裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

日曜日

パジャマ大名

 譜代・親藩以外ネグリジェは許可されません。朝6時半起き、入浴。だいぶよくなりはしたが、まだ腰、痛む。原因がわからないのが不安である。ギックリの心配はない、とマッサージの先生が言ってはくれたが。食事、エダマメとキャベツ。キャベツの外葉のポタージュ。食べつつ、これは風邪かも、と思いつき、麻黄附子細辛湯をの む。雨瀟々。これも腰にはよくない。

 雨中をタクシーで出勤。自分のネットをのぞいて驚くのもなんだが、一行知識掲示板のスタイルが変わっている。パイデザ平塚くんからのメールあり、ニフティのメンバーズホームページの終了に伴う移転であると。そうそう、前に報告は受けていた。アニメ夜話出演料の件をK子に転送、それからFRIDAYコラムを一本書き上げて編集部にメール。新潟のYくんから電話、やっと夏休みがとれたので上京する、とのこと。じゃあ『うわの空』観にくるかい、と誘う。と、言うより、来ないと今日は私 と合流できない。

 1時半、サンモールスタジオ。受付にいた島さんに話して前売り券を買い、階段のところで並んで待つ。ずいぶん早くから並んで待っているお客さんがいる。日野裕子さんが整理係をやっていたので、“あなたの淡路だけ観られなかったんだよ〜!”とわめく。ほどなくYくん来たので、しばし立ち話。すぐ後ろにはみなみさんも並んでいた。やがて入場が開始され、Yくん席についたところで、本公演最後の楽屋見舞。最終日だからみな、静粛な面もち、かと思っていたがいつに変わらず和気藹々なのが ここのよさ。おぐりゆか、日記を読んだらしく、片目を手で押さえて
「カラサワさん、ほらほら」
 と。手じゃちょっと、ではあるがやはり可愛い。一応お約束で“ウワッ”と顔をそらす。

 三橋俊一さんが、アンケートのバインダーをパラパラ眺めていたので、私ものぞかせていただく。知り合いの名がたくさんあるのがうれしい。銀河出版のIくんなどのものもある。名前の中に、“右近健一”とあるのでオヤ、と思う。職業欄“役者”とあるからやはりあの右近さんである。裏側に大変満足した旨が書かれてあった。村木 さんたちに
「この人、劇団新感線の人ですよ」
 と言ったら、そのアンケートの日付を見て、村木さんが“うわ!”と声をあげた。
「この日、俺、ギャグの中に“古田新太”って名前出したんだよ!」
 と。まったくのアドリブで、この日一回しか使わなかったギャグ。そのギャグを入れた日の客席に、新感線の人がいたとは、西手新九郎スマッシュヒット。聞いていた 右近さんも仰天したのではあるまいか。

 客席にもどる。土田さんが、最後の前説をやっている。さすが一ヶ月やっているとちゃんと前説で客を笑わし、温める術が身についている。客席には海谷さん、客席後ろにはスチールの堀川さん、そして照明の山森さんと、うわの空スタッフ全員が揃っている。やっぱり安心する。山森さんは初日に来て、それから仕事で二日目から来られなくなり、その間土田さんが照明と音響を一手に引き受けていたのである。今回最大の功労賞だろう。それに応えて、か、村木さんがひとつ、劇中で土田さんに、隠しギャグをぽーんとふった。あわてた彼女の立てた“ガタ!”という音が暗い場内に響き、客席大爆笑。そして、久々に来た山森さんも、ちゃんとその存在感を見せた。つまり、劇中の『エレクトリカル・パレード』のギャグのとき、照明がなんと、舞台だけでなく、客席の方にまで広がっていたのである。千秋楽のみの仕掛けとは贅沢な。

 実は午前中、仕事の資料を探そうと書棚をのぞきこんでいたら、2001年のうわの空公演『ラストシーン』のパンフが出てきた。キャストを見て意外だったのは、総勢十数名の出演する芝居に、座長の他には高橋奈緒美、島優子、小栗由加の三人しか今の劇団メンバーがいないということだ。尾針恵も小林三十朗もみずしな孝之も、宮垣雄樹も牧沙織もいない。これだけうわの空の色に染まり、誰ひとり欠けても成り立たないというイメージのメンバーなのに、その形態が今のようになったのは、ホンのつい最近なのである。改めて、みんなを統合し、ひっぱっていく村木藤志郎のパワーを思う。そして言えるのは、座長の人的な成長が、この『ラストシーン』の当時に比べて、如実だということである。はっきり言って、『ラストシーン』の頃の村木さんには、自分が舞台を仕切らねば、という感じの力みがあり、カラ回りもあった。それが、いくつかの公演、そして紀伊國屋ホールという経験を経て、メンバーそれぞれのいいところを引き出し、それぞれの見せ場ではまかせきり、自分は要所々々でキュッと芝居を締める、という、本当の意味の座長の風格が身についてきたように思う。

 私の日記を読んで、また直接にチケットを渡されて行った人たちがよく感想メールをくれたが、中に何通か、“とっちらかった芝居だが面白かった”というものがあった。確かに、なにしろ主役を困惑の極みまで陥れる大混乱を描く芝居なのだ。とっちらかさねば成り立たない。しかし、ここまでとっちらかると、もし、普通の芝居に慣れた俳優さんなら怒り出すところかもしれない。ストーリィ上のアノミー(無秩序)は、往々にして実際の構成上のアノミーにまでなってしまうことがある。役者さんたちが流れを読めず、個々に勝手な演技計画を立てて芝居せざるを得なくなっていくからである。そこらの綱渡りのハラハラは大変に芝居を面白くするが、観ていて疲れることも事実だ。今回の『悲しみてやんでい』が、とっちらかるだけとっちらかった話なのに、観ていてのそういう不安が全くなく、肩の力を抜いて観られるのは、ひとえに、この劇団の、家族以上の互いのつながり、信頼感が基礎にあるからだろう。もちろん、このつながりの強さは逆に劇団のベクトルを内側に向けて、スケールを小さなものにしてしまう危険性があり、それがうわの空というグループの、今後の成長への 課題なのだろうが。

 成長という意味なら、まだ本当にしたのかどうかは未確定ながら、宮垣雄樹がいい役を貰って最初から最後まで、実にいきいきと圓藤を演じていたのが、長い公演を終えての印象。ただのバカ役だと最初は思っていたのだが、実はお芝居の流れを、陰でコントロールする大事な役でもあったのだ。唐突に出てくる“最上級の土下座”の説明が唐突に見えないのは、このキャラあってこそである。めくりのギャグとかは、笑えるにしても現実性なさすぎなのに、そこに観客をシラケせないでどんどん進めてし まうところがスゴい。

 芝居の進行に連れ、登場人物たちが、最後まで板の上に残るキクチ、宮垣、山崎、高橋、島以外、自分の出を終えて、次々と去っていく。ああ、これで、この場所で淡路に、予備八に、百蔵に、みけに、席亭に、よし子に、もう会えないんだなあ、と思うと妙な気分になって、退場シーンのたびに鼻を何度もこする。おぐりゆかのよし子が最後に退場するとき、目に涙がいっぱいたまっていたのを見て、その気分が絶頂に達する。いつでもまた再会が可能な映画と違い、まさに芝居は一期一会であり、これと同じ芝居はもう二度と観られない。そこが芝居のよさなのであるが、寂しいことは 寂しい。

 最後、舞台の上に全員が揃い、三本締めで一ヶ月公演の最後を飾る……と思ったらさらにもう一回、宮垣雄樹の音頭で、“ハッスル、ハッスル!”があった。暑い夏にさらにふさわしい締めだったかも。土田さんのところに行き、まず何よりもご苦労さま、と。“やられましたね”とアドリブのことを言ったら、“何かくるとは思っていたんですけど……やられました!”と。最後に出るとき見たら、座長が客席に座って じっと舞台を見つめていた。

 楽屋で挨拶。キクチマコトさんが、おいしそうにタバコを吸っていた。しゃべりづめ、出っぱなしの一ヶ月なので、喉をいたわるためにこの公演中は禁煙していたとのこと。島さんに打ち上げの会場の地図を貰い、Yくんとみなみさんに渡す。破裂の人形さんがいたので、打ち上げ誘うが、胃の具合が大変悪く、今日は失礼します、とのこと。最終日の打ち上げに出られないとは運が悪い。メンバーたちはこれからすぐ、舞台撤収作業。大変だなと思うが実は私も大変であって、これからすぐ、新宿へとってかえしてNさんと打ち合わせ。実はギリギリで、今回最終日なのでみんながそれぞれギャグをどんどん付け加え(尾針のダンスもたっぷりだったし、ネタばれ掲示板で話題だった“大きな栗の木下くん”のギャグのたまバージョンでの、みずしな孝之の“着いたー!”も見られて満足。なんと島さんまで突然、山瀬まみの物まねをやり出したのに爆笑した)、時間が2時間半(こないだの『夏の夜の夢のように』と同じだね)に延びた。最後は時計をチラチラみながらの観賞だった。ナンとか間に合う時間 に終わって一番喜んだのは私かもしれない。

 まだ雨の降る中、通りまで出て、タクシー拾って新宿まで。運転手さんがいきなり
「とうとう最終日ですねえ」
 と話しかけてくる。思わず、
「長いようであっという間だったねえ」
 と答え、答えてから、エ? なんでタクシーの運ちゃんがうわの空の公演のことを知っているんだ? と驚いたが、ああ、オリンピックのことか、と一瞬遅れて気がついた。そんなのもあった、というくらい、この夏は書けない原稿とこのうわの空の芝 居でイッパイイッパイであった。うわの空は終わったが原稿はまだ。

 時間割、先について冷抹茶を頼む。お菓子(抹茶カステラ)がついていた。食べるまいと思ったのだがつい、食べてしまう。ダイエット中なので、糖分に口中が飢えているかのように吸収しているような感じ。甘さが染み渡る。やがてNさん来て、掲載作品(変な小説のアンソロジー)候補の載った雑誌を手渡す。用はそれで終わりなのだが、いろいろと雑談するうち、このあいだ寝床でふと思いついた企画をちょろっと話してみる。本業関係の企画である。それがただの思いつきなのか、それともNさんのようなプロの目から見てモノになりそうなものかを確かめようとして、だったのだが、聞いているうちにNさん、うーんと考える表情になり、メモを取りだして記録し はじめ、やがて
「……いけますよ、それ!」
 と。この仕事が終わったら、ちょっと持ち回ってみるとのこと。ひょっとしたら、ヒョウタンからコマ、になるかもしれない。出たら雨は上がっていた。

 そこから仕事場までまたタクシー。途中で運転手さんが、いきなり“パチッ!”と大きく手を叩いたので驚くと、“あ、すいません! 蚊がいましたので”と。晩夏らしいエピソードだが、運転中に両手で叩くんじゃない。6時半帰宅、某所に先ほどの 企画のことなどを書く。

 7時半、Yくんが来る。一緒に新宿の居酒屋『志ろう』。紀伊國屋ホールと同じ打ち上げ会場。階下でみなみさんが待っていたので一緒に。紀伊國屋ホールのときにもいた、世にもコワイ顔のお兄ちゃんと、世にもやる気のない顔のお兄ちゃんがまだいた。結局、われわれが一番乗り。端っこの方で話していたら、続いて海谷さん来る。どこか変だ。よく見ると、さっき会ったときにはあった無精ヒゲが綺麗に剃られている。“打ち上げまで時間あったんであたってもらいに行ったんですよ”と言うが、ベ ギラマの日記に書かれていたように、ヒゲを剃るとなおさら、
「ドーピング疑惑のハンマー投げ選手に似てる」
 ことを確認。あの“アヌシュ”って名前は萌え系なのではないか。ロリ少女が舌たらずにアヌスのことを“あぬしゅ”と言うみたいな。

 やがて続々と出演者、スタッフ、お客さんたちが入ってくる。それぞれに“お疲れさま、ご苦労様”と挨拶。遅れて開田裕治夫妻も到着。あやさんはワンフェスで買った猫耳を、おぐりや尾針、島さんにまでつけてみせている。おぐりは目を痛めてから眼鏡をかけているが、猫耳姿の写真を撮る、とカメラを向けられたとき、さっと眼鏡 をはずして表情を作る。あやさんが
「猫耳に眼鏡、だったらもうオタクファンが黙っておかないのに、眼鏡を外すというのはわかってない!」
 と怒っていた。まあ、オタクファンがつくのが果たしていいことかどうか。

 奈緒美さんや松下知佳さんとも話す。ふと気がついたら、隣にキクチマコトさんがいたが、本当に静かな人なので、気がつかない。今回の芝居はキクチさんの個性と、劇中での“何があっても高座を回す”立前座の役割が本当に合致していた。やがて座長が来て、改めて打ち上げの乾杯。発表によれば今回の入り、通算で1500人のお客さん数であったという。28日間32公演だから、ワンステージ46人の勘定。なにか少ないようだが、間にお盆をはさみ、客数15人という日もあったそうだから、入ったときは立錐の余地がなかったということ。なかなかの奮闘である。大入りが恒例で出て、私もそのお相伴に預かった。今回、日記からのみのリンクだったが、トップページに載せていれば、もっと効果があったのではないかと思うし、前々から準備をしていれば、もう少しこの芝居に見合ったメディアに売れた筈である。次回公演からは、部外宣伝担当としてもっといろいろアイデアを考えることにしよう。その件で座長とちょっと内緒ばなし。座長“決まればいいなあ”と。

 小林三十朗さんは、今回の舞台で見て最も難しい役柄だったと思う。なにしろ、予備芸人なんて商売、明治の頃の寄席なら知らず、今ありえないのだから。それをその存在感でリアルに演じてしまった彼の演技力が光っていた。そう言ったら、自分でもあの役はつかめていなかったのが、私の初日の日記で“居場所のない中で居座っている”という表現があり、あれでやっと“ああ、こういうことなのか”と理解できた、と言ってくれた。お世辞でも役にたったと思うとうれしい。土田さんは、例の座長のツッコミ、何か返せなかったのがクヤシイと言っていた。

 おぐりゆかは最初こそおとなしくしていたが、やがてビールが回ってきたか、本領発揮でどんどんテンションを上げていく。毒舌というか天然のツッコミ屋というか、打ち上げ後半ではもう、何というか、“凄い生き物”としか形容のしようがないような状態。ただ見ているだけで抱腹絶倒の面白さだが、これがこの現場にいる人間にしか伝わらないのがどうにももどかしい。何か、このパワーの有効利用ができないか、と、つい考える。火山とか台風のパワーで発電することは出来ないかと研究している科学者の気分になった。また私に片目を隠してホラホラ、と顔を近づける。そのたびにワー、と言って倒れていると、みずしなさんが
「ウソだあ、そんな片目に弱かったら、おすぎとピーコ見られないじゃないですか」
 と言う。別に片目ならナンでも弱いワケじゃない、片目を覆っている女の子に弱いだけです、と訂正。第一、片目が全部ダメなら『刑事コロンボ』も見られない、と言うと、おぐりとみずしなさん、揃ってエッ、と言う。その場にいた、別の若い子も、 一緒になってエッ、と言う。

 いや、あのピーター・フォークってヒンガラ目でしょ、あれ、右目が子供のころに出来た腫瘍のせいで、摘出されているんで、義眼なのだよ、と言うと、みんな、右手を上下させて“へえ!”の合唱。……ええーっ、これって常識じゃなかったの? おぐりが知らないのはムリないが、みずしなさんまで知らないとは……しかし、考えて見れば、日本でピーター・フォーク人気が沸騰したのはすでに30年前の1970年代中盤。今年31歳のみずしな孝之さんはまだ生まれたばかりだったのだ。あの当時TVガイドやザ・テレビジョンを集めまくってコロンボトリビアを仕込んでいた私であったが、まさか30年後、その知識で人を“へえ”と言わせられるとは。

 はっちゃけるおぐりに比べ対照的に静かだったのが尾針恵。今回は十二分に個性を発揮できて、“代表作”といえる役を残せた。島さんを人に紹介するときに、いまだに“あの、ロボットのクラリス”と『一秒だけモノクローム』のときの役で通じるように、人に覚えられる役を得た役者は、その後が全然違ってくる。今回もっとも得し た女優さんだろう。ちょっと話していたら、いきなり声優声で
「唐沢アニさん」
 と呼んでくれた。わっ、と、またぶっ倒れる(よく倒れる男だね)。片目フェチは自覚があったが、アニさん、は今まで自分の知らないところにあったツボだ。
「君、これからはカラサワ先生と呼んではいけない。常にアニさんと呼ぶように。い いね!」
 と強く厳命。開田さんが“もうカラサワさんの歳なら師匠の方がいいでしょう”と 脇から余計なことを言う。師匠じゃ萌えないのである。

 12時まで騒ぎまくり、そこらで一本締めをしてお開き。島さんに犬の日の日程を早く決めよう! と言って、外に出る。雨はやんでいたが、道がかなり濡れていて、すべって転んでしまった。出演者のみなさんはたぶん、これから朝までまだ飲んで騒ぐのだろう。まさに夏の夜の夢。ちょっと長い夢だったが、いい夢だった。別れ際に村木さんと、これからまたいろいろやりましょう、と握手。明後日からフィンランドに行くみなみさんにご無事で、と手をふり、タクシー開田さんと相乗りで帰宅。明日から切り替えないとツライぞ、これは。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa