裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

金曜日

バン問題

 朝から寒い々々。一気に冬。風邪治ってから体調は肩凝り以外すこぶるよし。肩凝りは目の疲れからで、この仕事している限り逃れられない運命かなあ。

 K子の弁当作り、炒り卵とシューマイ。来年は料理本が出せそうである。自分もその残りで昼飯。3時までに冬コミ用『官能新聞』の原稿。こういうのはもう、いくらでも書ける。書き上げて編集の安達O氏にメール。

 昨日の記述ちゅうの“それにしても、バンで切っちゃいけねえだろう”がふと気になったので、ちょっと調べてみる。英和辞典によると、VONもしくはVANは貴族や豪族の、領地を指し示す語から来ている、とある。つまりタンバノカミとかコウズケノスケのノカミ、ノスケにあたるわけだ。それをそのまま固定化して姓にしたわけだから、本来、フォンもしくはバンは姓の一部で、切ってはいけないはずである。事実、バン・アレン(科学者)やバン・ビューレン(大統領)はアレン、ビューレンとは呼ばれないし、人名辞典でS・S・バン・ダイン(作家)やマックス・フォン・シドー(俳優)はVの項目にある。

 ところが、中にはVONやVANがついてるのにそれを省略して呼ばれている者もいて、これがややこしい。ノイマン関数のフォン・ノイマンは弘文堂の科学技術史事典でもNの項目のところに載っているし、リー・バン・クリーフ(俳優)はクリーフと、ビンセント・バン・ゴッホ(画家)はゴッホと、エリッヒ・フォン・シュトロハイム(俳優・映画監督)はシュトロハイムとたいていの本に記述してある。こういう人名記述の基準となるべき『岩波=ケンブリッジ世界人名辞典』を引いても、ヤン・ファン・アイク(画家)は多くの本にファン・アイクと書かれているにも関わらずアの項目にあり、ローレンス・バン・デル・ポスト(『戦場のメリー・クリスマス』原作者)やディック・バン・ダイク(俳優)はバ(ヴァ)の項目、とバラバラである。きちんとした基準はないものか?

 などとツマリモセンことを考えつつ、虎ノ門へ。虎ノ門ホールで『ゴジラ2000』の一般試写会。マスコミ試写会にてっきり呼ばれると思ってたらどこからもお誘いがなく(うぬぼれるもんじゃないねえ)、ライターの野沢義範氏から試写状譲ってもらって出かける。一時間前にもう、ホール前長蛇の列。裏モノのオデッサ氏が例によって軍用コート姿でいた。待つ間、寒くて往生。

 映画はこれだけ大仕掛けな設定にも関わらず、スケールが驚くほど小さい印象。まあ、役者陣の演技がイヤミなく見られるだけでもいいか、という感じ。特撮の迫力はすさまじいものがある。しかし、ストーリィのへなちょこさもまたすさまじいものがあるわな。日活アクション座談会でも言ったことだが、シリーズもの映画というのは基本的に折口信夫の“まれびと信仰”につながる祭祀の神事的役割を果たしている。ギター抱えたアキラも、高倉健も、寅さんも旧ゴジラも、世俗の民の住まう村落にふらりと訪れてきてもてなし(もてなしにもいろいろあるが)を受け、去っていく神様なのである。今回のゴジラは“去らない”。ガメラ3もそうだったが、現代人は神を受け入れはしても、その後に送り返すことを知らないのだな。

 特別出演の一人に、今この日記で話題の(笑)ベンガルがいた。“内田春菊に子供も作らせられなかった男”という感じだが、いや、実際に急に老け込んで、何か精気を吸いとられたヌケガラ、みたいな顔をしている。会場の一部分(だいたいどのあたりかはわかるが)から失笑が漏れていた。

 9時、K子と待ち合わせてソバ屋。一の蔵熱燗。タチウオ塩焼、ゲソ天、野沢菜など。あと、クルミソバ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa