裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

火曜日

神田サン八番娼館

かつてボルネオに神田山陽一門の講談定席があり……

※太陽の塔取材日決定、アストロ稽古、朝日新聞打ち合わせ

朝8時起き、入浴。今朝からシャンプーに変えて髪用の石鹸を用いる。汚れの落ちは確かにいいように思えるが。9時朝食、アスパラガス・スープ、温州ミカン、リンゴ。

アカデミー賞、マーティン・スコセッシ『ディパーテッド』が作品賞、これまで6回ノミネートされて受賞歴がなかった人がやっと雪辱を果たしたという感じ。とはいえ、この監督の演出、『タクシー・ドライバー』で力量に感心したものの、『ニューヨーク・ニューヨーク』、『レイジング・ブル』『キング・オブ・コメディ』と、題材も扱い方もいいのだが、もう一歩、どこかに、観たこちらが完全な満足を得られるまでの“何か”が足りない気がして、手放しで絶賛するのにためらいを感じていた。『ギャング・オブ・ニューヨーク』を観ていないので、その後どう変わったか、確かなことはわからないでいるのだが、『ディパーテッド』、観にいくべきだろうか。

母のパソコン、また調子悪くなる。どうしてこうトラブルが多いのだろう、母のパソってのは。スパムメール削除を山ほどかけているせいか?

自室に戻り、晋遊舎原稿。書きながらときおりネットのぞく。11頃、仰天情報。万博会場跡に残る“太陽の塔”の内部見学ツアーが三月いっぱいで終了(現在ツアー申し込みはもう満杯)するので(内部を大々的に改装して再会の予定)、そのツアー終了と改装着工の間に私と半田健人で取材を入れられないか、と、丹青社(7月の秋葉原イベントの企画者)に申し入れていた。

7月イベントの目玉として、その時の取材の模様を上映しつつ、『70年代を語る会』の発足会を大々的にやろうという考えだった。すでにいろいろとマスコミが申し込みをしている中、挟み込むのは非常に難しく、一旦はNGだったのだが丹青社自体が万博に縁の深い会社なので、強力にプッシュしてくれたとみえ、一般ツアーでは許可されていない事項も許可してくれて、最良の取材が出来る見通しがたった。……は、いいのだが。何と、その許可日というのが3月9日。
『アストロ劇団』の公演とまるかぶりである。うわっと頭を抱える。
本来は、スケジュールというものはどんなことがあっても、先に入ってしまっているものが優先。これは芸能界の鉄則であり、後でいい仕事が入ったからといって先のものをキャンセルというのは仁義に悖る行為である。しかし、これは、ここを逃すと二度と出来ない取材である。秋葉原イベントはほんの序の口であって、実はそこから来年、かなりな数の分野に及ぶ、メディアミックス的な企画展開を考えており、今回の取材はその先駆けとなる、重要なもの。なんとか、一日だけ代演でやってもらえないか、今日、橋沢さんに直接会って話さないとならぬ。

オノにすぐ連絡。9日は他にもラジオ収録の予定があり、そこのゲストの水道橋博士さんにもご迷惑をかけることになる。しかし、何とか対処しましょう、と頼もしく。
「私も大阪、行きたいですから」
と。それかい。

とりあえず、そんな気もそぞろの中、原稿一本(10枚)書き上げ、メール。取るものも取り合えず荻窪へ。荻窪へ向かったのは、今日の稽古が青沓であることと、ついでに荻窪の携帯ショップで私のDoCoMoをauに変える作業をしましょう、ということだったが、事務所から持ってきたパスポート(運転免許がないとこういうとき不便だな)が古いもの、なおかつ暗証番号(携帯にそんなの、あったか?)もわからず、今日はムリ、ということであきらめる。

荻窪駅前のルミネの喫茶店で、オノと打ち合わせ。そこにちょうど橋沢さんから電話。
「唐沢さんの日記の件ってさ、ウチ?」
と訊いてきたらしいが、オノ、間髪を入れず
「はい、ウチです!」
と。その後のダンドリをてきぱきとつけるのはさすが。マネージャーというものを置いてよかった、とつくづく思う。しかし、公演前後がまたスケジュール、気が狂ったか、というほどのつまり様。まあ、こういうのは嫌いではないが、とはいえいい歳なのに体はもつか?

