裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

金曜日

バイブ告発

 このバイブレーター開発には、アダルト業界からの黒い不正献金が。ゆうべ4時ころトイレに立って目が覚めてしまい、仕方なく日記などをつけていたところ、ぐらぐら、とそう大きくはないが揺れが襲い、しばらく揺れ続けていた。朝、7時半起床。新聞を見るに、北海道でかなり大規模な地震があった模様。串田さんはこれに関して は何か言っていたのだろうか。

 こないだサンマークのTさんとやはり串田氏の話が出たが、T氏はあの程度の誤差なら串田氏の予言は当たったと言っていい、という意見だった。ネットでいろいろ地震予知サイトを見てみたが、地震予知肯定派なら串田氏の理論をみな支持しているかと思うとそうでもなく、『東海アマチュア無線地震予知研究会』なるところ
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/index.htm
 では、串田氏の研究に資金を投ずるなど、ドブに金を捨てるようなものだと断言している。と、いうか、このサイトの主催者は権威とかアカデミズムに抜きがたい怨恨を持っているらしく、串田氏が気に入らないのは庶民を高所から救おうというその水 戸黄門的なところだ、と断じ、
「世の中には、どうしても王様がハダカであることを理解できない人々がいる」
 として、地震関係もそうでない人も一緒くたに糾弾している。
「東大を出なければ優秀でないと思いこんでいる人がいる。組織と資金と先端技術がなければ予知ができるはずがないと信じている人がいる。短足のドスケベバカオヤジ金正日が最高にエライ人と信じ、どんな恥ずかしい命令にも盲従する、北朝鮮美女軍団がいる。天皇がタダの人ではないと信じているバカは無数にいる。(珍宝が一本多いとか?)彼らこそ大学を出なければ、優秀でないと勘違いし、その結果、無数の医療過誤や事故をもたらしている張本人であり、串田氏を支えている人々である。天皇制と串田氏を信奉する人々よ、いいかげんに目を覚ませ!」
 ……“珍宝が一本多いとか?”には爆笑した。ネットを徘徊する楽しみは、こういうユニークな主張に直に触れることができるということに尽きるだろう。
(後記。今回の地震につき、このサイト主催者は、東京スポーツ紙からの取材電話で叩き起こされたそうである。こういう人とのパイプが太いというところ、さすが東ス ポと、また感心した)。

 胃、痛みは全くなくなるがいまだ軽度の膨満感と不快感はあり。虎の子のトラ夫さんの日記を読むと、彼も同じく風邪による発作的な体調不良に襲われたということ。23日夜、お互い肌寒い中で仕事をして、ウィルスにとっつかれたのだろう。あるいは、どちらかがどちらかにうつしたか。朝食はトウモロコシと枝豆、モモさんの温泉卵。二十世紀梨。鳥取産はすでにシーズンを過ぎ、長野産に変わったがなかなかおいしい。ゆうべ遅くのメールチェック。ミリオン出版での企画、編集部、営業、共にパスしたとのこと。後はオーナー社長の裁決次第。

 珍しく打ち合わせなど外出予定が一件もない。今日は一日、ゆっくり休養をとって体力の回復につとめようと思う。入浴のあと、寝転がって早川書房から送っていただいた文庫新刊『なぜ人はニセ科学を信じるのか』(マイクル・シャーマー)1、2巻を読む。もちろん単行本(1999年刊)も読んではいるが、ぶ厚い本で、題名からもわかるように、単なるトンデモ本ぶったぎりでなく、そんなトンデモを信じる人間心理のメカニズムをテーマとし、本来トンデモを断罪する武器となるはずの科学とて絶対不変なものではなく、それを錦の御旗には出来ないとし、ただ、科学がその根拠としている論理性によってのみ、トンデモの非論理をつくことが可能だ、と主張している本である。この慎重な論旨は賞賛に価するが、まさにそのため故に、一回読んだきりではなかなかスッキリと頭には入らない。今回、文庫本で上下分冊で出たのは、 折りに触れての読み返しやすさという点で非常にありがたい。

 私もと学会に所属して10年以上になる。上記の地震予知騒ぎなどを見るにつけても、トンデモ思想というものが、単に人間の科学的無知や無教養にのみよるものではなく、人間のアイデンティティというもの自体の不安定さにその理由の一端がある、ということは大きく感じている(浅薄な現代思想への無批判な傾倒などもこれと同根の現代の病だろう)。そこらへんの考察を近々一本にまとめてみたい、という思いは 大きいが、この本は論旨の進め方はその大きな参考になる。

 特に印象に残るのは、やはり2巻の後半を占める、ホロコースト否定派との戦いの部分だろう。著者は当然ながらホロコースト否定派をトンデモと認定するが、しかし肯定派の中にも、例えば“ナチスが人体から石鹸を作った”というようなデマを無批判に信じてしまっている人々が多い(収容所からの押収品の石鹸の中で、人間の脂肪の陽性反応が出たものはひとつもない)ことも指摘する。自分に都合のいい証拠は採択するが、そうでないものは押し隠そうとする態度において、肯定派も否定派も、あまりに人間的なのである。また、トンデモ思想の打破は、単にそれを論破すればいいというものではない。本書は例の、『マルコポーロ』の廃刊騒動にも触れており、あの事件におけるサイモン・ウィーゼンタール・センターによる広告主へのボイコット勧告という対処方法、さらに議論や討論の余地すら認めないという強硬さが、結果として反ユダヤ陣営に、“言論の自由と調査の自由がユダヤ人によって封殺された”というイメージと、宣伝材料を与えてしまったと結論する。……たとえばまだ記憶にも新しいであろう『TVブロス』誌での、反ユダヤ的言論に対する親ユダヤ(私はこれを“正義”と表現したが)側にたっての過激過酷な告発は、こういう危険性を多分に帯びていた行為であった。改めて、あの時点で、あの執筆者攻撃に単純な正義感から賛辞を送った人々(ことに若い人々)には、本書のこの部分をよく、読んでみてもら いたいと思うものである。

 昼は抜くつもりでいたが、潰瘍が回復して胃炎状態にまで持ち直して(?)いるらしく、腹が空くとシクシクしだす(潰瘍は腹にものがはいると痛みだす)。炊飯器の中の冷や飯に味噌汁を作ってぶっかけ、半膳流し込んだのが3時ころ。朝日新聞社からあったインタビュー依頼の件で、日記を読み返す。某件で、この日記を読んでの依頼があったのである。

 講談社Web現代、原稿にとりかかったのが4時半ころ。先日の神田陽司真打披露パーティをネタに書くが、この原稿は“○○があったからそれを取材に行く”というものではない(そんなどこにでもあるレポートエッセイを書くつもりはない)。あくまで、“ドコソコへ行った”ということをネタに、別のテーマを語ることが眼目のコラムである。書き進めていて、そこがイマイチ弱い。単なる友人の真打披露パーティ記録ではないテーマが欲しい、と思いながら書き進めていて(ホントは書き出す前に思いついていなければいけないのだが、週刊誌連載などはまず、〆切に追われ、大抵の場合、書き出してからマアなんとかなるべさでやりはじめてしまうのである)、規定枚数の半分まで行ったところで、やっと、核になりうるものを見つけ、前半部分のほとんどをカット、それに合わせて書き直す。おかげで8時半までかかったが、まず なんとか、形にはなるものとなった。ふう、と息をつく。

 タクシーで下北沢。『すし好』でK子と待ち合わせ。さすが金曜日で、なんとかカウンター席がとれたが、ほぼ満員の盛況。ここは取り立てて言わない限り寿司は一貫ずつらしく、これは“ちょっとずついろんなものを食べたい”K子には好評。また、ネタによりポン酢だとか、塩すだちだとかで食べさせてくれる。私は単純に醤油とわさびのみという方が好き。とはいえ、スミイカの小さいのをすだちと塩で食べたのは絶品。他にソイ、カレイ、春子鯛、コハダ、煮はま、アナゴなど。あと、青森から上がったという生マグロあり。トロ鉄火にしてもらったがさすがモノが違感じ。板さんが、切り取った脂身の縁の部分を焼いてくれて、“これは(虎の子の)キミ子さんのお気に入りの部分です”と。K子、“あのダイエット女がこんなものを”と言いながら喜んで食べていた。途中で胃の不快感もまったく解消、二人でもりもりと食う。これだけ食ってお値段、前回の割引券を使ったせいもあるが、今回も格安。これが味の評価にだいぶ下駄を履かせているか?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa