裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

月曜日

僕の前世はフィーバー

おまえは前の世で日本で小学校の教師をしていたな。

※夕方仙台入り、新作紙芝居『蛇蝎姫と慙愧丸』口演。

朝7時起床、9時朝食。ナシ(福島から送られた幸水)、ピオーネ、王林、白豆のスープ。日記つけ、雑用など。朝日新聞大阪支局のK田さんから電話、大阪で何かうまいものを食って話す、という仕事があるがやってくれますかとのこと。こういう仕事を私が断るわけもなし。スケジュールをオノと算段してくださいと言っておく。

すぐオノから連絡、スケジュール的にはギチギチだが、来週の仙台行きの翌日に飛行機で大阪入りすれば大丈夫とのこと。まさに今日仙台に入り明日飛行機で大阪入りするという日に来週の、まったく相似形のスケジュールを打ち合わせる。逆デジャブ、とでも言うべきか。

弁当、母のいわゆる“昔の弁当”。海苔と鰹節が敷かれ、お菜はタラコ。2時、事務所に行く。注文していた資料がアメリカから届く。資料ウンヌンでなく欲しいものだったのでうれしい。

3時、東京駅。新幹線マックスやまびこで仙台まで。車中、頼まれていた柳柊二画集のオビ文を執筆して送る。移動旅行中に書いて送れる原稿というのはこのレベルだなあ。

5時20分、仙台着。駅から5分ほどの“ロイネットホテル”に投宿。ネット環境がいいから、という理由でオノが選んだホテルだが一階がロイヤルホスト。あ、ロイホとネットでロイネットか、と気がついた。ブログとラジオでブジオ、みたいであるな。

ツインの部屋なので広々としてよし。あのつくんに連絡、迎えにきてもらって、会場へ。開場45分くらい前なのでちょいとメシでも、と探すが、お目当ての店が閉まっていたりとかで仕方ない、直接会場へ。なんと、入り口のところになんと佳声先生がいらっしゃった。新作の紙芝居を見にわざわざ仙台まで出向くという、その熱心さに頭が下がる。

会場内、スタッフがみな揃いのハッピ姿でてきぱき動いている。神田陽司さんに挨拶。ハンチングがなかなか似合っている。紙芝居用にあつらえたのかと思ったら自前だとか。あのつくんと最前列に座らせてもらう。女性二人からサイン求められたので応じていると、隣の席の学生が“すいません、何をなさっている方ですか”と不思議そうに訊いてきた。

で、神田陽司が現れて、挨拶。榊原光裕の伴奏に合わせ、『蛇蝎姫と慚愧丸』の口演に入る。この、榊原氏の演奏が凄かった。シンセサイザー、電子ドラム、ピアノ、琵琶、三味線、エレキギターなどの楽器を要所々々に合わせて全て一人で演奏する。そっちの技術の方に目が行って、紙芝居がお留守になることもたびたび。

紙芝居は三部構成で、謎の宗教団体を壊滅させる使命を帯びて地下の洞窟に入り込んだ主人公と、その宗教団体の教祖の美少女との愛情と、最後まで武士の魂を捨て切れなかった主人公の葛藤と悲劇を描き、因果の発端となる第一部、その教祖の恨みが自分の血液を突然変異させて誕生した“Dウイルス”が、教祖から猫、猫から蝿、蝿からカマキリ、カマキリからカラス、カラスからタンポポ、そしてタンポポから人間へと、277年の歳月をかけて伝染していく様子を描く第二部、そして、第一部の男女二人の子孫が謎の突発殺人事件の真相を追ううち、第二部で仙台大空襲の惨状を目の当たりにして権力者たちへの復讐を誓った元・浮浪児の政界の黒幕、得松老人の陰謀と対決することになり、大きな因果の輪がひとまず閉じる第三部。

話は奇想天外を行き、今年95歳になる紙芝居絵師・佐渡正士良の絵がまたキッチュ、美剣士がまるで美形に描かれていなかったり、美少女が妙に色っぽかったり、悪老人の顔がすごかったり、残虐シーンの描写も容赦なく、いや、凄まじい世界をそこに現出させている。陽司さんの口調がこの壮大なドラマに合っていて、途中一時機器の不具合もあったが見事にクリアして、無事に三時間の大舞台を終えたのは見事。

考えてみれば『猫三味線』は600枚の絵で上演が三時間、この『蛇蝎姫〜』は半分の300枚の絵で上演が同じく三時間。要するにしゃべる内容が倍の量ある、ということで、これでも陽司さんがかなり切ったとのこと。今後の上演はもう少し短く収める工夫が必要だろうが、プロデューサーのすずき佳子さんが言っていたように、平成の世に、伝統と新感覚を結びつけた、新しい紙芝居が誕生したその瞬間に
立ち会えたことで、わざわざ仙台まで来てよかったと思う。それにしても、一から、というよりゼロからここまでにこの作品を立ち上げ、作り上げたすずきさんのプロデューサーとしての力量には感服の他なし。

作者のクマガイコウキさん(黒子として舞台にも出ていた)と挨拶、バラシを見学させてもらい、その後の打ち合わせにも誘われて出席。陽司さん、榊原さん、すずきさん、クマガイさん、その他スタッフの方全員にお疲れさまをいい、東京公演の際に微力ながら一臂の力をお貸しさせていただきたい、と申し出る。三日の重任から開放された陽司さん、上機嫌の佳声先生、みなみなホッとした感じで楽しい席となる。あのつくんが佳声先生(当然初対面)と何やら話が合っているのが不思議だったが、訊いたら演芸ならぬ園芸の話。なるほど、佳声先生は園芸学校の出身だった。花農家のあのつくんと話が合うはず。

大道芸の話になり、私が
「実は“六魔”にあこがれている」
と言ったら佳声先生、
「あ、そうだ、唐沢さんは六魔の顔をしている」
と。顔というのがあるのか。

日本語の豊かさの話になって、“よせばよかった舌切り雀……”の言い回しとか、例の紙芝居の『宇宙戦争』で火星人の
「ナースナース、ハジケカボチャー」
の台詞のことになり、みな爆笑。紙芝居師の
「……ただいまの台詞は火星語で、“お前の頭をカボチャのようにはじけさせてやるぞ”と言っているのであります」
という、妙な“通訳”が可笑しい。また、佳声先生が『虹の御殿』で披露する歌の原曲である『ぼくらのマジンガーZ』を朗唱するに至って全員、大拍手。陽司さんが“これは一生忘れられません”と。

陽司さんは明日はなんと仙台を6時半発ち。佳声先生、あのつくんとタクシー乗合で、先生をホテルに送り、こっちも帰宿。あのつくんが佳声先生の発する江戸言葉のひとつひとつに感銘していたようで、
「いいものを聞いた」
と繰り返してくれていた。
素晴らしい人との出会いがあり、その人の仕事を後世に残すことに力を貸すことが出来る。人生の妙味はこれに尽きるような気がする。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa