裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

金曜日

赤西屋ロリ兵衛

「心配するな、少女の片足はおれが押さえておく」

※『ポケット!』収録、通販生活打ち合わせ、東急AG打ち合わせ、ロフトプラスワン深夜イベント(翌朝まで)

朝6時半起床。寒いこと。入浴して猫のエサやり。さいきんこの猫、一日5食くらい食べている。8時半朝食。柿と梨、ブロッコリスープ。日記つけ、10時10分、家を出る。丸ノ内線、新宿まで出て中村屋で買い物。さらに丸ノ内線乗り継いで赤坂見附で千代田線乗り換え、赤坂TBSまで。

局に入ったらロビーにオノ。イニャハラさんもいて、一緒に笹さんを待つ。笹さんのことだからサラリーマンみたいなピシッとした格好で来るかと思ったらずいぶんとラフなスタイル。そうか、談笑さんのときもそうだったが、みんなラジオだと顔が出ないからと油断するのだな。どっこい、ブログの写真撮影があるのだ。

中村屋でカリーパン買ってきたのだが、今日も今日でデスクの上は食べ物でいっぱい。カリーパンかじりながら打ち合わせをしていたら笹さんが
「これ、もう収録しているんですか?」
と。私の打ち合わせ口調がいつも聞いてるラジオのしゃべりと同じ調子だったからだというが、海保さん曰く
「いくら唐沢さんでもパンかじりながら放送はしない」
呵呵。

収録、最初の“9時になりました、こんばんは、唐沢俊一です”のところ、“8時になりました、嘘つきました。唐沢俊一です”とやったら、ガラスの向うのI井Dの顔が、一瞬、鳩が豆鉄砲をくったような顔になって面白かった。

最初は笹さん、遠慮しているのか、なかなか私と海保さんの話に割り込んできてくれない。困ったな、と思っていたら、十五分過ぎあたりからエンジンかかったようで、スターボーの『ハートブレイク太陽族』、笹さん本人と高橋名人の『ハートに16連射』をかけたあたりからもう、突っ走ること。“浅間山ファンタジー”なんて台詞が出るあたりで、最終的には実に奇妙なノリの、いい感じの(私らしい)番組になった。大いに結構。笹さんは海保アナに
「僕、目標は『はなまる』なのでよろしく!」
と売り込んでいた。さてさて。

局を出て、蕎麦会席の大仰な造りの店で、笹さん、オノと天ざるを食べ、私たちはタクシーで西新宿のカタログハウス本社へと向かう。時間があったので隣の喫茶店でしばらく休み、今後のスケジュールなど話す。

カタログハウス会議室で、通販生活H氏と広島のアクトインテリア社長A氏。このあいだの私の提案を受けて作られた、ざっとしたモデル製品のチェック。私の当初の企画案では製品の“形”が主要アイデアだったが、出来てきたものを試してみるに、素材の“触感”が大きなポイントになることを発見。こっちを中心に進めていきましょう、と提案。オノも可笑しがっていたが、真面目な企業人が私の言う、どちらかというと文化人の少し斜にかまえたような発言を、製品開発の重要な提案としてかなりまともに受け止めている。自分が何かすごくこの製品に関して一家言ある人間のようである。これで製品がヒットするとしたら、まさに瓢箪から駒であろう。面白い。

打ち合わせ終って会社から出ようとしてら、受付けのお姉さんが走ってきた。何か忘れ物か、と思ったら、『大猟奇』を差し出されて、
「ファンです、サインお願いします!」
と。こんなきれいなお姉さんに猟奇殺人の本詠ませてファンにしてしまうとは、私も罪な男である、と思いつつサイン。

また隣の喫茶店に戻って、東急エージェンシーK口さん待合わせ。さすがに眠くなってきた。K口さんとの打ち合わせはチケットやフライヤーのデザインがらみのことだが、それからかなり遅れて到着したK条さんとは、予算関係、収支の金の流れの件など、イベントの基幹となること。いくつか取り決め。エージェンシーさんというより、今回のイベントはK条さんK口さんといったスタッフ個人々々の意気でやってくれているという感じであり、深く感謝せざるを得ず、また今回のイベント、今後の仕事で何か彼らにお返しをしなくてはと思うこと切。

そこで別れてタクシー拾い(ちょっと難儀)、新中野の自宅へ。『ポケット!』の挨拶文を書いてアップし、旭川ラーメンで塩ラーメン(バタ入り)とビール一本で夕食。ベッドで2時間ほど仮眠をとる。起きて9時半。タクシーで仕事場へ。今日のトークの資料をまとめる。

それからまたタクシーつかまえてロフトへ。運転手さんの話で、前に乗せた客が、高速で行くかどうかを訊こうとして“上に乗りますか?”と言ったら急に
「そんな下品な言葉遣いをするな!」
と怒り出した、という。タクシーの魅力はこういう話を聞けることだな。こないだの運転手は“NHKがあと十年くらいで宇田川町を引き払って汐留に移る”というマル秘情報を教えてくれた(“この商売やっていると自衛隊でも商社でも、秘密は筒抜けです”とのこと。ホンマかいな)。

ロフト、前のイベントの出演者たちがまだタムロしている。中島かずきさんがいて、挨拶。談之助さんはもう高座着で、その上にトンビのようなオーバーを羽織って。

談笑さん、IPPANさんなどが挨拶に。さいとうさんが、“すいません、今回は告知が満足に出来ず、集客に全然自信がないんですが……”とあやまってきた。
「かまわないです、最初から“客席の人間がわからなくても置いてきぼりにして、壇上のわれわれだけが楽しむ”というコンセプトの回ですから」
と答えておいたが、フタを開けてみると、かなりの人数が入る。座敷席も埋まって、下手な普通のイベントより、むしろ入場者数が多いイベントになった。落語を聞くイベント(寄席、落語会)は多いが、落語について語るのを聞くイベントは少ない。マニアがそこらで情報を
求めて探し当ててきたのだと思われる。

イベントそのものは、私はほとんどしゃべらず、という珍しい会になった。もう、
「あたしは本当はプレイヤーじゃない。マニアであって、落語家になったのは“落語をタダで聞ける”という、それだけの理由」
と豪語する談之助の独壇場になった。なにしろ、休憩時間になってもしゃべるのをやめない、予定の時間を1時間もオーバーして、なお、終わらずに
「まだ用意してきたものを全然見せてないんだが……」
としゃべり続ける。これは二回目もやろう、と、いうか、本にして、その刊行記念トークライブを企画しないとダメだね。

圧巻は後半の秘蔵DVDで、まだ元気だった頃の林家彦六、三遊亭小円遊、桂歌丸、桂小南、春風亭柳朝、川柳川柳などの映像を連続して見せたとき。川柳師匠の『ジャズ息子』の
「親御さんが義太夫に凝っていて、息子さんがジャズに凝って
いるという、そういうお宅はよくありますが……」
という語りに談之助、
「ないって、そんな家!」
桂小南『いかけや』の、大したギャグではないのだが、うなぎ屋が近所の悪ガキどもを追い払いながら次第にいらついてくる繰り返しには、不覚にも爆笑。再評価もあまりされない人だと思うが、しかしこの人が寄席やテレビに出るとそれだけでうれしくなってくる存在だった。あと、若い頃の談之助のガリガリな写真は、あぁルナのもやし君にソックリ。

オノ夫婦も来てくれていたが、5時から飲んでいたそうで、要するに12時まで7時間飲み続けてここに来たということ。若いねえ。あと、山口A二郎さん、アスペクトのK田くん、jyamaさん、ぎじんさんも来てくれていた。談之助さんの友人で、文書のマイクロ写真撮影が本業だが、修験道のホラ貝吹きで有名という(どういう人だ)Aさんも来てくれていた。奥さんの“はじめ”さんはあおくび大根のキャラグッズのデザインをした人。濃い。
http://www.rakuten.co.jp/nikkoseed/707264/670017/

「まあ、話すことがなくなったら終わろう」
とか思っていたのだが、結句終わったのが一時間予定オーバーの5時。いやあ、初めての深夜ライブ、燃えたねえ。それからオノマド、ぎじん、jyama、K田くんを強引に誘って、大阪屋でもんじゃで打ち上げ。もう半ば眠っているような人もいたが、私はトーク明けでハイで、しかも胃袋はすっかりモンじゃモード。冬の夜もそろそろ明けかかったホノ明るい中を大阪屋に行く。椅子席は満員、座敷席で。さわやかな朝に油くさい煙にまかれてもんじゃを食う。
「朝のもんじゃはオツだね」
などと言いつつ、生ビールで乾杯。さいとうさんも駆け付けてきて、一緒に水割りと日本酒。さいとうさんが私に酒をすすめるのも珍しいが、入らないと思った客が入った興奮からかもしれない。いやあ、朝トーク、朝酒、朝もんじゃは身上をつぶしてもやめられない。私のハイが伝染したか、談之助さんも妙にハイになってみんなワイワイ。談之助の“人生をやりなおしたいと生れて初めて思った”という不幸(せっかく作った子供が男の子だった)を笑う。ひどいね!

酔っぱらって、もんじゃとモダン焼きと牡蛎バターの匂いをたっぷり染み込ませて表へ出る。すでに7時、完璧な朝。タクシーで帰り、ベッドにもぐりこんで寝る、というか気絶。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa