裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

日曜日

ナイーヴの犯行

 たった一回つれなくされただけで感情的になって殺すなんて、犯人はよほどウブですぜ。朝6時15分起床。入浴洗顔歯磨ミクシィ。8時朝食、ミカン小、バナナ、ブロッコリポタ。10時出勤。日曜なので周囲閑散。昨日は二・二六であったので、マンション前の慰霊碑には花が大量に置かれ、線香の香りが周囲に漂っていたが、今日 はまだ花は残っているが静かなもの。

 明日の東京大会打ち合わせ用の台本案を書く。楽しい仕事。昼はオニギリ、黒豆納豆、カップワンタン。オニギリのご飯がつぶれて餅みたいになっていた。某局某くんから電話、某番組のことでしばらく話す。快楽亭から映画の件で問い合わせ。加藤礼ちゃんから実相寺監督演出のオペラの件で電話。いろいろスケジュールがかぶる。

 台本は半分のみやってとりあえず措く。FRIDAYコラム、たまたま通勤読書用に買った本にネタがあったのでそれをアレンジして使う。こういうときはいい気分で ある。

 6時半、家を出て『談話室滝沢』。週刊文春グラビア記事用対談、辛酸なめ子さんと。編集のSくん、カメラマンYさん同席。本館の特別室へ通される。店長がやってきて丁重に挨拶。この“滝沢”、社長が特異な経営方針で、働くウェイトレスさんたちは、みな地方から上京した子を寮に入れ、お花、習字など、一人前の女性として大事なことを学ばせることで、店の接待の質を保持していたという。それだから、あの 一種独特の雰囲気が醸し出されていたのだなと膝をうつ。
「滝沢のウェイトレスは全員未亡人」
 と言われたのも(私が広めた、ということになっているようだが繰り返すが、広めたのは確かに私かも知れないが元ネタは『噂の真相』である)、この独自教育に由来する、他の店ではちょっと味わえない不思議な雰囲気を彼女たちが漂わせていたから であろう。

 時代が変わり、いまでは全寮制、プライベート時間もそのような習い事で束縛されることをいやがって、正社員が確保できにくくなってきた。アルバイトを多く使わなくてはならなくなった(そう言えば数年前から滝沢のサービスがちょっと変質してきたという感はあった)。そしてとうとうこの3月で、かつての滝沢のサービスをマスターした正社員がいなくなるという事態になったという。
「正直、まだ利益も上がっていますし、設備だって、古いとはいえまだ数年は持ちます。しかし、お客様に“滝沢のサービスも落ちた”と言われてやめるよりは、惜しまれるうちにやめた方がということになりまして」
 と店長さんがしみじみと言う。

 惜しい。無くなるとなって初めて惜しがるのは軽薄だと思うがつくづく惜しい。この特別室も、前に佐川一政氏に頼まれてドイツのテレビ局のインタビューを受けたりした思い出がある。あのインタビューは今思い出しても不快であったが、しかしこの部屋を一回でも使えたという経験を与えてくれた、ということでは、有難いことだっ たのかもしれない。

 場所を打ち水の前に移して、辛酸さんと対談&写真撮影。隣の席との間のついたてがはずせて、大人数にも対応できるようになっているのを見て、はあ、二十年通っていても知らなかったことがだいぶあるんだなあ、と感心。この天井の高さが、まず新 しい店舗には望むべくもないぜいたくさだろう。

 無くなるのはまことに惜しいが、しかしその最後を、愛好者代表としてこうやってマスコミで語れるというだけでも光栄か。対談終わったあと、店長さんが、記念にと 滝沢ロゴ入りのマグカップとグラスをくれた。

 タクシーで帰宅。家では食事会をやっている。S山さん、中西さん、ナンビョー鈴木くん、藤井ひまわりくん、K子のアシスタントさん。ギョウザサモサ、ブリとホッ ケの塩焼き、ネック団子、頬肉シチュー、大根と貝柱の煮物、まぜご飯。珍しく焼き 魚が出たのは鈴木くんのリクエストとか。

 雑談いろいろ、中西さんとは出版の打ち合わせもちょっと。
「疲れているんじゃないですか」
 と言われる。肉体的疲れというより、いろんなことが一度にどっと来ているのに対応しなくちゃならない精神の疲れだな。

 10時45分解散。母に頼まれた喜多朗の『シルクロード』サウンドトラックCDを聞いてみる。疲れた神経にはいい曲である。NHK批判のひとつに、番組製作に金をかけすぎる、というのがあるが、こういう番組はNHKの金のかけ方でなければとても出来ないものだったろう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa