裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

日曜日

きけ、あだちゆみのこえ

「同情するなら金をくれ」(ちょっと古すぎるか)

※NHK-BS『熱中夜話 アニメソングナイト2』出演 母の誕生会

朝4時ころ咳、出だす。
うつらうつらの夢に、何故か韓流ドラマの題名とキャストを
この日記に転載すれば咳が止まる、と言われやってみると確かに
少しおさまる、というのを見た。
7時くらいまで断続的にゴッホゴホ。
これによる睡眠不足が最近の体調不良の原因かと思う。
トイレに立つたびに少しよくなるのは、余分な水分が体外に
出るからか。もっとも、あまり出しすぎると今度は寝返りなどの
たびに足が攣る。

テレビ収録だというのに寝不足で目隈などが出来ていると
困るな、と思ったがそういうことも別になし。
9時半、朝食。茶碗蒸しをスープ代わりに。
タケノコが甘くて大変に美味。

入浴し、連絡関係すまし、というような雑事であっという間に
出かけなくてはいけない時間になる。ところが連休でタクシー
つかまらず、道に10分以上も絶ち尽くすハメに。
それでも、乗ると今度はさすがは連休、道が空いていて
スムーズに突っ走り、5分も遅れずにNHK着。

腹巻猫さん、オノと一緒に館内を通り、外に出てNHKホールへ。
迷路みたいに入り組んでいる。
楽屋で田中公平さんと挨拶。
すぐに舞台上に連れ出され、ドライとなる。
私たちは出の順、立ち位置などを確認しただけですぐにOK、
すぐ楽屋に立ち戻る。で、本番までは2時間くらいある。
NHKの仕事では毎度のことであるが、ナンだ、てな感じ。
その代わり、楽屋のモニターで見たら水木一郎さんと堀江美都子さん
の歌は徹底してリハやっていた。

弁当(中華)食べつつ、話すことの大体の整理。
前回と同じく、音楽的な解説は田中さん、アニメ的解説は腹巻さん、
私は昭和史的解説担当なので、そこらへんでエピソードを選択。
楽屋での雑談がやはり抜群にこのメンツは面白い。

Yくんも上機嫌でやってくる。『猫も酌しも』のこと、
談笑から聞いて知っている。奥さんも陣中見舞いで、手作りの
ケーキを差し入れてくれる。駄菓子とか言っていたがどうして、
上品な手作り焼き菓子。今回は私の出演は第一部だけだが、第二部
に出演される神前暁さんと挨拶。何となく“頭のよさそうな”感じ
が顔つきから伝わってくるな、と思っていたが、そうだ、朝日の
書評委員でご一緒だった苅部先生に似ているんだ、と気がついた。
方や京大、方や東大、オーソドックスな“アタマイイ人の顔”と
いうのはあると思う。私の本のファンであるそうで、ちょっと恐縮。

メイクして、着替え。持っていった背広より、家から来てきた
ジャケットの方がいいとオノに言われ、そうする。
やがて本番、楽屋のモニターで客入れの様子を見ていたが、
あきらかにジャングル黒べえのコスプレとわかる客がいて、あ、
声ちゃん来ているのか、と。

客数は前回(秋葉原)の倍くらい。年齢層をざっと見て、
大丈夫、“あの頃ネタ”受けるな、と。お爺ちゃんに連れて来られた
孫みたいな小学生もいたが。
しかしこの日、もし新型インフルエンザの陽性患者が出ていたら
客入れは中止、無人のホールでアニキもミッチも歌わなくては
ならないところだったのだ。
朝、横田基地の赤ん坊がただのインフルエンザであるとの発表を
聞いたスタッフの安堵の吐息はさぞ大きいものだったろうなあ。

もう、あとは別段新しいことさせられるわけもないので、
ホームという感じで。堀江美都子さんには今から32年前、
札幌でインタビューさせてもらったときのことを語り、
「あ、ひょっとして覚えているかも」
と言われる。まさか、と思ったが、しかしあれはどういう
ツテでコロムビアに申し入れたのか、さっぱり記憶にないが
(たぶん、STVラジオからだったろう)、当時の札幌は
東京や大阪にさきがけてオタク活動がさかんだった土地柄で
あるから、そういう素人インタビューのひょっとしてハシリ
だったかもしれず、あのときのデパートでの堀江美都子ショーは
宇宙鉄人キョーダインと忍者キャプターのショーだったが、
子供より先にいち早く会場の最前列をオタクたちが占領し、
子供の母親たちが
「子供を前に並ばせてあげて頂戴!」
と怒っていた(私は写真撮影のために最後尾にいた)が、その後
普通に見られるようになるああいう光景の嚆矢であったかも
しれず、そう思うと堀江さんの“覚えているかも”も、私個人では
なく、あのショーの異様な雰囲気を覚えている、という点でなら
ひょっとしてリップサービスではないかもしれぬ。

田中さんが、
「私は今回は2回連続出演で、大きな解説は菅野よう子論というのを
そこでやるので、力を温存しておきたい。トークは“アニメソング
3回繰り返しの法則”というのを語るだけにするから、あとは
おまかせします」
と言う、ので、何ヶ所か水木さんにもからませていただく。

アイドルゲストの喜屋武ちあきちゃん、単なる飾りどころか、
凄まじいオタぶりを発揮、水木さんのことをアニキ、アニキと呼ぶ。
使える子が多くなったもの。私の今回のキーワードは“思春期”で、
前半の決めをこれでやる(NHKサイドからの強い要望)。
「水木一郎とはひと言で言えば、思春期をホニャララな人」
全文紹介は放映後に。
それにしても水木さんも堀江さんもノリがよくて素晴らしい。
客席に声ちゃん、と学会の大沢さん、キムラケイサクさんなどの
姿あり、声ちゃんとキムラさんはインタビューも受けていた。

あと、70年代から80年代の移行も裏テーマとして、
1979年の『花の子ルンルン』の衝撃、1980年の『ムーの白鯨』
における、ニューサイエンスブームによるオカルトの浸透(学研の
『ムー』創刊が1979年)などもちょっと話すが、何しろ、
45分番組なのに、回したのが2時間20分!
どれだけ残るか、はちょっと、いやかなり疑問である。
未編集テープもらって完全起しの同人誌作りたいくらい。
終って楽屋に戻るとき、体調もあって、かつてないくらいバテていた。

それでも、楽屋同士の行き来、普通こういう収録番組は終ると
「お疲れさまでした」
と声だけかけてソソクサと散っていくものなのだが、名刺交換、
雑談など交歓頻々。喜屋武ちあきちゃんからも、著書のファンだと
言われる。隠れたところでいろんな人に読まれているのだな。
水木さんからは
「あの思春期のフレーズ、どっかで使うよ」
と言っていただき、さらに
「みんなで写真撮ろうよ」
とアニキから直々に呼集がかかり、撮影大会。
田中さん、腹巻さんのオヤジアミーゴスとは
「話したりなかったことはじゃ、またイベントで!」
と。

また迷路のような通路通って外に出て、タクシーで吉祥寺。
母の誕生日のお祝い。
オノとマド、それから吉祥寺住いのもやしとで。
オノおすすめのスペイン料理店『Baru吉祥寺』。
スペインビールとシェリーソーダで乾杯、その後、
酒はサングリア、ワイン、シェリー酒と飲み継ぎ。
料理はひしこいわしの酢漬け、ハモン・イベリコ、
マッシュルームのエスカルゴ風など、それとパエージャ二種。

最初ちょっとぎこちなかったがやがて話ワイワイはずみはじめ、
あっと言う間に食べ終ったあと、バイトに行くもやしの他の
メンバーはもう一件、ということでうどん真希。
焼酎飲みつつ、マドのわけのわからなくなった話を笑いながら聞く。
帰宅は10時。母の誕生日の分を私が、22日の私の誕生日の分を
母が払った。

*オヤジアミーゴスと、出演者記念写真。撮影はオノ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa