裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

22日

月曜日

オクヤミ少年

 おーい、葬式が出たぞー(タイトルのシャレは早口で読むこと)。朝7時20分起床。台風一過、さわやかな秋晴れ。朝食はピーナッツスプラウトとハツカダイコン。例により二十世紀。新聞もテレビも安倍幹事長ばなし一色。小泉マジックだとかアッと驚かせるジュンイチロー(産経抄からだが、このシャレはいかがなものか)だとか言われているが、しかし数日前に夕刊紙だかスポーツ新聞だかで“小泉秘策、安倍幹事長”とか見出しを出していなかったか。アテズッポウがたまたま的中したんだろうけれど。とにかく、このソフトな顔つきで大のタカ派で、あの肉食魚みたいな顔をした野中広務が政界きってのハト派というのだから、マンガや映画のキャラ設定に慣れ ているわれわれとしてはとまどうところである。

 さて、帰省ボケを廃して仕事々々、と思い、まずはモノマガジン原稿ゲラチェックして返送、図版ブツをバイク便で送る。札幌から届いた荷物を整理したり、例の水垂れの様子を見にきた業者さんの相手をしたり、雑用も多々。水漏れはやはり上の部屋のカメラマン氏の部屋の水道管が原因らしく、カメラマン氏は検査すむまで風呂を使うことを禁じられて、おまけに工事の時には部屋や風呂場の床をひっぺがされるらしい。被害者側でよかった、と思う。特に、こういう自分に落ち度のない加害者という のはたまったものではない。

 昼はパックのご飯を温め、塩ジャケ、厚揚げ焼き、塩ウニ、大根の味噌汁に韓国の辛味噌を入れたもので。塩ジャケの季節で、昼時になるとマンションの廊下が、あちこちの部屋で焼いた塩ジャケの匂いで満ちるが、昔は昼のお菜と言えばまず、塩ジャ ケであった。郷愁を感じる。デザートに塩煎餅一枚。

 3時に歯医者なので、念入りに歯を磨く。原稿、札幌で打ち合わせのとき手渡す予定で忘れていた『クルー』エッセイ。2時半までに仕上げる予定が35分で、5分、遅れた。ネタに使ったのは、札幌の書棚にあって、帰りの飛行機の中での読書用に、と抜き出してきた黒澤俊一東海大教授の『化学漫談』(全国出版)。1980年発行のもので、どこかの古書店で買ったものらしく、最後のページにエンピツで古書価が書き込んである。この値段と、クルーの原稿料を比較すると、素材の原価に対し儲け率は150倍となる。全部の原稿がそういう率で金を稼いでくれたなら、私はいまご ろ大成金なのだけれど。

 多少手間取ってしまったので急いで家を出て、西永福S歯科へ。15分遅れ。他に治療者もいなかったので問題はなかった。歯科技工士のお姉さんが口の中を点検し、
「大変によく磨けていますね。歯間ブラシの使い方も適正で、こないだより歯茎の状態がかなりよくなっています。この調子で磨いてください」
 と言われる。昔からゾロッペエな人間で、歯医者で歯の磨き方を褒められたのはこれが生まれて初めて。そう言うと笑っていた。褒められたのはうれしいが、治療はあと、多少歯の表面をゴムで磨いたくらいで終わり。歯石取りで、若い綺麗なお姉さんに口の中を血だらけにされる、というやや『奇譚クラブ』投稿者的な快感を空想して いたこちらとしては不満であった。

 代金の支払いのとき、受付のお姉さんが上目使いで、探りを入れるような口調で、“……いま、お仕事お忙しいんですか?”と訊かれる。“ええまあ、かなりドタバタとしていて”と答えると、“テレビのお仕事とかで?”と訊いてくる。エエ、と頷いたら、目を輝かせて“あれ、カラサワさんが全部ネタを選んでいるんですか?”と質問された。もちろん、『トリビアの泉』のことである。苦笑して、仕組みをちょっと 説明したら、感心したように、
「でも、視聴率が凄くて、よかったですねえ。おめでとうございます」
 とお祝いを言われた。年中診察券で見ている名前がテレビのスタッフロールに出てくるのに驚き、来たら聞こう、来たら聞こうと思っていたのだろう。

 帰宅して、5時、時間割。村崎さんとアスペクト鬼畜対談。名古屋の爆発ばなし、ブランドねらい通り魔女の話など、今月も盛りだくさん(しかも名古屋近辺集中)。NHKで宅間守の事件の再現をして、児童が刺されたクラスで何とか被害を免れた教師がパニック症候群になり、駆け付けた警察に正確な報告が出来ず、そのためにしばらく刺されたまま放置された子供たちが、もしかして早急に処置をすれば助かった可能性のある命を落とした、という件を村崎さん話して、“昔は教師と言えば、教え子の命を身を挺して守らなきゃいけない職業だったんじゃねえか?”と言う。私、
「それは、命のやりとりを戦争という極限状況で体験した世代の教師でなくては出来ないことなんじゃないか。今の若い先生たちは、“自分が世界で一番大事”と思え、という教育を受けているから、例え教え子であっても、また我が子であっても、自分の命を他人のために投げ出したり、危険にさらすことなんか出来っこない」
 と答える。以前、山崎哲氏の主宰する市民講座の討論会に顔を出してみたとき、私が“社会性”と言う言葉を口にするたびに、参加者が一斉に不快そうな表情をしたりブーイングしたりしたことがあった。しまいには司会役の女性が
「どうしてあなたは社会々々と言って、個人の人格をないがしろにするんですか!」
 と怒り出し、教材業者だという40代くらいの参加者が
「社会とか他人なんかどうだっていいんだよ。自分がいかに生きたいか、が大事なことなんだよ!」
 と私をたしなめたことがあった。まさにそういう思想の人々にとっては理想の社会がそこまで近づいている、ということなのだろう。

 対談終え、一旦帰宅して休息をとり、8時半、小田急線東北沢。某スペインレストラン(K子が店名は書くなと言う)。以前虎の子夫妻と出かけた店。植木不等式氏も誘ったのだが、今日は『チャイカ』で宴会だとか。カウンター十席ほどの店なので、あまり客が入ると私たちが行けなくなってしまう。席について、ヒエドラなんとか、というお勧めのワインをあけてもらい、定番のカタクチイワシの酢漬け、店長お勧めのマッシュルームのガーリック炒めなどでオードブル。続いてムール貝のスープ煮、トマトの隠し味が絶妙。さらにこないだも食べた塩ダラとジャガイモのスクランブルエッグ。塩ダラの塩気がきつめのところがワインに実に合う。薄味好みのK子も、ここの味の濃さはOKらしく、また、使用しているオリーブオイルが、まったくクセの ない品なのに驚嘆していた。

 隣の席に、大手出版社Sの編集者らしい人が、編プロの女性と食事中。業界の困ったおじさんのグチとか、仕事関係で旅行した外国のこととかを話していた。いかにも大手のエリートというスカし加減が風貌にも服装にも口調にも感じられて、聞きながら“ヘッ”と思う。バブル期にはこういう編集者が多かった。その後、出版業界が不振産業になって、よかったことのひとつはこういうスカしっぺ野郎が減ったことである。まだいたか、と、ちょっと珍しい動物を見る気分。最後のシメは当然、アサリのリゾット。ちょっと砂を吐いてないアサリが混じっていてジャリジャリしたが、そこがまたバスクの野趣、という感じで。K子は大感激でマスターといろいろ会話してい た。

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