裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

水曜日

俊寛接着剤

 これ、そのようにくっついても連れ帰れぬ、えい、俊寛どの、離せというに。朝、寝床の中で五度目の『バジリスク』。止まんなくなった。中学生のころ、原作もこうやって何度も何度も際限なく読み返したものである。あのときに私のDNAに『甲賀忍法帖』リスペクトはスリ込まれてしまっている。……しかし、この作品、掲載雑誌でも凄い人気作品だそうだが、そのせいで今後どんどん原作離れをしていくのではないか、とちょっと不安も。

 マンガの方で小豆蝋斎を蝋斉と表記しているのはちょっといただけない。“斎”は物忌みをするという意味の文字で、そこから転じて、心静かに籠もる部屋という意味になり、“〜庵”“〜亭”などと同様、自分用の部屋につける名となって、それが雅号や芸名などに流用されて、“〜斎”という名乗りが出来上がった。“斉”は似た字なので斎の代用でよく使われるが、雅号で代字を使う例というのはちょっとないと思う。もっとも、それを言うなら原作でも、“薬師寺天膳”などという表記をしているが、あれは律令時代の役職名を名前にした(弾正や刑部、将監、左衛門と同じ)ものなのだから、“典膳”でなければ、名前として成り立たない(いま書き上げてみて気がついたが、甲賀選抜メンバーの方が伊賀選抜メンバーの方より、ずっと古式な名前 が多いですな)。

 7時半起床、朝食はトマト、枝豆。朝のうちに講談社Web現代原稿、残りを書いてメール。なんとかうまくまとめられた。シャワー浴びて、荷造りし、10時半には家を出る。タクシーの運ちゃん、空港まで、と言うので喜んで、いろいろしゃべることしゃべること。この時間なら下(高速の)通っていきましょう、と主張するので、いいですよ、と答えたのだが、しばらく話すうち、“実はボク、高所恐怖症なので、高速嫌いなんです”と言う。子供の頃、二階から落っこちて背骨を痛めたことがあって、それ以来、二階までは大丈夫だが、それ以上の高さだとダメなのだとか。それでも、同様な症状の仲間うち(クラブでもあるのか?)では軽症な方だそうで、自分よりひどい高所恐怖症の人物のエピソードをウレシそうに語る。とはいえ、高速を走れない(指示があれば仕方なく走るが、絶対真ん中を走るそうである)というのは、運転手としての適性に欠けているのではないか。羽田のタクシー降り場に行くまでにもちょっと道路が高くなっているところがあるが、それだけで“手のひらに汗をかいて しまいました”ということである。

 チェックインこともなくすませ、時間がある(K子のクセでとにかく時間に余裕を持って家を出たがる)ので、混まないうちに、と11時半に食事、いつも中華になりがちなのでレストランで海鮮カレーを食ったが、まったく“旨味”というものが舌に感じられないカレーであった。天気は快晴を通り越して、かなり陽光がまぶしい。早 めに待合室に入って、買った朝日新聞読んで時間待ち。

 朝日新聞、ハワイでのキカイダー大人気なんて記事も面白かったが(あえてバットマンやスパイダーマンでなく、キカイダーを贔屓にすることで本土との差別化をはかることがハワイ人のアイデンティティになるという指摘があった)、高齢者の元気づけに、昔のことを語るよすがとなる洗濯板、バリカン、尋常小学校教科書といった昔の生活用具15品ほどを揃えた“回想法キット”が貸し出されている、という記事が興味深い。高齢者の記憶力の改善、情緒の安定には昔のことを思い出して語ることが効果的なのだそうだ。60年代にアメリカで提唱された方法だそうである。ノスタルジーはパワーとなる、と日ごろ主張している身にとって、この記事はわが意を得たりというところがあった。老人に限らず、未来とかのことばかり語る人間って、確かに 情緒不安定なヤツが多いわな、思い浮かべてみても。

 30分遅れで千歳空港着。ライナー(と、いうのか、こっちでは)で札幌へ。札幌駅から外へ出ると、どんより曇った寒々しい光景。西武の地下でK子が二十世紀を買うと主張、果物売場に行く。300円。そこから、からさわ薬局まで歩いて行く。行くうちに左足の膝がシクシク痛み出した。ひさびさの関節痛である。薬局で豪貴に、何か膝と目に効く漢方薬を調べてくれと頼む。桂枝加述附湯をチョイスされた。K子も見てもらったが、年齢相応の更年期障害などのケは皆無、なのだそうである。この元気のモトは何か。ストレスを、他人を罵倒することで発散しているからか? 私は“お兄さん、神経疲れてますねえ”との診断。女房にストレスがないから、ではない かと思う。

 北32条までタクシーで。母、ニューヨーク暮らしで、美容室などにもいかない生活が定着し、髪を長くして後ろで束ねるというヘアスタイルになっており、やはり海外暮らしを体験するとイメージが変わるね、という感じ。ソファにひっくり返って雑談、モバイルでメールチェックなど。コアマガジンの仕事、編集者に紹介してくれた伊奈浩太郎さんからのメール、そのお仕事の一部をお願いした金成由美さんからのメールなど。言われて、北光線通り添いのスーパー『ハッピー』まで買い物に。毎度、タクシーに“その病院の角を”と指示していたしんたに外科(なをきが三島由紀夫と同日に盲腸を切った医院)は院長が急死してなくなり、それ以降“そこの蕎麦屋の角を”と指示していた、道をはさんで病院と向いにあった蕎麦屋は、姑のあまりのいじめに若夫婦が夜逃げをして閉店してしまい、今回来てみたら建物自体取り壊されてい た。年々歳々、街同ジカラズ。

 7時、ママになったユウコさんとその赤ちゃん、笠原のチカコさん来る。赤ん坊を母は一時でも自分の近くに置いておきたいらしく、ネンネコ姿で、背中におぶって料理をつくっている。最近あまり見ないスタイルである。半過ぎに豪貴も来宅。野菜のアスピック、マグロのカルパッチョ、ニンニクたっぷりのミニステーキなどで酒。食べかつ話しながら。K子が大ノリで毒舌を飛ばし、チカコさんが何度も吹き出していた。テレビで『トリビアの泉』を丁度やっていたので見てみる。筒井康隆がゲストだが、見ていた限りでは一言もしゃべらない。筒井康隆を呼んできてしゃべらせないと いうゼイタクなことをしたバラエティも珍しいのではないか。

 ユウコさんは子供を産んでもほとんど体型が変わらない。自動車に酔ったとか言ってご馳走もほとんど食べず、レモンばかり齧っていた。“もう二人目がいるんじゃないの”とK子、小姑ぶりを発揮。赤ん坊の名前は杏輔という。男の子で杏という字を使うのは珍しいが、薬屋のせがれだからというので、杏林(神仙伝から、医事・薬事の美称)の杏をとってつけたのだそうな。K子が“わかりにくいわよ、そんな名前。もっとストレートに、薬太郎とかいう名前にすればよかったのに”と言うと、さすがおとなしいユウコさんも“それはイヤです!”と。ステーキの脂で炒めたガーリックライスが抜群の味、そのあと、K子のリクエストで二十世紀をデザートに。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa