裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

水曜日

全商品鋸引き!

 死刑駄洒落シリーズ(ミクシィで詰めにくいさんが始めてあっという間に60以上のレスが伸びた企画から)。朝6時起床。メールチェック、返事を急いで書かねばな らぬもの一件。入浴、朝食如例。朝食8時。

 10時半出勤。電話連絡するもつながらないところあり、ちょっとイラつく。昼食オニギリ、黒豆納豆、カップ味噌汁。中尊寺ゆつこ死去(31日)に関しての文章を書くつもりがまとまらない。一見まるで接点がないように見えるが、実は私にとってこの人の存在は大きな意味があった。仮想敵、ということになるか、いや、実は“教 師”であったのかもしれない。正面、反面、どちらも含めて。

 私がプロパーのモノカキとして独立したのが1988年、彼女が双葉社と集英社両方で新人賞を取りマンガ家デビューしたのが前年の87年。ちょうどマスコミに顔出しを始めた時期が同じで、私にとり、彼女は意識せざるを得ない存在だった。とはいえ、こちらは日陰のオタク・サブカル系、向こうはバブルの最中心でその権化として脚光を浴びるオヤジギャル系、徹底して方向性も違ったし、伝え聞く(つまり日陰者 の酒席の陰口であげつらわれた)人格的噂も最悪だった。

 こうなると、“むしろ彼女に学ぶべきことがある”と考えてしまうのが私の癖である。自分が認めない作風の奴が売れているからには、何かそこに自分の知らない秘密があるに違いないのである。彼女の本を読んで徹底分析した。そして達した結論が、
「文化翻訳者説」
 とでもいうもの。つまり、こうしたエッセイ系マンガの役割である。彼女のマンガは、バブリーなオヤジギャルの本音を赤裸々に描いてオヤジギャルたちのバイブルとなったもの(死去時2ちゃんねるに“中尊寺さんの作品はわたしのバイブでした”、という誤記書き込みがあって話題になったが)と受けとめられていたが、実は全くベ クトルが違っている、ということに気がついたのである。

 いわゆるバブル勝ち組の女性たちの生態を描くことで、彼女がメッセージを送っていたのは、その世界とは縁のない、しかし近接区域にいるオジサンたちに向けてなのであった。旧来とは全く異なる文化・価値観・言語を有する一団というのが、社会には突如出現する場合がある。古くはアプレと呼ばれる連中、それから現代っ子、新人 類、さらにオタク。

 こういう集団が突如現れ、また文化に大きな力を持つ。彼らは周囲と自分との差異をアイデンティティと考えており、ことさらに意思の不通を強調してみせる。たいていそういう連中にはカリスマがおり、アジテーターがいて、これがわからん奴等はも う古い、ダメだ、消えていくだけだ、と、激語を飛ばす。

 旧来の文化圏に属する人間はそれで恐れを抱き、なんとか、少しでも彼らの考えていることをこちらにわかるように、通訳してもらえないかと期待する。新文化側の範疇にはいても、こっちの言葉も話せるバイリンガルな人物が欲しいわけだ。できれば それが若い女性、そしてまあ美人であればなお。

 そのニーズに応え華々しく登場したのが中尊寺ゆつこであった。先達に内田春菊、後続(そして完成形)に西原理恵子を置けばもっとよく見えてくるだろう。おじさん たちへの、女の子文化の通訳嬢である。
「わたしたち、こーんなに進んでるのよー!」
 と誇り顔の女性たちの姿を描いても、実はその裏では悩みも迷いも持っている、ごく普通の女性たちの一面もある、という客観の視線を、彼女たちは必ず持っている。そして、そういう新興文化の一番のもろさもきちんと見据えて、“いざとなったら理解あるおじさんに助けてもらいたいの”という秘かなメッセージ(媚び)を送り続け ている。

 ここで、いわゆるマスコミのしたり顔文化人おじさんたちは、中尊寺ゆつこという女性は本当はこっちの味方だ、と安心し、彼女に“オヤジギャルについて聞きたい”とお伺いを立ててくるのである。そこまでを読みとったとき、私はなにかが見えた気になった。これまで、サブカル系の世界の閉鎖性の中でぬくぬくとしながらも、これでは絶対未来がない、と悩んでいた自分のいるべき位置がはっきりしたような気がし た(昨日の薔薇族のときも書いたが、それと同じだ)。
「一般社会とオタク、サブカル界の間の通訳係」
 おじさん(一般人)たちにわかる言語で、こちらの世界のことを紹介する文化人という立場が、向後絶対必要になる時代がくる。残念ながら美人でも若くもないから、彼女たちみたいに騒がれはしないだろうが、オタク系には女性があまりいないからまあ、仕方あるまいと向こうも思うだろう。媚びはむしろ売れない方がよろしい。ひたすら通訳としての能力で売っていこう。自分はそこを目指していこう。そのモデルケ ースとして、中尊寺ゆつこには注目しよう。

 そう思った。
 その意識の底には、
「春菊などはしぶとく残るだろうが、彼女は絶対消える。消え方もきちんと見ておかねば」
 という、いささか残酷な思いもあった気がする。その後、私の予想通り、春菊、西原はブームが過ぎても残ったが、中尊寺ゆつこは、彼女の価値を支えていたバブルの崩壊と機を一にして、影を薄くしていった。もちろん、完全にフェイドアウトしたわけではなく、政治評論方面などにシフトしたとかいうが、注目される存在ではすでになかった。あまりにオヤジギャルのイメージが強すぎて、それが消滅したあと、新しい価値を自分に付与できなかった。と、いうか、自分が乗っかっていた文化から独立 した、作家個人としての個性を持てなかった。

 最後の接点は今から7年くらい前、彼女の作品を某誌で批評して、ネットショッピングが新しい、というようなマンガを描いていたのをつかまえて、すでにナンにも新しくないものを新しいとはしゃぐ、時流に乗り遅れた中尊寺ゆつこには三文の価値もない、と断じた文章を書いたときか。確か、この時は担当編集者が軟弱で、いささかキツいことを書きますが、と、そのマンガの担当者に前もってその原稿を見せて許可をあおいだ。向こうの担当は、“こういう意見も必要ですから”と、何も言わないで許可してくれたそうである。たぶん、業界側でも、すでに彼女は使えない、という判 断が下されていたのではないか。

 私は死者に鞭打つためにこの文章を書いているのではない。中尊寺ゆつこは、90年代初め、セルフ・プロデュースを成功させて時流に乗り、その最先端に立つことで天下をとった。その輝きは一世を風靡したし、女性の生き方における新たな価値観を呈示するという、他の誰にもできないことをやりとげた。作家としてのスゴロクの上 がりである。彼女の人生はそこで完結したのである。

 42歳の死というのは、人間の年齢としてはあまりに若い。ことに幼い子を二人残しての死は母として心残りがあったろう。しかし、作家としての生命はまた違う。彼女はすでにやるべきことはやってしまい、その内部には何も残っていなかったのではないかと思う。マスコミが“若すぎる死”と書いて彼女を追悼するのは、どんなもの かな、という思いが頭の隅にある。

 ……パーティで数回、顔を合わせたときに向こうから挨拶してくれたことがあったから、私の顔は認識していたと思う。しかし、まさかその男が、自分を研究し、その消え方にまで注目していたとは最後まで気がつかなかったに違いない。まことに失礼なことをした。心からお詫びと感謝の念と共に、ご冥福をお祈りするものである。

 某件で(また某か)打ち合わせ、1時に東武ホテルで待ち合わせたがスカ、しかしすぐ電話あって、2時にもう一度待ち合わせて時間割。打ち合わせ中何度か電話が入る。TBS『ウッチャンナンチャンの東京横断JQバトル』から。打ち合わせ終わってこれから食事でも、というときにもかかってくる。早く番組内でやるクイズの問題を教えろというもの。でないとフリップが作れないという。うるさいな、まだ収録は 先なのに、何でこんなしつこく電話をかけてくるんだ、と思っていたら、
「明日の収録時には……」
 と言うのでちょっとあわてる。全くカン違いしていて、放映日の18日を収録日だ とばかり思っていた。

 一応焼肉屋(華暦のある通りの角の店。まずかった)で食事し、9時に仕事場に帰りとりあえず神保町ネタだけひとまとめにして送る。後は家に帰ってから、と、タクシーで帰宅、その車中で電話、以前『メレンゲの気持ち』のときに出したネタで未使用のものがいくつかあるので、その中からチョイスしてこちらでフリップを作ったとのこと。ああよかったとホッとする。明日収録時間に入れていた予定をいろいろとズラしてもらう連絡。まったく、スケジュールマネージャーをそろそろ入れねば。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa