裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

金曜日

熱き柴漬けを君に捧ぐ

 コンビニで弁当を温めてもらうと、漬け物まで温まっちゃうだろ? あれ、嫌いだから君にあげる。7時起床。朝風呂、朝ネット。これで朝酒をやれば朝寝はせずとも 身上をつぶす。

 週プレの連載についての基本案をあれこれと考える。昨日、おぐりゆかからコミビアお礼のメールが来ていた。もう彼女とは何年もコンビを組んでいるような錯覚にときどき陥るが、実は去年の9月から、に過ぎない。今年はもっとあちこちに企画を持 ち込んで見ようと思っている。

 人からはよく
「カラサワさんはおぐりゆか可愛がりすぎ」
 と言われる(特に開田あやさん近辺)。別に取り立てて可愛がったり贔屓したりしているわけではない。これは趣味だ。才能ある人間をプロデュースするくらい、世の中に楽しいことはない。もちろん大変なことではある。しかし、これは芸能プロダクション業界にいた人間ならわかると思うが、たぶん人のプロデュースというのは世の中で一番面白いゲームのひとつなのだ。ドラクエもFFも、これに比べればものの数 じゃアない。

 六代目圓生が(いきなり圓生の名が出るのもナンだが)若い時分に、義父の五代目圓生が若い義理の息子を可愛がってとにかくあちこちにやたら売り込み、徳川夢声な どに言わせると
「自分の評判を落としてまで」
 バックアップしたことが、後の六代圓生の業界での地位に大きく影響した。
「自分の評判を落とすくらい」
 の覚悟でないと人は売れるものではないし、それくらいまた人を売るのは面白い。ただ、五代目圓生が六代目を売り出すに当たってやった一番大きなことは、六代目が売れてきた途中でポックリと死んで、彼に圓生の名を継がしたことだろう。これだけ はいかに私が彼を見習おうとしても出来ないことだな。

 8時朝食。ミカン、バナナ、ニンニク抜きのガスパッチョのようなもの。それと青汁。変則的な朝食とは思うが、少なくともこれを半年以上続けて、腸の具合とかは極めてよし。ミクシィ日記などつけ、たまっている雑誌などに目を通し、家を出たのが 11時半。

 やたら山手通りが混んでいる。建国記念の日だからなのか、右翼の街宣車がNHKの周囲を取り巻いているらしく、道々に機動隊が出張っていて物々しい。休日なのでさまで差し迫った連絡事項とかはなし。フリー編集のダラさん(マイミク)にちょっ と業界内マル秘事項関係で問い合わせなど。

 鶴岡から電話。無闇に面白いが表には絶対出せないような会話。1時半、昼飯。オニギリ黒豆納豆あさり汁。表サイト日記更新続き。それからFRIDAY四コマネタ出し。吉野家牛丼復活で長蛇の列のニュース。これ見ると、今の日本人が求めているのは“突出して優れたもの”ではなく、“そこそこの味でいつでも手に入り、日常として存在するもの”、つまりはいつでもそこにあるということで安心感を得られるもの、であることがわかる。現代人のニーズはまさにその“いつもあるものがあるところにある”安心なのだ。こと牛丼に限らず。例えば『笑点』の視聴率はあれだけ面白くない番組であって常に20パーセント、時に23パーセントくらいまでいく。あれがなくなると、日曜の夕方、人々は途方に暮れるのだ。面白いことが存在意義なのではない。そこに変わらずあることが存在意義なのである。

 私の業種に引き寄せて言えば、評論家という人種の多くはそこに気がつかず、あるいは気づいていてもプライドがそれを許さず、突出したものばかりを取り上げようとする(プライドの問題ではなく、平凡なものをその平凡さで評価する技術がないのかもしれない)から、いまだ評論は社会を動かす力を得られていないわけだし、風呂敷 を広げれば、団塊の世代ばかりを対象にしてきた日本の指導者たちの、
「変化こそ美徳」
 という思想自体がいま、大転換を求められていることになる。日本人が最もいま、飢えているのは“相変わらず”というその安心感なのだ。

 8時半まで雑用。タクシーで下北沢『すし好』。今日はK子がアシスタントと半徹夜のスケジュールで仕事なので母と二人。好物の白貝があったので三つほど焼いても らい、あとは握り。

 母は『アレキサンダー』を今日観に行き、シニア料金のことを訪ねたら窓口のお姉 ちゃんがブッキラ棒に
「シニアは60歳以上ですよ!」
 と言って、
「私70歳なんですけど」
 と証明書を見せたら向こうがあわてて謝った、というので非常に機嫌がよかった。

 ひらめ、トロ鉄火、甘エビ、煮はまなど、二人かなり食べたが料金は大衆的。ただし持っていった割引券はタッチの差(1月31日まで)で期限が切れていた。帰宅、ちょうど時間なのでネットTVでふらないを見ようとしたが今度はそもそもつながらず。ソフトに問題があるらしい。DVDで無声映画版の『ロスト・ワールド』見て、水割り缶一本。冷える々々。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa