裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

木曜日

ジョーは山中、美枝は浜

 いまはセバスチャン・ジャブリゾと(まったく意味なし!)。朝、歩道橋の上に大きなツバメが並んで巣を作っているところにさらに大きなカラスがやってきて、ツバメたちを頭から丸呑みする夢。聖書に出てきそうな夢だな。朝食7時半。黒豆とキャベツ。果物は二十世紀。体調改善のため、麻黄附子細辛湯をのむ。もっと早くにのんでればよかったかもしれないが、これのむと全身熱くなって汗がふきでるので、今の季節には少し控えようと思っていたのである。この数日、そんなことを言ってる状態 じゃなくなってきたので服用。

 テレビで渡辺文雄未亡人が、氏の病気を“肝臓癌です”と言っていて、やはり、と思う。最近のテレビでの氏の皮膚の色や、加齢とだけ言うにはあまりに多かった染みなどを見て、“肝臓じゃないか”と思っていたのだ。つまり、肝臓癌で死んだ潮健児 の晩年の皮膚の状態とそっくりだったのである。

 タクシーで仕事場へ。運転手さん(30代半ば)、元気よく“ありがとうございます! 今日から勤務の新人で、お客様がご乗車第一号です! よろしくお願いいたします!”と。まあ、道は簡単で、青梅街道まっすぐいって、成子坂下のところで右折して、あとまたまっすぐいってくれればいいだけですから、と道順を教えると、“はいっ、ありがとうございます! 教えていただくとありがたいです!”と、返事は極めていい。ところが、成子坂が近づいてきて、“あ、そこの、次の交差点で曲がってください”と指示すると、“はいっ! かしこまりました!”と返事はしたものの、曲がらずにまっすぐ突っ切る。“え? どうしたの? さっきのところで曲がるって言ったでしょ?”と言うと、初めて気がついたように“は……あっ! まことに申し訳ありませんでした!”とあわてている。返事ばかりよくて、今度はその指示を実行に移さねばならぬ、ということを緊張のあまり忘れてしまったらしい。仕方なく、次の角からちょっと遠回りした道で行く。“お客様にははっきりと応対を”とだけ言わ れて、それの遵守でアタマがいっぱいになっていたのであろう。

 仕事場着、原稿(幻冬舎)一本まとめて、Nさんにメール。体調はさすがに回復してきている。気力もだんだんと。精神なんてのはホント、入れ物である肉体の調子如何でどうとでも変化するものだ。芥川龍之介の自殺の原因は別に哲学的なことでもなんでもなく、痔と歯槽膿漏の悪化による精神状態の不安定であった、という説も頷け るような気がする。

 弁当、お菜はロールキャベツ。食べてすぐFRIDAYのネタ(オリンピック第二弾)書き上げ、編集部Tくんにメール。さらに幻冬舎にコラムもう一本。うむ、確実に回復の兆しである。どうなったか気になっていた、扶桑社のサイン会の件で日程などの報告が来たのも、イライラを鎮める感じ。ただし、内容はこっちのスケジュールに合わず、再考を要すもの。開田さんにこの件で電話。それから、こないだ某件で人を紹介した編集部より、コンタクトとれて今度会いにいくことになりましたと報告。

 なんだかんだ雑用多く、気がついたら6時45分になっていた。うわの空の夏公演初日である。あわててタクシー拾い、新宿御苑まで、と言うが、この運転手、すでに老境と言っていいベテランぽい風貌なのに、御苑の駅を知らず、アサッテの方角のところに降ろされる。タクシー運のない日であった。それでもどうにかこうにか、サンモールスタジオに開演前にはせ参じることが出来た。ふう。入るとみなみさんが来ていたので、並んで座る。他に、扶桑社のOくんが友人連連れて来ていた。

 うわの空・藤志郎一座夏公演『悲しみにてやんでぃ』。春風亭昇太原案ということでもわかるように、寄席の楽屋が舞台で、落語の前座が主人公の芝居である。うわの空・藤志郎一座という劇団は、名付け親が高田文夫さんであることからもわかるように、演劇集団ではあるが、軸足を演芸の方に置いている。その演芸系の本領は毎月のライブの方で発揮されているが、今回は本公演も演芸の世界が舞台。私もかつては足を突っ込んでいた世界なので、期待度が非常に高い。ましてや、今回の舞台、芝居が成立していく段階を、演出補の土田真巳さんが自分のサイトの“稽古場日記”で逐一 報告してくれていた(さすがに途中で中断したけど)。
http://blog.livedoor.jp/mamirine/
 ひとつのものが“出来上がっていく”過程というのは実にスリリングなもの。私など、トークライブでも講演でも、前準備をしていったことなど滅多にないアドリブ人間なもので、こういう演劇畑の人の姿を見ると、“トテモかなわないなあ”と思って しまうんである。

 この芝居は一ヶ月公演で、これから数回、通って見るつもりなので、これからどんどん感想が変化していくと思うが、ただ、主人公の名前が“立花亭ブロッコリー”、というだけで、誰がモデルかはわかるだろう。恋人に“一人前になるまで4年間、会わないでおこう”と約束して、その年数をはるかに過ぎてしまった前座の物語。タッタタ探検組合のキクチマコトがこのブロッコリーに扮し、『水の中のホームベース』でも見せていた、“個性的なまでの影の薄さ”という特異なキャラクターを活かして好演している。しみじみとした、万年前座の悲哀、がテーマなのだが、そこはうわの空一座、今回は主役を客演男優にやらせている分、他のメンバー全員が大ノリの演技で、主役を徹底して食うぞと大張り切りしている。いつもの、場の中の微妙な異物感演技の島優子、張り切りバカを地で行っているかと思われる宮垣雄樹、木久蔵師匠のクローンかと思ったみずしな孝之(本公演ではマゾっぽい役、というキャラクターが定着したらしく、いじめられ顔が絶品)、“居場所のない中で居座っている役”が絶妙の小林三十朗、客演ながらすでにうわの空の顔になっている八幡薫(ライブで大ウケだったアレを今回もやってくれるのが嬉しい)、あ、本物の前座さんをどこかからつれてきたのか、と一瞬思った山崎功(前・うわの空)、本物の女性講談師かと一瞬思った旭丘弥生(最後の“これにて読み切りとさせていただきます”という口調、まさに神田畑の女流講談の口調)、それと相変わらずのティーチャ佐川真先生。これだけのメンバーに囲まれて二時間の舞台、ほぼ出ずっぱりのキクチマコトは、右往左往 する役なのだが、本当に右往左往しているように見えた。

 中でも座長・村木藤志郎の張り切りはこの人の引き出しの多さを徹底して活かした大怪演。最後に〆はするのだが、それまではとにかく場を引っかき回すことに徹底して専念していて、臨界を超える凄まじいエネルギーに他の出演者も、観ているこっちも圧倒される。高橋奈緒美の下座の三味線引き・小春ねえさんも、楽器の得意なこの人らしく、実際に何種類もの出囃子や、奇術・紙切などのお囃子、さらにはアイドル歌謡までを三味線で弾きわけるという芸を見せてこっちをウナらせた。で、この人は楽屋の生き字引的な主であり、外見が若いのになぜ……という伏線があるのだが、それが尾針恵のキャラとからんで、こっちの予想を遙かに上回る奇想天外なギャグにな る。これは観てのお楽しみ。

 ツチダマさんからも“今回は尾針恵が一オシ!”とメール貰って、前回のライブのダンスでブレイクしたのを見ていたので期待度大で行ったが、これがその期待を上回るものだった。コメディの主人公というものの基本形は、“みんながなんとかしてまとめようと一生懸命やっているのを一人で勝手にぶちこわすキャラクター”である。今回の尾針がまさにそれ、だった。あの“プイ!”を聞きたさに二回、三回と足を運ぶ客が絶対いるだろう(何のことかわからぬ人、今すぐ予約をして足を運ぶこと)。 三十代以上のおじさん客は絶対にトリコになります。
http://www.uwanosora.com/

 で、その尾針とは正反対に、ライブなどでいつもハジケているわれらがトリックスター・小栗由加は、意外にも今回は、芝居の要になる、しかしちょっと地味めな役。小栗ファンの諸君は非常に不満に思うであろうが(私も思っていた)、いや、これがよかった。彼に待ちぼうけをくわされている間に、人生いろいろありながらも、それでもずっと彼のことを、最初と変わらぬ思いを持って見つめ続けているという役。それを受けるキクチマコトの純な演技も上手いのだが、とにかく、この二人の会話に、キュッとツボを押されてしまった。……誰しも男なら人生の早い一時期に、口には出さなくとも、遠くから眺めて、“きっと、君にふさわしいオトコになって、君を迎えに行くよ”と決意し、そして、ふさわしいオトコについになれないで、置いてきぼりを(勝手な置いてきぼりだけれども)くわせてしまった女性がいることだろう。私にもいる。そのことが、いきなりデジャブになってココロをかき乱され、不覚にも鼻をすすり上げてしまった。うわの空公演では何回も泣かされているが、小栗由加の演技 で泣かされたのは初めて。

 と、ホメはしたが、しかしうわの空の芝居というのは、初日はまだ“素材”なのである。その素材がこれから、どう料理され、熟成され、デコレートされ、あるいはメニューがまったく変わって出てくるかは、今後のお客の反応次第。一ヶ月という無謀な公演期間なので、まだ席には余裕がある。今からでも遅くない、急いで予約しろ。お前たちの妻と子供と猫は私が預かっている。この芝居を観ないとどうなるか……。
http://www.uwanosora.com/

 公演後、ロビーで尾針ちゃんに“ブレイクおめでとう”の挨拶。小栗が“プイ! プイ! プイ!”と口ずさんでいた。彼女と話していたら、アンケートを書いていたお客さんが、“あ、カラサワシュンイチさんだったんですか、僕、ファンで、先生の本はだいたい買ってます!”と。あわてて“それはまことにありがとうございます、私ともどもうわの空もごひいきに……”と頭を下げて挨拶。実はこの人、凄まじい巨漢で最前列の席を占拠しており、みなみさんと、“小野教祖に似てるネエ”などと話していた人だった。いやあ、外見ではわからないです。冷や汗をかいた。

 楽屋に招かれて、初日めでたく幕を開けた乾杯をおつきあいさせていただく。すぐダメ出しをいろいろやっていた。その後みんなてんでに別れたが、うわの空の顧問格のK谷さんに誘われて、みなみさんと、ホンモノの新宿末広亭の近くの、カウンターだけのせまい豚丼専門店で、北海道風の本格豚丼を食べながら、今回の公演や、うわの空の今後についての話。うわの空はあれだけ実力がありながら、まだまだ外にその面白さを宣伝しきれていない、という話になり、今後は外野応援団としてソッチの方で協力しますよ、と申し出る。これまで、部外者がどこまでお節介をしていいか、ちととまどっていたのである。丸の内線で帰宅、12時半。今日は飲んだアルコールが楽屋での缶ビール一本のみ、という、極めて健康的な晩であった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa