裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

水曜日

ファインディング・ナモ

「わしの息子が姿を消しよったでさがさんとならんでナモ」

※一日ダラダラ

9時半、きちんと起床するが、もう少し休もうと思って
10時半にしてもらい、一時間寝る。
11時、朝食。
母が過敏症かと思うくらい、私の声を“怒っている”と
取り、少し気まずい状態になる。一週間舞台公演を続けていれば
必然的に声も大きくなる。

舞台公演の後の脱力感も、なかなか味のあるもの。
今日は一日、mixiでもいじりながら、のんびりしよう、とは
思うが、例の件などであちこちにフォロー入れねばならなくなり
そうもいかず。

舞台やっている間に訃報いくつも。
とりあえず、このお三方。

『モチモチの木』『ベロ出しチョンマ』など、斎藤隆介の
絵本に切り絵の挿絵をつけて名コンビであった滝平二郎氏が
16日、がんで死去、88歳。

斎藤隆介の絵本を初めて読んだのは小学三年のときの『八郎』である。
山をかついで海に沈み、村を水害から守る巨人と
いうイメージの壮大さには感動したが、自分の巨大さが、
その身体を海に沈め死ぬことによって村人を救うためのもの
だった、と知った八郎が、何の疑問もなく海の方へと歩き出す
自己犠牲精神の壮烈なことに、いささかの戦慄を子供心に覚えた
ことも確かである。

そして私の世代のトラウマ本になっている『ベロ出しチョンマ』。
小学校の4年生のときだったか、給食時間の学校放送で、
この話が宇野重吉によって朗読されたものが流れ、何が悲しうて
こんな陰惨な話を給食時間に聞かねばならんのか、と理不尽に
思い、絵本の方も読んではみたが、どうにも社会派的なテーマが
鼻について(作者の斎藤隆介自身はこれは社会派の作品ではない、
と言っているがどう読んでも社会派童話である)、何か辟易した。
当時の担任がこの二人のことを“共産党員だからエラい”みたい
なことを言ったこともあって、なおさらイヤになった。
それ以来、斎藤隆介の絵本も、それに必ずついている
滝平二郎の切り絵も、手に取るのをためらうようになってしまった。

その後10年近くたってからやっと読んだのが『モチモチの木』で、
これも弱虫の子供が爺ちゃんを救うため、一世一代の勇気を振り絞る
話だが、先の二作にない、どこか牧歌的なユーモアがただよい、
オチもよろしく、ああ、これを先に読んでおけばよかった、と
後悔したものである。表紙の切り絵も、孫をいつくしんで頭を撫でて
いる祖父と、撫でられながらもおどおどした目線を横に走らせて
いる子供の対比が出ていて、好感が持てる。

滝平氏の方は相変わらず、憲法9条を守る『九条の会』などに
名を連ねていたが、もうその頃には、作者本人と作品は別、と
割り切るくらいにオトナにはなっていたので、気にもならなかった。
今、滝平氏の切り絵からこちらに伝わってくるのは強烈なノスタルジア
であり、残虐な封建主義に農民・労働者が支配されていた筈の、
『ベロ出しチョンマ』の時代への郷愁である。自らの作品の持つ力
とはいえ、滝平氏はそういうイメージの皮肉をどう思っていただろうか。
ともあれ、ご冥福をお祈りする。あ、科学的社会主義を標榜する
共産党員として、滝平氏は宗教を信じておられたのだろうか?

さらに17日、元NHKアナウンサーの頼近キャサリン美津子、
喉頭ガンの治療中の心不全により死去、53歳。
キャサリンと言う名は日系二世の父親が、”もし自分の娘が将来外人と
つきあうと、そいつは外人のことだから勝手に娘に愛称をつけて呼ぶだろう。
私以外の人間が美津子を好きに呼ぶなんて許せない“、という理由で、
最初から呼称を固定すべくつけたミドルネームだそうだ。
ずいぶんと先読みをする父親であるが、残念ながら娘のその後の人生まで
先読みして守ってやることは出来なかった。

NHK『テレビファソラシド』で永六輔が、NHKの新旧女子アナ
の“新”の方として売り出した人(ちなみに“旧”の代表は加賀美幸子
だった)である。NHKの権化みたいな加賀美アナの完璧なしゃべりと
対比されることで頼近アナのたどたどしさがより目立ってしまった
のだが、その弱点が視聴者に“萌え”(まだそんな言葉は無かったが)
を感じさせ、またそのタレ目がNHKらしい冷たさを消し、
「可愛ければアナウンサーがしゃべりが下手でもいいじゃないか」
というコペルニクス的転換を視聴者にもたらした。
まさに、司会・企画の永六輔が目論んだ“NHK的なもの”への
反抗が当たった形であったが、ことは永氏の目論見を大きく超え、
テレビという視覚メディアの持つ特性(視覚的価値観が何より重視
される)につながり、それはやがて日本文化の価値観そのものを変貌
させるにまで至った、と私は認識している。やがてそのテレビ的価値観
をかかげて一大旋風を巻き起こすフジテレビの御曹司、鹿内春雄氏が、
彼女を見初め、妻としたのも故無きことではなかったのである。

しかし、その後の彼女の人生はどう考えても不幸なものだった。
1981年(まだ『テレビファソラシド』の放送中)にフジテレビに
移籍、記憶に残る仕事もそれほどせぬうちに鹿内春雄氏と結婚、
フジを退社して家庭に入るが結婚生活はたった4年、春雄氏の急死で
未亡人になる。その後はクラシック音楽普及の仕事や、何を思ったか
お市の方役で大河ドラマに出たりしたが、結局、この人の人生は
『テレビファソラシド』出演と、フジ移籍のあった20代後半の数年
で華を使い切ってしまった感がある。死去報道の直後、ちょっと
ネットで自殺説が広まったのも、彼女の後半の人生にどうしても
不幸の影が強く感じられたからに他ならない。

何はともあれ、若き日の私のあこがれの美女のひとりではあった。
美人薄命を地で行ったその一生に哀悼の意を表したい。

そしてドラゴン太田竜氏、腹膜炎にて19日死去、78歳。

いろいろなカタガキを持った人だったが、取りまとめていうと
“アジテーター”だったのだろう。共産党員から極左への転向、
北海道でアイヌ革命論を唱えて爆弾テロなどを起し(アイヌ民族たち
は迷惑極まりないと怒っていたが)その後自然食運動に興味を移し、
やがて『日本みどりの党』を立ち上げてエコロジー運動のさきがけ
みたいなことをしたが過激ぶりは変わらず、家畜制度全廃を主張し、
肉食はするなと唱え、さらには人類独裁を廃し万類共存せよ、
みみずやおけらやゴキブリの権利を認めよと凄まじいことを言い出し、
その思想のよりどころとして日本神道を絶賛し、その日本精神を
破壊しようとする元凶としてユダヤ・フリーメイソンを槍玉に
あげ、それではパンチが足りないと思ったか、なんとその裏側に
爬虫類人(レプティリアン)なるスタートレックみたいな存在を
デーヴィッド・アイクの著作から引き、人類に危機を呼びかけていた。

生涯一トンデモ、というイメージがあるが、もともと共産主義に
入ったあたりで、戦時中に堂々とそれを主張してクラスでリンチに
あったという体験から、
「体制に反逆することを主張する」
快感に目覚めてしまったのではないかと思う。
陰謀論というのは、世間一般の大衆を
「陰謀に気付きもしないバカ」
と決めつけられる、極めて快感度の高い主張なのである。
そして、その快感度は己れの主張が孤高であればあるほど高まる。
反米くらいだったら信じる人間も多いだろうが、反爬虫類人と
なると、いくら陰謀論好きであってもちょっとついていけず、
太田氏はそれを唱えている限り知的開明者の先頭に立てるのである。
あの、われわれから見れば充分にトンデモであるベンジャミン・
フルフォード氏(太田氏と共著もある)さえ、太田氏の突出には
ついていけず、太田氏から“イルミナティの走狗”と断じられて
しまった。

太田氏が晩年に出版したユダヤ・フリーメイソン弾劾の金太郎飴
みたいな毎度々々同じの論考である書籍を読み、
「これらはみな、世界を支配しようとする悪魔教(フリーメイソン)
の陰謀なのである」
というフレーズが出てくるたびに、そんな、世界一の大国アメリカの
大統領までをも(オバマももちろん悪魔教の一員として弾劾されている)
支配している強大な組織が、なぜいまだに世界を支配できていないのか、
気になって仕方がなかった。まあ、太田氏に言わせればそれは悪魔の
西欧文明に抵抗できる唯一の日本縄文神道がこの世にあるから、と
いうことなのだろうが、太田氏自身言う通り今現代の日本人は西欧文明
とその象徴の家畜制度に骨の髄まで毒されているのだから、
いくらなんでももう征服されて、滅亡させられていてもいいのでは
ないのか、そのチャンスはいくらもあったのではないのか、と
思うのである。

ご本人に実際に会うと、極めて温厚な紳士であったということだが、
ペンやマイクを握ると別人格にスイッチングしてしまうらしかった。
言っていることのトンデモさは別にすれば、思想家として、生涯変わらず
体制、常識、事なかれ的主義に反抗の態度を示し続けたということは
賞賛に値する。ここらは奇しくも日を近くして亡くなった
忌野清志郎氏のロッカー精神に似ているかもしれない。彼も
太田氏と同じく西洋医学を嫌い、マクロビオティックでガンと
戦おうとして結局ガン死を遂げた。これに批判的な週刊新潮の記事
でさえも、その行動そのものはロッカーにふさわしい、と賞賛して
いる。太田竜氏もまさに、思想界のロケンローラーであったのだろう。

そう言えば頼近美智子氏の不幸の要因となったのは先にも述べた
春雄氏の急死だが、その裏には、姑の鹿内英子が西洋医学を嫌い、
祈祷や漢方だけで息子の病気(B型肝炎)を直そうとしたためと
いう理由があった。忌野清志郎といい太田竜といい、何やらその
死に一本、奇妙な糸がつながっているような気がする。

三者三様、私の人生に少なからぬ印象を残して去っていった。
逝く人は帰らず、ただ縹渺として風の吹き行くばかり。合掌。

アスペクトから森卓也『アニメーションのギャグ世界(定本)』
届く。テックス・アヴェリーが“エイヴリー”表記になっているのは
寂しいが、森先生独特の饒舌な文章がひたすら懐かしい。
知らず知らずのうちに自分もこの書き方に影響を受け、また
反発もしてきた。しかいs,反発しようとなんだろうと、この時代に
これだけのアニメを見ている、ということに驚嘆してしまう。
今のように海外からアニメのDVDがクリック一回で買えてしまう、
いや、買わなくてもほとんどのアニメがYouTubeで見られてしまう
ような時代に生きている人にはわからないだろうが、ほんのちょっと前まで、
アートアニメ作品など、まず一般に目にする機会などほとんどなかった。
たった一本の未見の作品を観るために、森先生は新幹線に乗って東京の
アニメ上映会に足を運んでいた。その“執念”が、われわれ世代を感動させ、
その後のオタク文化を形作っていったのだと思う。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4757215371/karasawashyun-22

昼はローストビーフとキウリのサンドイッチ。
大量にあって、うんうん言いながら食べる。
明日の食事会の場所を選定して、予約の電話。
OKだったので参加メンバーに連絡。

身体がダルく、ベッドでごろごろと。
起きるとネット。ふと気がついたら、もう8時過ぎ。
あわててサントクで買い物。
豚バラ薄切りを茹で、モヤシも茹でて、皿に盛り合わせ、
ネギニラダレをかけて食べる。
ネギニラダレはネギとニラ(今回は黄ニラを使った)を微塵切り
にして、醤油、煮切酒、コブだし、調味酢を合わせたもの。
病みつきになって何にでもかけたくなる味。
豚タンなどの茹でたのには、これに味噌を少し混ぜるとなおよし。

DVDで昔の刑事ものなどをパラ見して、1時には寝る。
芝居のあしたは仕方なし。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa