裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

木曜日

週刊ホスト

 シャレ元の雑誌には関係ありません。朝7時半起き。朝食、サッポロビール園みやげのジャガイモとカール・レイモンさんのソーセージ。四代目水戸黄門が石坂浩二に決定とか。三代目の佐野浅夫は若い奥さん貰ったらしいが、それとこの交代との関係やいかに。政治面にある森田健作秘書の選挙違反逮捕とインパクトの強弱はどっちが上か? メール数本片付け、光文社ゲラチェック。帰省中の日記読み返したら、いつもよりずっと善人の日記になってやんの。大笑い。11時、どどいつ文庫伊藤さん来宅。オタクアミーゴスのネタになるようなビデオを頼んでおいたのを持ってきてくれる。他に死体マニアの同人誌とか、セックス一行知識の本とか。

 今日のタイトルがナニだからというわけではないが、週刊ポスト9/8号の『マンガの迷宮』、今週担当の大月隆寛の文章、ショッパナのツカミがすごい。“山本秀夫『殺し屋1』をほめる。”である。ここで改行。簡明直截というか、単刀直入というか、ミもフタもないというか。で、その後に、確かにほめた作品紹介が三五○字ほどあって、最後のマトメが、“マンガにとってエロがタブーだった時代はすでに遠く、暴力もまた野放しになっていく。「表現の自由」とはそういう必然だ。海外なら間違いなくR指定のシロモノだが、これが白昼堂々コンビニで買えるニッポンはほんとにろくなもんじゃない。だから、対峙するしかないのだ、この必然と。”の一三一文字(句読点含む)。

 この文章の示すところが正しいかどうか、は問題にしない。僅々五百三、四十文字のスペースの中で読者を驚かせ、作品内容を理解させ、作品のおかれた位置に評者の主張(この作品の存在意義)をからめてポン、と終わる。無駄な字句が一切ない。これは、短文批評の教科書とも言いたくなるような出来である。寡聞にして大月氏がこのような書評上の芸当を他の作品に対しても行い得ていたのか、ちょっと記憶にないのだが、この一文はまさに私をして感服せしめる出来だった。名作だからキミガタはこの作品を読まねばならぬ、私が傑作だと保証するから読みたまへ、というような高所大所からの押し付けとは無縁に、その作品と同時代を生きることを受け止め、作品に面と向かっている評者の意気がずっしりと伝わってきて、これなら読んでみたいものだ、という気につい、させる力がある。その熱意が冒頭の“山本秀夫『殺し屋1』をほめる。”の二行に凝縮されている。

 新宿に出ようとしたらいきなり雨が降りだし、スコールとなる。家賃をおろし、通帳を新しいのに替えようとするが、大混みで三○分ほどかかるという。預けておいて東中野まで行き、肉メン定食を大盛軒で食べてとって返してちょうど三○分。伊勢丹で買い物して帰る。帰るころには陽がカッと照りつける暑さ。

 で、家で窓外を見るとまた雨。すさまじい不安定。こういうときはアタマ使う本はダメだな、と思い、昭和三六年発行集英社少年少女物語文庫『猿飛佐助』『柳生旅日記』など読む。玉井徳太郎挿絵の佐助が少女と見まごう美少年に描かれている。このシリーズ、他の刊行目録を見ると、挿絵にスゴい人選をしていて、西遊記が式部本一郎、赤穂義士物語が石原豪人、水戸黄門漫遊記が小島剛夕。みなさん、いろんな仕事をされているんですなあ。

 雑誌いろいろ届く。週刊モーニング『風とマンダラ』、先日の八起の寄席のことがネタになっていて、私の顔も出てくるが、メガネも帽子も五年くらい前のもの。モデルにずいぶん古い写真を使ったね。裏々パティオの発言など読む。8時、K子と新宿すし処すがわらで夕食。白身がコチで、淡白ながらも噛むと滋味があふれる感じで美味。やたら可愛い(どう見ても未成年)韓国人のお姉ちゃんを連れてきていた金持ちそうなハゲのおじさん、韓国語でペラペラ話し、冗談まで言い合っている。とはいえあっちの人とはどこか感じが違う。寿司屋の親父にそう言ったら“キョッポ(在日)でしょ”と断定してたが、そうも見えなかったがなあ。久々にキョッポなんてコトバを聞いたので、家に帰って字を調べたら“僑胞”だった。華僑の僑に同胞の胞。なるほど、と感心。感心することもないか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa