裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

水曜日

南田ちょうだい

長門裕之の会見のこと。

※打ち合わせ延期、原稿書きのみ

夜中に目が覚め、判でおしたように台所に行ってウェルチの
グレープフルーツジュースを一杯。
それから二度目の寝入りまで読書。
恵贈いただいた青木正美『場末の子』(古書通信社)。
今でこそ寅さん映画で下町の代表みたいになってしまった
葛飾柴又だが、戦前は下町と言えば向島までで、その先の
葛飾など場末だった、と著者は言う。
それにしても、現在76歳(数え)の著者の15歳までの伝記
であるが、記憶の鮮明、細密なことに驚く。

4時過ぎまた寝入る。ストーン、という寝入りであり、
目が覚めたときは、“熟睡した!”という思いと、やや胸のあたり
が苦しくドキドキする感じが交錯する。

某季刊誌から次の原稿依頼。
もうそんな季節か、と。
こないだ依頼あったT誌のもそろそろ書き出さねば。

朝食は抜き。昼は例により母の室。
納豆、牛肉と小芋の煮付け、野沢菜。
仕事の件でのメールやりとり、何度か。
連絡の行き違いにやきもきしていたが、無事、ついた。
仕事内容というか成立事情が以前の某仕事に似ていて、何か懐しい感覚。
人間のモチベーションは変わらない。

アル・マルティーノ13日死去、82歳。
アル・マルティーノという名前は知らなくても、ジョニー・
フォンティーンと言えば思いだす人もいるのではあるまいか。
そう、映画『ゴッドファーザー』で、冒頭の結婚式シーンに登場、
女の子たちがキャーッと嬌声をあげる、あの、“どう見ても
シナトラがモデル”の歌手である。
ちなみに歌っているのもシナトラのヒット曲
『アイ・ハブ・バット・ワン・ハート』。
http://www.youtube.com/watch?v=M0YgfCXjzEo

その後の、マーロン・ブランドに出演映画(『地上(ここ)より
永遠に』)を降ろされちゃったよう、と泣きついてビンタをくらう
シーンがあまり上手かったので、たぶん、どこかの俳優が吹替えで
歌うように見せているんだろうと思っていたが、どうして、
本職バリバリ、それもヒットチャート一位を記録したこともある
人気歌手だったのだ。
あちらの素人さんはホント、あなどれないわ。

イタリア移民の子でレンガ職人だったが、テレビの新人発掘番組で
入賞、デビュー曲『ヒア・イン・マイ・ハート』が全英ヒット
チャート一位を記録(ちなみにこれが第一回の全英シングルヒット
チャートだったそうな)。
40年代末から80年代まで長い期間、派手ではないが安定した
人気を保った歌手だった。

もちろん、後半生は『ゴッドファーザー』シリーズへの出演という
金看板で、大いに稼いだようである。
http://www.youtube.com/watch?v=pgpgK32dx0I
↑マルティーノの歌う『ゴッドファーザー・愛のテーマ』。
ご冥福を。

2時からの某社打ち合わせ、日延べ。これで3度目で、
最初は向うの都合、2回目はこっちの都合、今回は向うの。
とはいえまるで準備出来ていないので日延べがかえって
ありがたい。

何となく身体がだるい。テンションがぐんとあがりかけて
いるのについていかない感じ。
原稿メモ書きと担当Y氏へのメール、書いては消し書いては消し。

テレビをつけると南田洋子が亡くなっていた。
不謹慎だが最初に頭に浮かんだのは嘉門達夫の
「♪南田洋子は長門の嫁さん〜」
という替え歌。

覚悟はしていたけど、“元女優”とネットニュースなどで
書かれるのはやはり寂しい。一時マスコミでは長門裕之と彼女を
“理想の夫婦”扱いしていたけど、その実、夫は浮気、事業の失敗
などで、妻は家の新築マニアや競馬好きなどで、金にはかなり
苦労していたのだと思う。昭和末期頃、やたらめったら夫婦で
CMなどに出まくっていた時期があり、見ていて
「あ、何かお金がいるんだな」
ということがすぐにわかった。普通、自分たちの商品価値を
大事にすればあんなに露出できるものじゃない。

とはいえ、女優としてはそういうところが演技にも出て、
はかなげな表情や容姿でいながら、実に思い切りのいい芝居を
していた。
『幕末太陽傳』で見せた左幸子との大ゲンカの凄まじさは
日本映画史上に残るキャットファイト(笑)だろうし、
石井輝男の『ならず者』での血の吐き方のインパクトは
これまたものすごかった。

珍しいところでは大林宣彦の『HOUSE』の、化物屋敷の化身と
いうか正体というか主というか、の主人公の伯母。
まだ若々しかった三浦友和を愛人にしている(テレビ『赤い衝撃』
で南田と三浦は親子役で共演)という、若い女の子にとって
“あこがれ”のおばさま、だった。さすが大林、南田洋子の、
一見良妻賢母に見える容姿の底にある魔性を感じ取っていたのかも
しれない(作品は冗談みたいなもんだったが)。

できればもう少し映画での代表作を残して欲しかったところだが、
義父(『百萬両の壺』の沢村国太郎)の介護もあって長期ロケ
などには行けなかったのだろう。晩年の、認知症になった彼女の
介護の様子をやたらテレビなどに露出させる長門の姿勢は、
あまり好意を以て見てられなかった。

とはいえ、幸せ不幸せなどというのはしょせん他人の評価。
ご本人の気持ちなど、誰にもわからない。
ご苦労様、と言うだけが今のわれわれに出来る唯一のこと。
本当に、ご苦労様でありました。

夜、いいかげん放擲して酒。
国産豚タン茹でて、“飯田のねぎだれ”がビン入りで売っていたので
それで食べてみる。思ったより酸味が強いのだな。
ルナの昔のDVD見ながら。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa