裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

月曜日

風前のおむすび

 何かだんだんシャレが“すがれて”きたような……。朝、寝床ですでに消えて久しい社会思想社現代教養文庫の『江戸の戯作絵本』(三)を読む。昨日、と学会例会で原田実氏が山東京伝の黄表紙を紹介していたので、ひさしぶりに善魂悪魂の登場する『心学早染艸』を読みたくなり、引っぱり出してきたもの。思えば仙台で引きこもり同様の学生生活を送っていたとき、ちょうど新刊書店で発売されたばかりだったこの文庫をむさぼるように読んでいた。あのとき、私の胸に巣くったのは、善魂・悪魂ど ちらであったろうか。

 善魂・悪魂のキャラクターは半裸の男性の、頭部がまるい玉になっていて、それに“善”“悪”という区分けが書いてあるという単純なものだが、この玉は設定によれば透明なシャボン玉である。冒頭、“人間に魂というものあり”という書き出し(この文庫では“たましい”と読みがふってあるが、江戸っ子は“たませえ”と読んでいたらしい。“かっこいい”が“かっけえ”になる今の若者語と同様である)で、天帝がシャボン玉を吹いており、それが人間界に降りて人の魂になる、という設定なのである。ところで、ここの絵(北尾政美)では天帝が袍を着て平緒を下げている日本風のスタイルだが、セリフに曰く
「今日のなりは日本に限る天帝だ。ほかの国へは沙汰なし(内緒)々々」
 江戸時代の人間は、もうここらの神様の設定にツッコミが入れられる理性を持っていたのである。

 この『心学早染艸』は寛政二年の作で、寛政の改革のによる取り締まりから、安永・天明の全盛期黄表紙にあった破天荒なまでのナンセンス・パロディ精神は影をひそめ、勧善懲悪の単純なストーリィに、道学の教えが絶対のものとして描かれ、江戸戯作の特徴であった反骨精神、マニアックな凝り方に乏しい。善魂・悪魂の対立は作者も認めているように理屈臭が強く、一面的な描かれ方でしかない。しかし、解説者の中山右尚も不承不承(?)認めているように、そちらの方が、事情通やマニアにしかわからない凝ったうがちが満載の天明黄表紙より一般の読者大衆にはわかりやすく、悪魂踊りが歌舞伎にも取り入れられるほどの大ヒット作となったのである。いつの世もウスいものが受ける、またキャラクター商売に徹したものが受ける。これは大鉄則 であることらしい。

 7時半起床。朝食、サラダスパゲッティほんの少し。フォークでふたすくい、くらい。それにトマト。暗い中、入浴。開田家の冷蔵庫が壊れた、などとK子が人の不幸を喜んでいたら、バチがあたってわが家の風呂場の蛍光灯が切れたのである。食後にネット巡回。中野貴雄監督の日記で、タイトルのダジャレが私の以前のものとカブっているのを発見。よく、こことはカブるのだが、これは逆にうれしい。中野監督のダジャレセンスというのは天賦のもので、同じネタで私などよりはるかに笑えるものをやられると、劣等感でがっくり落ち込んでしまうほどだ。そういう人のネタが私のと同じであるということは、私のネタもなかなかであったという、逆からの証明にもなるというわけである。『クルー』原稿ゲラチェック。

 試写会の件でアルゴH氏から電話あり。その後なをきとメールやりとり。フィギュア王のゲスラ原稿の件、それからモノマガジンの連載の件も。さらに、最近のアニメ実写映画化ブームについてお互いにグチ。昨日の例会でも『鉄人28号』や『新造人間キャシャーン』の製作発表会ネタがあった。
「どんどん6、70年代のアニメが実写化されて、カラサワさんみたいな人にとってはうれしいでしょう」
 などと言われるが、何を言ってるんだ、という感じ。私があの時代の作品を愛しているのはあの時代の雰囲気、あの時代の匂いをひっくるめてのことであって、そこをすっぽり剥落させて、金だけをヤタケタにかけて映像化したところで、出来たものは所詮、抜け殻でしかない。正義の概念すらマッスグに描けないくせに、ヒーローを現 代に甦らせるなんてことをしちゃあいけない。

 60、70年代だって、正義を守る、なんてセリフは時代からズレていた。まっとうな大人のドラマでは気恥ずかしくて口に出来ないものだった。だからこそ、正義の味方はお子さま向けドラマの方に追いやられ、逆に言えば、そこだけが正義のサンクチュアリだった。そこで特殊な発達を遂げたのが、いわゆるヒーローものアニメ、特撮作品なのだ。なんでオタクという人種がアニメや特撮で特権的に語られるのか。音楽や、小説の世界に、マニアは出てもオタクは出てこなかったのか。それは、アニメや特撮が、同じドラマでありながら大人モノのもはや描けない概念を描き得ることの出来る“自由”の得られる場所だったからである。単純に、大胆に、そして飽きもせず、オタク分野であるアニメや特撮は、正義の味方を大量生産し続けていた。それは“未発達だったから単純だった”、のではない。“需要あっての単純だった”のである。あえてベクトルを時代と逆行させていたからこそ、人気を博したのだ。もちろんのこと、多くの作品中にはその単純さから脱しようとしたものも多かった。『妖怪人間ベム』があり、『忍風カムイ外伝』があり、『海のトリトン』があり、『無敵超人ザンボット3』があったが、それらはいずれもカルト作品として一部で人気を得るにとどまっていた。王道は、やはり時代に反逆してまで正義を自称するヒーローたちであった。そこに、彼らの存在意義があったのである。“新しい時代にあわせた”つもりで、ヒーローを単純な正義の味方から脱却させようとか、ストレートなカッコよさを否定しようとか思っているリメイク制作者たちの方こそ、実は体制的であり、“古 い”のだ。威張るほどのものではない。

 昼はマンション下の蕎麦屋でカツ丼。東急ハンズで、風呂場用の蛍光灯を買う。帰宅、取り付け後、『Memo男の部屋』原稿、一本書き上げて、K子と編集部にメール。メールボックスを見たら、書律『宝珍』からメール。ここは昨日の例会で皆神龍太郎さんが発表したオカルト短歌集『念力家族』の出版元で、皆神さんから教えてもらい、帰って即、ネットで注文したところである。単なる注文受けつけましたメールかと思ったら、その会社の代表の女性Hさんという方から、
「お忘れと思いますが、唐沢さんとは2回ほど、名刺を交換しております」
 との文面。いつぞや、私やひえだオンまゆらさん、中野監督などのポートレート写真を撮っている写真家、やまだしげるさんの個展のあとで、お会いしたことがある人だった。うわあ、と世の中の狭いことに驚く。まあ、あんな短歌集を出版しようというような嗜好の持ち主だ、どこかで私のような者と接点があるのはアタリマエかもし れない、と思う。

 7時半、家を出て神泉へ。USENの番組山田五郎氏の『STUDIO’58』にゲストで出演。久闊を叙して、いろいろ雑談。『創』の座談会出席を打診したが、やはり売れっ子で予定がギッシリらしく、NGだった。ラジオは私のこれまで歩んできた道、みたいなものを語る、という内容。58年生まれの人間にゲストを絞って、いろいろとこの世代に共通するものを探っていこうという番組らしい。私自身は、一種の“自伝屋”という性質を有しているので、こういう番組だと、何の準備も心構えも頭の中での組み立てもいらない。日ごろ話していることをそのまま語るだけ。まるまる一時間しゃべりっぱなしの番組ということだったが、結局二時間、ずっと話し続けていた。しかし、自分でふりかえってみると、改めて、私という人間の人生は断崖の吊り橋みたいな危ないところを何度も何度も渡っていて、普通なら絶対落っこちる、というようなところを、何とか渡りきってきているのだなあ、と、人ごとのように感心する。

 10時、スタジオを辞して、K子に電話。どこか深夜営業の店にでも、と思ったが腹が空いたのと眠いのとで家を出たくないらしい。近くのコンビニで買い物し、帰宅して、肉うどんを作ってくわせてやる。あと、酒のアテに、冷凍庫の中のキンメダイの干物を焼いて。ビール、焼酎など飲み、12時半、仕事場で一応メールチェック。『念力家族』の、今度は作者である笹公人さんからメールがあった。驚いたことに、『念力家族』は私がかつて『ガロ』誌でやっていた“怪俳壇”のようなものを、と考えて作っていたものだとか。ホワッツ・ア・スモール・ワールド、と思わず口の中でつぶやいた。ひとつの才能を開化させる触媒になれた、という気がして、妙にうれしくなった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa