまり、風格がある。店自体はカウンターもあり、ちょっと見には喫茶店に見えるが。ここがうれしいのはロシア料理と言ってもグルジア、ウクライナ風の料理法でやってくれていることで、新宿の『チャイカ』がなくなって(?)以降、まさに貴重な店になっている。前菜は肉料理中心のものと魚料理中心のものがあるというので、魚料理の盛り合わせを頼み、あとウクライナ風ボルシチ、自家製ピロシキ、鮭の唐揚げにロシア風ローストチキン。グルジアワインに、私はストリチナヤのウオツカを食前に一杯。小さなジョッキ型のグラスに注いでくれるが、これがまことに上品な味で、のどに少しもさわらない。チェイサーの水がまったく必要ない。魚の前菜はスモークト・サーモンにスモークト・コッド、イクラとキャビア、ニシンのサワークリーム和え。他のものはどうでもいいが、ニシンの酢漬け。これを紀ノ国屋が置かなくなったため、このニシンに私が飢えていることと言ったらお話にならない。あっという間に胃袋におさまる。次からは盛り合わせなんかどうでもいいからニシンだけ一皿頼もう、と決意。

 その次が自家製のピロシキだが、この店に来たらこれだけは何を措いても食べておかねばならん。ピロシキというとあのコンビニで売ってるカレーパンみたいな揚げパンを連想する人がいるだろうが、ここのはまったく違う。ギョウザの皮の大きいようなもので挽肉を包み、粉をはたいてさらりと揚げている。さっくりと歯が通り、中の挽肉がほろほろと口中で崩れる。ユデタマゴのみじん切りで挽肉の味を濃すぎないよう調節しているところがまたいい。堪能。後はボルシチだが、スープの味はまことに上品ながら、ビーツにちょっと缶臭があったのは残念。鮭のフライとローストチキンはいかにも田舎料理らしい、おかったるい味わいで、そこがまたいい。とはいえ、満足感はどちらかというとコース前半にあった。

 この店、古いだけあって店内がどこか寒々としていて落ち着かない。あまり長居には向いていないところがある。グルジアワインの酔いにいい気持になって帰宅。河出の編集Aさんから、“まさに私の読みたいと思っていた原稿内容でした!”と留守電がある。この人も強度の澁澤オタクとみた。

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