裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

木曜日

アパレルものは藁をもつかむ

 服飾業界はせっぱ詰まっているということ。朝5時に目が覚めてまた寝て結局8時起き。朝食、タラコスパゲッティ。またぞろ宗教がらみの猟奇事件。庭に穴を掘って“神様が呼吸をする穴”というのはなかなか円谷プロ的イメージの神様で凄いものがある。十字架とニンニクなんか吊るして、お前らはキリスト教か、というようなツッコミこそしたくなるものの、金がらみもなく、大の大人が周囲も巻き込まず、家族だけで狂信して揃って餓死したという、最近になく家族のキズナを感じさせる事件、と言えないか? 日記つけ、風呂入り、K子に弁当作る。

 11時半、早稲田大のYくん来。25分遅れて鶴岡。エンターブレインのNくん、電話があって、なんと渋谷で“迷った”とか。どこの田舎者だ、と大笑い。しかし、実は渋谷区役所と神南小学校に囲まれた一帯というのは、大きい建物にはさまれているので他に近くの目印がなく、遠くに見えるアムウェイとか公会堂とかを目標に歩いても、建物の形が四角でないため道をはばまれたりして、一度迷い込むとなかなか出 られない、魔の区域でもあるのだ。

 こないだの中華料理屋“暖中”で食事して、それから対談。『戦闘美少女の精神分析』におけるオタクへの取組み方の可否などを語る。それから話がオタク内的要因説と外的要因説の比較、マスコミ、アカデミズム等のオタク理論の根本的欠陥にまで話が及ぶ。鶴岡が話している最中に急に体をブルブルとふるわせはじめたので、寒いのか、と訊いたら、イエ、今インスピレーションがわいたんです、という。鶴岡法斎センセイのオタク=ヤドクガエル論は本が刊行されてからどうぞ。

 あたかも長いこと中断していた東浩紀氏の『戦闘美少女の精神分析』をめぐってのML討論が再開された(と、いうより全然発言がないのに業を煮やした東氏が再開をうながす発言をした)。まだほとんど本論に踏み込んでもいない段階なので論評は避けるが、ここで東氏が提示したのが“マンガやアニメにひとがセクシュアリティを感じるのはなぜなのか?”という、すさまじく根源的な問いである。問いの重要性は認めるとして、これはどう考えても、こういう形での討論に不向きな問題提示だろう。参加メンバーの資質などから考えても、細かな事例(主に自己体験)の羅列からなる迂遠さと論議の拡散が今から予想されてウンザリ、というのが素直な感想である(ここでこんな風に悪口的に書くのはその牽制の意味もある)。そもそも、斎藤氏が著書で“戦闘美少女”“ヘンリー・ダーガー”という補助線を引いた上でオタクを論じる形をとったのは、そういう論の拡散をふせぎ、茫漠としたオタクのイメージに明確な陰影をつけようという意図があったからに他あるまい。この著書の斬新さも著者の理論も、そのキーワードの投入の是非という点から評価がなされなければならない。この論議から始めようとせずに、いたずらにオタクの本質、セクシャリティの本質などという部分に踏み込んでいこうとするのならば、別に斎藤氏の著作をネタにする必要性などないわけだ。“公開”討論を活性化させ、聴衆(読者)の興味を引きつけるのに必要なのは、論議するポイントの絞り込みと、その具体的抽出である。今回の提言は斎藤氏に対して失礼なだけでなく、東氏の討論ナビゲーション能力の欠如を示しているもの、と取られる危険性をはらんでいるだろう。

 それやこれやと話が発展し、鶴岡がヤマトンや田村信にこだわるのも、私が貸本ゲテマンガなどを好んで取り上げるのも、膨大なオタク的文化において、スッキリとした理論構築を阻んでいる“ハイ・ストレンジネス”(ハルキ文庫『ボーダーランド』における著者マイク・ダッシュの用語)事例の収集なのではないか、というところま で至る。そこらで二人ともバテて残りは明日、ということに。

 4時、東武ホテルで待合せ、海拓舎Fくん。ルノアールで話すが、今日までに出来ているはずの原稿、まだ手つかずで、平あやまりで来週まで延ばしてもらう。出版業界のウワサばなし、今回の私の著書の書店回り等での評判など。いいか悪いかはわからぬが、注目のみは浴びているらしい。立川志加吾の話になる。彼の出現で落語ブームが再燃するかもしれない、と私が言うと、“でも落語下手ですよね”とFくんが言うので、“かつて、落語がうまい落語家によってブームが起きた例はない。三平のときも円楽のときもしかり。談志だって落語ではなく、笑点の司会やバラエティーへの出演で認められた。小朝のような中途半端なうまさは小朝個人の人気を高めるに過ぎず、結局“小朝に比べれば今の他の若手は”などと言われ、落語界は地盤沈下してしまった。落語に限らずひとつの業界が盛り上がるときに必要なのはバケモノなのだ。名人などというのはそのブームの押さえとしての役割しか実は果たしていない。志加吾はまだ半バケくらいだが、早く大バケモノになってもらいたい。

 青山まで散歩し、ABCで本をあさる。ちょっと買い物、の筈が二万円近くになってしまう。少しシメないといけない。帰ってネットなど回り、9時、夕食。牛タンとソーセージのポトフ、春雨炒め、自家製カツオ叩き。ビデオで『怪談番町皿屋敷』。美空ひばり主演。四五分という短さにも驚いたが、当時(昭和三一年)人気絶頂のひばりに、人を呪い殺す幽霊を演じさせるわけにいかず、青山主膳(東千代之介)が愛するお菊を斬り殺した罪悪感から自暴自棄になって町奴と斬り合いをして死に、幽霊となってお菊と再会する、というハッピーエンドになってしまっているのにも仰天する。お菊恋しさのあまり、主膳の魂はまだ死に切っていない体から抜け出たとみえ、幽霊同士が抱き合っている後ろで、すでに抜け殻となった主膳が井戸までズルズルと這いずっていく図も奇怪である。なんにせよ、“一枚、二枚・・・・・・”の皿数えシーンがない皿屋敷映画はこれだけだろう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa