裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

土曜日

夫はホモ

 朝5時ころ目が覚め、所在なさにネットサーフィンなど。もう一度ベッドに入り、7時45分ころ起床。朝食、スープとリンゴ、キャベツ煮ちょっと。きのう、連載している健康雑誌からチョコレートの巨大な詰合せセットという不健康なものが御歳暮に届き、今朝開けてみてK子大怒りの一幕。
「しかもゴディバでもないわ」

 今朝の読売新聞人生案内に、夫にホモだとカミングアウトされた妻の投稿がある。さすが現代らしく、そのこと自体にはあまりショックを受けず、“夫も肩の荷がおりたのでは”などと平静に受け止め、しかし“どうして私と結婚して子供までいるのか分かりません”ということで投稿してきたのである。これに対し大森一樹が、この相談者の態度を
「お手紙を読む限り、暗くなったり当たり散らしたりすることなく(中略)前向きで明るい姿勢なのには好感を持つと同時に女の強さを感じます」
 などと呑気に評している。逆ではないか。彼女にとって、夫が同性愛者であったという事実は、驚きや怒り、もしくは疑問の範疇を超えてしまい、現在この相談者は前向きどころか判断力停止の状態におちいっているように私には思える。

「相手が男性のせいか、しっと心がわかず、不思議に心穏やかです。ずっと苦しんでいた夫をかわいそうにも思います」
 という彼女の心理は、正常なものとは言えない。嫉妬心というのは相手が男だろうと動物だろうとゲームだろうと、愛する人が自分より愛するものを持てば対象が何であろうと、わくものである。彼女の問題は、夫がホモであったということにはなく、“じゃあ、そのホモ男と結婚して子供を作ってしまったワタシって、いったい何?”という部分にある。彼女はいま、重大なアイデンティティの危機に直面しており、この投稿の中で“同じ境遇の人”を求めているのも、“同性愛者の妻”という境遇同士の共同体の中で、そのアイデンティティ(人生の定位置)を再確保しようとしているのだ。アメリカなどで、そういった人々の団体がどんどん結成されているのは、一にも二にも、夫(もしくは妻)の世界から排除されてしまった、残された家族の定位置擁護のためなのである。いやしくも人生相談の回答者ならばここらあたりのところに踏み込まねばいかんだろう、大森監督。

 東急ハンズで買い物。昼は昨日寿司屋でもらったいなり寿司。結膜炎にいいかと思い消炎剤をのんだらボーッとしてしまい、寝転がって高橋晄正『自然食は安全か』など拾い読む。この本、データも充実しており、内容も示唆に富んでいるのだが、著者の、学生運動家あがりの理系の人独特の悪文と、妙に文学的感傷を漏らし、堀口星眠という、ほとんどの読者が知らない俳人(著者の友人で、水原秋桜子亡きあとの句界の主流だそうな)の句をやたら引用する悪癖で、非常に読み難いものになってしまっている。これまで数回、読み通そうとして読み通せないでいるのである。

 新聞の投書に刺激されたわけではないが、新宿二丁目にひさしぶりに行きたくなって、小雨パラつきはじめた中、出かける。ルミエールはじめ、ゲイショップを数軒回る。二丁目のお店というとホモ関係のビデオや写真集ばかりを置いてあると思うだろうが、実はニューヨークやロンドンといった街から、ゲイという共通点で文化が直に入ってくる店でもある。レインボーショップにスマートドラッグ系のものが並んでいた。資料にちょうど欲しかったところだったので3万円ほど買い込む。そのあと、伊勢丹クイーンズ・シェフで夕食の用意。

 9時、夕食。サトイモとサツマ揚げの煮物、冷やし中華風サラダ、鮭かやき。アニ13、14話。やはり制作スケジュール押してきたらしく、この回動画の使い回しや止め絵多し。それからビデオで片岡千恵蔵、大川橋蔵の『血槍無双』。俵星玄蕃もので、講談ネタ以上のものではないが、手堅く見せる。大河内伝次郎の大石がさすがのカンロク。師匠〜弟子への技能伝承によるアイデンティティ共同体構築の話、とも読めるが、あまりやるとナントカのひとつおぼえ。

 結膜炎、どうも左の目にも来そうで、はなはだユーウツである。

・今日のお料理「鮭かやき」
 かやき、とは“貝焼き”のなまったもので、以前はホタテの貝殻を鍋に使っていたらしい。要は簡便浜鍋である。鍋にダシをはって淡口醤油で吸い物よりちょっと濃いめくらいに味をつけ、キャベツの千切り、ナスの細切り、鮭(今回は生鮭を使ったがシャケカンでよろしい)を入れて煮、好みの煮え加減になったら引き上げて食べる。七味唐辛子をかけるとおいしいが、今回は沖縄の中笈木六氏からいただいたトウガラシニンニク酢で食べた。うまいうまい。

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