裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

日曜日

フェミ人間

 女の子ばかりひいきにするので燃やされてしまいました。朝7時起き。『メモ男の部屋』の原稿印字してK子に渡し、朝食。トウモロコシとエダマメとカボチャの炒めもの、スイカ。新聞にE・H・エリック死去の報。ロイ・ジェームス、ジェリー伊藤と並ぶ、幼い私のガイジンさんのイメージを形づくった三人の一人だった。風呂入って、昨日の日記つけ、お台場の東京ビッグサイト。ワンフェス、トイフェス取材(兼買い物)である。

 事務局でオタキングYくん、フィギュア王Nくんに挨拶。ざっと回る。今回はあまりものを買うまいと思っていたのだが、昭和30年代の紙モノにいいものがあり、ついつい買ってしまう。店員さんから“渋いものがお好みですね”と声をかけられたので、“去年も同じことを言われました”と答える。後で知ったのだが、ここはうちの弟夫婦がよく資料などを買っているお店であった。

 松村さち子の歌う『とんでこいモスラ』のレコードを買う。この歌、ようするにあの“モスラーヤ、モスラ、ドンガカサクヤン、インドムー”に日本語の歌詞をつけたもので、子供のころ私はこの歌詞を映画館で一度聞いただけですっかり記憶し、もっぱらモスラの歌はこの日本語歌詞で歌っていた。ところがこの歌、かなりの怪獣オタクでも聞いたことある人が少なく、私もSF大会でベテランオタクの人に“そら唐沢さんが夢の中で聞いた曲だよ”などと言われてショックを受けたものである。その後存在は確認し、テープももらったりしたのだが、元レコードを初めて見たのでちと高かったが迷わず買う。これ買えただけで今日は価値があった。その後会場を二、三度回り、サイフの中の現金がスッカラカンになる。

 毎年このフェスティバルには海外特撮映画のコアな俳優さんのサイン会がある。去年は確かR2−D2のケニー・ベイカーだった。今年も小さい人がいたので、またベイカー氏かと思ったら、イウォーク族の魔術師の役をやったという、ナントカという人であった。うーむ。来年はルーク・スカイウォーカーが来るとか来ないとかいう話であるが。

 事務局でYくんと雑談。話聞くにつけ岡田さん、最近絶好調だよなあと思う。毎年ここの会場で食べるオリエンタルカレー食べて昼飯にし、さて帰るかと席を立つが、その前にどうしても、と思いさだめ、Yくんに現金二万円、貸してくれと頼んで、売り場へとって返し、『007/ゴールドフィンガー』のオッドジョブのパペット、というレアものを二万五千円(五千円は内ポケットにしのばせていたエマージェンシーマネー)で買う。そりゃ、高いとは思うよ。思うが、これを買わねばオトナになったかいがない。

 11時半、事務局の人に挨拶して引き上げる。通路でごぶさたの浦山明俊大人に出会った。取材だそうだ。立ち話でいきなり“今、ポリオのことを書いてて調べているんだけど、あれは夕張から広まったもんなんだねえ”などと日常会話から遊離したようなことをまくしたてるのがいかにも浦山明俊。妙齢の女性をご引率で、“このヒトは、タコヤ”というので、蛸谷さんという名前かと思ったら、凧を作る職人(凧屋) さんであった。

 そこからタクシーで後楽園。先日のマツダフィルムコレクション見学会の主催者の本間さんの肝煎りで行われている“漫画研究者交流会”。私はその前企画の平山亨氏のお話を聞く会に、司会兼ゲストで招かれている。遅れるかも知れないと本間氏には 伝えてあったが、後楽園内の涵徳亭という会場に、ちょっと迷ったが時間通りに到着 できた(後楽園の中にこんな建物があるとは知らなかった)。今回は、主に東映における、渡辺亮徳プロデューサーの役割の話をいろいろとうかがう。渡辺氏は営業畑のプロデューサーとして現場あがりの平山プロデューサーとは水と油の性格だったが、この二人のコンビネーションよろしきを得たことが、東映ヒーローものの黄金時代を作ったといっていいだろう。とにかく口の巧みな人で、平山さん曰く、
「実際に番組作っている自分が、渡辺さんの口からその番組の話を聞くと“へえ、面白そうだなあ!”と思ってしまうんだよ」
 という能力の人(ここらへん、岡田斗司夫にイメージが重なる)。おまけに無茶苦茶なハリキリ屋で、電話で三時のアポイントメントを入れているのを聞いて“亮徳さん、その日の午後三時はもう予定入ってますよ”と言うと、“午後じゃない、午前、午前三時!”と平気で言うような人物だったとか。テレビ局のお偉方を酒席で接待して、酔っ払った相手に“ね、水曜の七時台、一本入れさせていただけますよね?”と言って、相手が酒のイキオイで“あー、よしよし”とでも答えると、すぐその場で平 山さんに電話し、そのお偉方に聞こえるように大声で
「平山くんか? いま××さんがな、水曜の七時に一本、番組やらせてくれると“約束をしてくださった”から、明日十時、例の(もちろん、存在しない)企画書を持っ てすぐ局の方まで打ち合わせに行くように!」
 とやる。平山氏はすぐ、企画ストックの中からよさそうなのを選んでペラ十枚ぐらいの企画書をデッチあげ、翌日、朝駆けで面会にいく。二日酔いのそのお偉方、目の前の企画書を見て、“あー、そうですか、私、これ、昨日約束したですか”と顔をしかめながらも、そこは武士に二言は、で大抵ハンコを押してくれたという。

 この亮徳氏の能力がフルに発揮されたのが、『妖術武芸帳』がコケて打ち切りになり、後番の『柔道一直線』の製作を数カ月も早めなければならなくなった時で、とにかく、すぐにでも撮影を始めなければ間に合わない、という段階で、原作者の梶原一騎が首をタテにふらない。あれはもうアニメの方で某社にやらせると内諾してある、という。そこを亮徳氏、銀座での大接待を敢行して、ついに天下の梶原一騎から“わかった。全部お前にまかす!”の一言を踏んだくった。まさに東映テレビ製作部の命を救ったといって過言でないだろう。

 作品を語るとき、われわれはどうしても脚本家や監督、役者のことばかりを頭に浮かべがちである。しかしその裏で、銀座のネオン街というオタクとは無縁の場所における、このような駆け引きが、実は番組を作っていることも忘れてはいけない。
「俺はあの人の人格にはいろいろ問題があると思うが、しかしあの才能だけは認めないわけにいかない。仮面ライダーもキカイダーも、みんなあの人がテレビ局からワクをとってきてくれたからこそ、出来たものだ」
 という平山さんの渡辺亮徳評が、まさに戦友を語るという感じで印象深かった。

 そこまでが前半で、後半は『河童の三平』の金子吉延氏を交えての三者対談。赤影の坂口さんとはまだおつきあいしているんですか、と訊いたら、
「おとついも飲んだんだよー。携帯に留守録でメッセージが入ってるんだけどさ、それが“赤影、参上!”なんだよー」
 という話に笑った笑った。その後も潮健児さんの思い出ばなしなどに花が咲く。

 このあとの研究会にも出る予定だったが、仕事つまっているので辞去。内記館長、ハワイ出身のマンガ・大衆娯楽映画ファンの人と少し話。この人、日本のテレビドラマの歴史などにやたらくわしい。顔は完全な外人さんなのに、“吉田といいます”などと名乗るので拍子抜け。『星を喰った男』を絶賛してくれる。帰って原稿明日〆切分やる。7時半、パルコ上のしゃぶしゃぶ屋でK子と食事。昨日のおでん屋より総額で安かった。家に帰って10時過ぎ、就寝。

 おっと、忘れるところだった本日の読売新聞の書評欄、東浩紀氏の富沢ひとし『ミルクローゼット』評。期待していらっしゃる人もいるらしいので言及しておくけど、批評内容には立ち入らない。東氏がいかにこの作品を絶賛しようと異存はない。しかし、その絶賛が果たしてこの文章で本当に読者に伝わっているかというと、大いに疑問である。文末に曰く“マンガやSFに抵抗のある人々も含め、できるだけ多くの読者にその成果を自分の目で判断してもらいたいと思う”。この言が言葉の綾でないのなら、なにゆえにこの評者は、その成果なるものを具体的な指摘でなく、“傑出した想像力とすぐれた美意識”などという、読者(この評の)の好奇心を亳も刺激する可能性のない、おざなりな言葉で表現してすますんだろう。富沢作品の特長を“吾妻ひ でおを思わせる”“大友克洋を思わせる”などという、マンガマニアにしか通じない 比較で表現して、ことたれりとしてしまうんだろう。そんなモノイイで、果 たしてもともと“マンガやSFに抵抗のある人々”がこの評を自分たちに向けたものととり、その抵抗を超越して、富沢作品に手を延ばしてくれると思っているのだろうか。この文章から感じとれるのは脱力感にも似た、気の入らなさである。そこには富沢作品の魅力を知らない人に伝えたい、という意欲的表現がカケラもない。すべてが規格品の文章である(今回も他の本の評者たちの、書き出しにおけるさまざまな工夫は見事である。それらと比べてみるといい)。前にも言った筈だ。文章というものは、TPOに合わせたものでなくては用をなさないと。東氏の文章でさえあればどんなカスでもヨダレを流して渇仰する一部の(文章音痴な)現代思想ファンたち以外に、この批評が有用なものだとはまず、思えないのである。(東氏の文章に関しての指摘は7月の2、9、12日の各日の日記を参照)

Copyright 2006 Shunichi Karasawa