オノと別れ、それから青沓へ。橋沢さんに、
「もう、ドキドキさせないで下さいよ!」
と言われる。しかし、本当にこれは僥倖だったが、こないだの21日の日記で、やるき茶屋の店員さんが劇団員で、告知も出してフライヤーまいていた芝居が公演中止になったという話を書いたが、その時の彼に、橋沢さんが
「じゃ、ガヤだけどうちの芝居に出てみなよ」
と声をかけていたのだ。その彼に頼むことにした、という。みんなの前で事情を説明し、頭を下げて、了解をお願いする。

それから稽古。いろいろと場面々々にアドリブや改訂が入り、単純な場面に込み入った笑いの仕掛けが入り込んでいく。で、橋沢さんがその美声を発揮する、大変重要な場面があるのだが……そこであるアクシデント。これでもう稽古場全体が爆笑と悲鳴と呆れかえった“え〜っ”という声に包まれて、もう、それから先、何するにもそのことが思い浮かんでしまい、まるで身が入らない! 帰ってきた橋沢さんが
「はい、集中!」
とか言ってもみんな、
「出来るかー!」
という状況。いや、いい日に稽古出たなあ。いったい何が起こったのか? それに関しては、稽古場日誌を客演の渡辺シヴヲさんが書くでありましょうから、そっちをぜひとも。
http://keikoba.blog48.fc2.com/blog-entry-162.html
そして『アストロ劇団』、チケット買っていただいた皆様、そのようなわけで、私、9日(金)のソワレには出演出来なくなってしまいました。まことに申し訳ありません。この日のチケットを取っていただいていたお客様で、取り消し、または日時変更をお申し出の方、私の方にメールいただけたらすぐ、処置いたします。重ねてお詫び申し上げます。

今日はテリーや赤英といったメンバーがJ−WAVE出演のため、早上がり。5時に稽古終わり。今日は朝日新聞K氏と仕事の打ち合わせであるが、稽古が荻窪近辺なので、荻窪の店を設定してくれた。時間がちょっと早いので、近くの喫茶店で新聞読みながら待つ。円楽さんの引退について、朝日の『天声人語』と読売の『編集手帳』が、どちらも先代文楽の
「神谷幸右衛門という名前が出ずに……」
という引退の逸話をあげていた。噺家の引退の話題で同じ噺家の引退の話題を語ろうなどとするからこういう“ネタのツキ”が起こる。プロなら、こういう場合、人が思いつかない切り口をまずひねりださないといけないのではないか?

やがてオノとマドも到着、代演の報告などしながら店へ。珍しいマレーシア料理の店、『馬來風光美食』という店。荻窪駅北口から歩いて五分のところ、とても飲食店が入っているとは思えないビルの地下1階。お母さん、というのは若いイレーンさんという経営者が暖かく出迎えてくれる。

朝日新聞Kさん来て、マレーシアビールで乾杯しつつ、今後の仕事の予定をちょっと。かなり長期の契約になることに驚く。まあ、それは十五分くらいですんで、あとは飲み会、食べ会。ここの料理は同じマレーシア料理にしてもお母さんの工夫が必ず入っていて、これまで味わったことのない料理が出てくる。パックッテーという鍋料理は、油揚、キノコ類、リブ肉などが煮込まれていて、非常にユニークな味付けのおいしさ。あと、空芯菜炒めもチャイナハウスのそれとは全く趣異なり、フィッシュカレー、パクチーとアボカドのサラダ、酢豚など。酢豚もここの店のオリジナルだが、ニンニクが聞いており、中華の酢豚とはまったく違う。非常にコクのある風味で、これだけ食べに来たくなる味。いろいろダジャレばなしなどしながら、美味い美味いと味わい、紹興酒3本あけてイレーンさんに呆れられる。最後は海老風味の焼きそばと、マレーシア風混ぜご飯で〆。お腹いっぱい。

腹はふくれたがまだ酒なら入る、というので駅並びのワインの店に。ちょっとスカした、言っては悪いがラブホテルみたいな内装の店。ワインリストを見たら58000円、なんてワインが並んでいて仰天するが、まあ、安いやつでお店のお奨めでリストに載ってないやつを出してもらって、ここでもダジャレ、それから人物月旦などでワイワイと。11時半くらいに、Kさんとタクシー乗り合いで帰る。しかし凄まじい展開のあった一日だった。二度とこういう不義理はしたくない。取材の仕事がうまく許可とれたのは嬉しいが、人の迷惑の上に成り立っていることを忘れてはしゃいではいけない、と自戒。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa