裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

金曜日

江戸家こみけ

 江戸家みけの弟子で、小みけ(あ、また『悲しみにてやんでい』観てないとわからないタイトルを)。朝6時半起床、入浴その他済ませて7時半朝食。クルミとキャベツ、焼きカボチャ、スイカ。テレビ東京の『キム・ポッシブル』、今日はエリア51ネタ。サタイアやブラックなギャグもあるが、そこはディズニーで、シンプソンズやサウス・パークの1/100くらいのヌルさ。とはいえ、それはあらかじめ設定している線に沿ってのヌルさなのであろう。

 バス、15分のを目前で逃す。走ったので吹き出る汗をぬぐいつつ10分待って、25分の。やれ、やっと涼しい車内に、と思ったが、冷房がどうも故障らしく、さっぱりきかない。途中で、運転手さんが“エアコン故障のため、窓をあけます”と、全部の窓を開け放して運転したが、いつもに比べるとやや涼しいここ一両日の朝の風が 吹き込んで、これはかえってさわやか。

 SFマガジン原稿、書き出す。メール、アマゾンから『アニメ夜話』収録の予定、やっと通知。アスペクトから『華氏911』観賞の予定スケジュール。8月はヒマ、という前提でたてていた予定はどうなった、という感じ。昼はウィダ・イン・ゼリー 一袋と、おにぎり(高菜の)小さいのを買って一ヶ。

 SFマガジン、4時半に書き上げてメール。書きながら参照する資料の中に、書いていて気がつく発見があったときは嬉しいもの。今回もひとつ、そういうのがあり、自分で“ふうん”と感心してしまった。自分で自分の原稿に感心するのもアホだが、筒井康隆は自分の原稿を自分で読んでゲラゲラ笑うそうだから(奥さんが、“よく読者の方から「電車の中で読んで吹き出しそうになって困った」とかお手紙をいただきますが、書いた本人が笑うのですから、確かによほど可笑しいのだと思います”と、 『面白半分』誌に書いていた)まあ、いいか。

 6時半、家を出て新宿御苑。うわの空藤志郎一座『悲しみにてやんでい』3回目観劇。劇団にとってはちょうど10回目の舞台。朗読ライブをプロデュースしてくれる松竹ネットワークのIさんをお誘いして、一度島さんと面通しをさせておくため。とはいえ、今日は島さんが持ち役の女性雑誌編集者・太田ではなく、ちょっと役としては小さい女講談師・神田淡路なので、そこらへんはやや残念(個人としてはいろんな役を演じているところが見たいのだけれど)。少し早めについたので、近くにあった『古書と古本の店』と看板のかかった本屋さんに入ってみる。入り口から想像するよりずっと奥行きが深く、人文系のいい本がちょっと充実している。へえ、こういう店があったんだ、と嬉しくなって、棚を散策しているうち、どこかで見た顔の客が入ってきたな、と思ったら、ミリオン出版のYさんだった。彼も今日、うわの空を観にき てくれたという。おお。

 受付で挨拶。おぐりゆかと(彼女の名前の表記は、小栗由加とおぐりゆかの二種類あって、“どっちが正式なの?”と訊いたら、“どちらでも、お好きな方で!”ということだった。女優さんなんだから、やはりマスコミ向けの正式な表記はどっちなの か、決めておいた方がいいと思うんだけれど)話していたら、彼女が
「ナイショにして驚かそうと思ってたんですけど……見ました?」
 と、新しいパンフを広げてみせてくれた。ツチダマさんが描いた、うわの空一座公演恒例の役者似顔絵の中に、私の顔がスーパーバイザーとして描かれていた。その顔が、実にいい人の顔に描かれていて、とても喜んでしまった。私の似顔というと、あのグルグル渦巻き眼鏡のオーソドックスのもの以外は、やたら老け顔に描かれたり、ひと癖ありげな策士表情に描かれているもので、こういう柔和な顔に描かれているも のはまずなかったんである。

 もちろん、どこか人を食ったような顔にはなっており、“ちょっと伊藤一葉入っているネ、これは”と言ったが、おぐりは伊藤一葉を知らなかった。まあ、ムリもないか。この人が一番売れていたのは彼女が生まれる前の1975年頃、死んだのが79年、もう25年も前になるのである。もちろん、描いたツチダマさんも伊藤一葉など知らないだろう。とぼけた芸風で、舞台で何の変哲もない奇術を披露したあと、おもむろに“……この件に関して、何かご質問はございませんか”と発する台詞で、一躍人気者になったが、やがてブームも去り、露出も減ってきたあたりで、癌で死去、享年45歳。好きな芸人だった。彼の死んだ年齢をもう越している、と思うとちょっと 感慨あり。

 おぐりは今日、コミケに行ってきたという。開田さんや私が今日もいるか、と思ってだったらしい。まず第一に三日開催だから出店者は三日出ているというのがカン違い、それから“行けば開田さんのブースとかは見つけられるだろう”と思うのが第二のカン違い。行ってどうだった? と訊いた感想が“どうしてみなさん、ああいう風 に同じ格好なんですかね?”というものだったのに大笑い。

 Iさんも来て、並んで舞台観賞。お盆のことでお客の入りが心配だったが、案外当日券のお客さんが入ってくれる。Yさんの他にも一人、“裏モノ日記でこの劇団のことを知ってきました”というお客さんがいたので、ちょっと鼻を高くしてしまう。だが、“私、以前も日記で『華暦』を知って、予約して行ったんですが間違えて六本木の神谷町に行ってしまい、そのことを女将から聞いたカラサワさんに、「そういうマヌケな客もいる」と日記に書かれました”と言われて、ダアとなる。このあいだの私のファンを小野教祖などと書いてしまったこともあり、まったく、筆は災いの元。他 に、コミケで上京した岡くんを連れた開田夫妻もやってきた。

 今日のキャストは島優子が神田淡路、蓑助が山崎功、お席亭が旭丘弥生、金原亭百蔵がティーチャ佐川真、日替わり出演は三橋俊一。そしていつも島さんが演じている雑誌記者は松下知佳が演じている。島さんは『うわの空注意報』の今月号で、女優陣の尻をさわりまくる親父キャラとして描かれていたが、そのイメージで、やたら松下知佳の尻に手をのばして笑いをとっていた。松下知佳は、思ったよりも好演。初めて一ページ、自分の企画をやらせてもらうことになって嬉しくて張り切っている、やっとライターとして一丁前になってきたばかり(だから落語家の出世にも自分をWらせて見ている)、という女性のイメージにはむしろ適役である。島さんだと、何かもっと有能な、この人なら副編集長くらいまでにはなってるだろう、という感じにどうしてもなってしまうのである。いや、もちろん場の中で、状況がいまいちわかっていない、というボケ役に関しては代わりがいないのだが。牧沙織いま現役なりせば、やはりこの役などをダブルキャストで演じるのだろうが、さて、どんな記者、どんな淡路先生を演じてくれたろう。あるいはよし子役か?

 どんどん公演途中で芝居の内容が変わってきてしまううわの空だが、前回までとの変更点は、まず尾針恵の江戸家みけに、ちゃんと“猫耳”“猫尻尾”がついた。その猫耳が、その後……というギャグもあり。そして、最も大きな変更点が、おぐりゆかの演ずるよし子の、“人生いろいろ”に対するリアクションである。なるほど、こちらの方がおぐりのニンには合っている。……とはいえ、ケナゲ系が好きな私としては 前のバージョンも捨て難いのだが。

 村木藤志郎、本日も絶好調。C調男の独楽回し、三増紋寿のいいかげんぶりもいいが、千葉生まれの江戸っ子紙切り、林家三楽の発する“クエッ、ケーッ”という怪鳥音が凄いインパクト。開田あやさんが後で“あの二人の高座が見たかった!”と言っていた。みずしな孝之の、客にケられて落ち込んで、壁にズデーッと凭れている姿も 爆笑だし、全体に笑いの度合いがどんどんスケールアップしている。

 一方で不満もそうなると出てくるのが常で、よし子の性格変更も伴って、ブロッコリーのキャラクターがちょっと輪郭不鮮明になってしまっている。最後に師匠に認められる、その認められるキッカケ、いや逆にこれまでそれを阻害していた要因とは何か、が伝わりにくい。女と芸のどちらを選ぶか、の迷いが、よし子の一言で吹っ切れたということなのかもしれないが、落語家の芸というのはそういうものでもないだろうし。ただ、そういうストーリィの欠点は見終わった後に気がつくもので、芝居が進行している間は、ただ笑いっぱなしなのだが。隣のIさんも体を倒して笑っていた。

 ハネた後、島さんにIさんを紹介。ちょっと打ち上げいかがですか、と誘われて、ついていく。村木さんなどと、御苑近くのうまい店の話をしていたら、打ち上げ担当 の島さんが
「はい、みなさんでおいしい食べ物の話をしながら、どこへ行くかというとぉ、『和民』でぇす」
 と。ぞろぞろと二十名ほどで。和民ってどこだ、と思っていたら御苑前駅の角。Iさんと“ここ、昔劇場でしたよねえ”“つぶれちゃったんだなあ”と話す。“VIEPLAN THEATER”という、新宿でもちょっとは有名なホールであった。地下に降りる階段もそのまま、なのがちょっと哀れを誘う。住宅設計建設が本業の岡さんが、周囲の照明看板などをポンポン、と叩いて、“なるほど、応急改装の安普請で すね”と。いろんな見方があるものだ。

 座敷で乾杯、雑談いろいろ。Iさん、やたら熱の入った感じで島さんと朗読ライブの話をしていた。尾針ちゃんに、あれだけのハマり役めったにないんだから、今度から“江戸家みけ”に改名しちゃったらいいじゃない、ねえ、毒蝮三太夫という例もあるし……と、無責任なことを言うと、村木座長“本家の江戸家から文句きますよ”と言う。ティーチャさんの演じた大御所のモデルの話になり、弟子を大事にするところから、彦六の正蔵師匠かと思っていたと私は言うが、それでも今のお客には通じないので、圓楽師匠をモチーフにしているようだ。弟子の出世がとにかく早い、という点ではそうかもしれない(それを使った大きなギャグがある)。私の話は相変わらず古く、ティーチャさんの風貌は四代目の三遊亭円遊師匠に似ている、というような話など。あと、客席に終始クスリともニコリともしない男女がいたが、あれはヨソの劇団の関係者ではないか、と話が出る。しかし、ヨソの劇団からスパイが来るようになれ ば一人前ですよ、とか。

 客からケられた話も面白い。村木さんは演ってる最中に、真ん前の席に座った客がいきなり立ち上がって帰った経験があるそうである。それで思い出した話。北村想が書いていたが『戯曲・猟奇王』を初演したとき、張り出し風の舞台だったのだが、憤然とした客が、立ち上がって“役者が演じている舞台の上を横切って”帰っていったという。今、そこまでやる強気の客がいたらかえって大事にしてやりたいくらいだ。

 松下知佳さんは誰かに似ている、とずっと思っていたが、昔『QJ』の編集兼ライターやっていたOさんのイメージだ、と思い出し、あやさんと盛り上がる。で、当然のことながらOさんを知らない松下さんに説明。もう何年も前だけど、あまりに発言の場を読めないで、バカと言われて腹を立て、私を訴えた男がいて、当時その男のカノジョだった人で……というような話を。わかるかな。しかし、その裁判が結果的にこの日記を生んだ、というオチは、落語ではないが何回話してもウケる。

 なんだかんだと11時半まで。開田さん夫妻プラス岡くんとタクシー相乗で帰る。開田さんはよし子の最後のあの行動は納得がいかない、と言う。私もあれではブロッコリーが可哀相だとは思うが、しかしあそこで全てをハッピーエンドで納めてしまっては、あまりにものごとがうまくまとまり過ぎるし、それこそブロッコリーを奮起させる要因がなくなってしまうような気もする。おぐりゆかのあのキャラで救われているが、あのよし子ってキャラは絶対的イノセンスな悪魔かも、と思う。そこらへんを突出させて描けば、話は全然変わってしまうが、面白いかもしれない。しかし、映画を観た後や落語を聞いた後の会話は必ずしも映画論、落語論にはならないのに、演劇というのは、観た帰り道の会話が必ずといっていいほど熱い演劇論になるのはこれ如何に。やはり、完成されフィルムの上に焼き付けられたり、古典として型が出来ているものと違い、演劇というのは大いなるナマモノなのである。だから、観たものがみな、イッチョカミしたがるのである。さあ、この日記を読んでいる諸君も私と一緒にうわの空一座の芝居を観て、演劇論オフをやろうではないか。何、夏は忙しくて時間がない? 何をいまさら。いいか、君の妻と子供と猫とミドリガメ二匹とダルマインコは私の手にあるのだぞ。それを覚えておきたまえ。逆らうとどうなるか……。
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