裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

水曜日

立てば策略、座れば謀談

 歩く姿は諸葛亮。昨日怪談ばなしなどを聞いたせいか、夢で四谷怪談の民谷伊右衛門になった夢を見る。ただし、時代は完全に現代で、マンションの一室の床を掘って殺したお岩の死骸を埋めようとする。ちなみに、直助権兵衛役はクリクリのケンさんだった。朝食、トウモロコシのスチーム。トウモロコシは紀ノ国屋のだが、やはり甘い。枝豆が切れたので、ミニキャロットを蒸して食ってみたが、やはりあまりうまく ない。

 アスペクトから『裏モノ日記』見本刷りが届く。何か、かなり早く出来たような気がする。最初の打ち合わせのときの混乱ぶりで、“こりゃ果たしてまとまるのか”とかなり不安を抱いたためだろう。原稿用紙にして1万5000枚のものをほぼ四半分に縮めたわけだから、物足りなくはなったが、読みやすくはなったのではないかと思う。それぞれの記述に注釈、現時点からの感想などをつけ加え、さらに代表的タイトルダジャレの解説などもついているので、この日記のファンにはお買い得。8月26 日ころ、店頭に並ぶ予定とか。

 とはいえ、あれだけチェックしたもののケアレスは今回も多々あり。一冊をチェック用にして、読みながら赤を入れていく。今日は朝、ちょっとパラついたが昼からは晴れた。外出して、兆楽でミソラーメン。その後でHMVに寄り、クラシックのCDをあさっていたが、河出書房Sくんから携帯に電話、時間割がお盆休みなので、東武 のロビーで待つとのこと。急いで東武へ向かう。

 喫茶店で打ち合わせ、次の企画のこと。これから企画を出すものと、すでに通った企画のもの。通った企画の方の構成アイデアをいくつかS君に話して、検討。企画自体はムーブメントをねらったありがちなものだが、内容をなかなか濃くできそうである。……私のこれは企画本の特長なのだが、常に中心テーマからの発展した部分にまで脚を踏み込みたがるところがある。『なぜ官』でもそうだったが、私が監修をやるんであれば、単に怪獣映画の中のセクシー、でまとめてしまってはツマラン、と思って、その先、あるいは周辺までを取り込んで逸脱したがる癖がある。本の中から予定調和的満足を得たがる人(あるいは限定された自分の嗜好から外れるのがイヤな人)には不満かも知れないが、ひとつのテーマからどんどん他の分野へ話がつながり、変化し、気がつくと思いもかけなかったトコロにまで運ばれていく、というイメージの彷徨の楽しさが、読書というものの本来の楽しみだと思っているんである。一点集中 は研究論文にまかせておけばよろしい。

 打ち合わせ終わり、その足で買い物。漬け物、アミールS、冷凍保存用の豚肉、羊肉など。仕事しながら、ハインリッヒ・マルシュナー作曲のオペラ『吸血鬼』のCDを聞く。マルシュナーは19世紀半ばに活躍したドイツロマン派の音楽家で、この作品はポリドリの『吸血鬼』に材をとった作品。序曲からもう、吸血鬼ものの雰囲気抜群でカッコいいことおびただしい。ちなみにこの作品はウィーン放送管弦楽団(クルト・テンナー指揮)による1951年録音のものだが、ヒロイン、マルヴィーナの父である領主・ハンフリー卿役(配役筆頭)の歌手の名がレオ・ヘッペ。北海道ではこ の人は公演できない。

 5時、家を出てまた日本橋三越前。『大江戸ホラーナイト』二夜目。今日はトリが柳家花緑という、快楽亭の会とは思えない出演者であるが、どうしたわけか、昨日の盛況にひきかえて、入りは半分以下。花緑は喬太郎よりも集客能力が低いか? と首をひねった。もっとも、開口一番のブラ房が、危ないギャグをかましたあとで片手を前にかざす談之助のポーズを真似、“ウチの一門は危ないネタをやった後はみんなこうすることになってまして”とやったらほとんどの客が大笑いしていた。濃い客なの かもしれない。

 次が笑組の漫才、内海桂子・好江の弟子だけあって、話の流れの組み立て方、二人の会話の分担が懐かしい東京漫才の型であり、安心して聞ける(分、クラシックに感じてしまうところももちろん、あるが)。次が神田陽子の講談『伊藤喜兵衛の死』、これは南北ものとは異なる古い形の因果話の四谷怪談。お岩さんが醜女というところが歌舞伎と違うところで、伊右衛門にだまされ夜鷹に売られたお岩が、だまされたことを知って夜鷹宿を逃げ出すとき、転んで石に顔を打ち付け、片目がドロリと飛び出してしまうという描写や、その夜鷹宿の女郎に梅毒で鼻の障子が抜けてしまった、フニャフニャしゃべりの女がいるというようなところ、伊右衛門をそそのかした伊藤喜兵衛がその呪いで熱病に浮かされ、目も鼻も溶けたような顔になってしまい、あまつさえその額に穴があいて鼠が巣くい、果ては鼠の群に喰い殺されてしまい、その死体を、天井の窓からお岩が招くとひょろひょろと人形のように立ち上がるというところなど、まあグロテスクのきわみで、いや、大変に結構。その容赦ない、近代性とは正反対の描写の中に、今はもう失われてしまった大衆芸能のパワーみたいなものを感じ るのである。

 次がブラック、“アタシも怪談ネタをいくつか持ってまして”と、去年の暮れのコミケ後で演じた『開田乳房榎』(開田裕治が南蔵院に泊まりがけでキングギドラの絵を描いているうちに、立川志加吾が開田あやと情を通じ、下男の春風亭昇輔を語らって開田裕治を殺害する)のストーリィを話したら、また客がワッと笑う。やはりトンデモ流れの客が多いようだ。その後は圓生ばりの『牡丹灯籠・栗橋宿』をたっぷり。ところどころで浮気とか女房を捨てるという部分で談生とか志らくとかいう名前を折り込んではいたが、まず純・正統派の人情話。圓生だと、喧嘩した伴蔵・おみねの仲なおりのシーンでは“女房の角をちんこで叩き折り”という川柳を使っていたが、快楽亭の場合は“夫婦喧嘩とかけて、障子の外れたのと解く、その心は、はめればなお る”。

 仲入りのときにFKJさんと立ち話。11月の連休明けにさんなみツアーの企画がK子から来た、と、S井さんなどと一緒にヨワっているらしい。サラリーマンに、連休明けの旅行を持ちかけるとは、さて殺生な。今日も本家立川流、販売好調。仲入り後、梅田先生の猫三味線第二夜。今日は他の猫怪談ものもさわりで二本、つけるという大サービス。何か調子がよくないのか、太鼓を用意し忘れたり、最後の一枚を楽屋に忘れてきてしまったりと、ミスが続出。まあ、こういう日もあるのが生の演芸というものである。聞きながら、来月のロフトプラスワンの構想がまず、頭の中でまとめ られた。

 その後が林家しん平、“今日が怪談の会だなんて、来て初めて知った”と、高座の灯りを暗くして、実話怪談ばなし。ガメラ4撮影のときに実体験した怪談をサラリとやって、“時間が短いけど”と、トリの花録につないで下がる。ヒザの役割はきちんとこなし、客席の女の子たちをふるえさせ、好き勝手をやってはいたがなかなか結構な高座であった。しかし、怪談を聞いてふるえるのはいいが、ここの会場、ちと冷房が効きすぎて、ホントにふるえる。隣りの席のお爺さん(よせばいいのに半ズボン履 いて来ていた)など、座椅子席の座布団をかかえるようにしていた。

 トリは花緑。やはりしん平と同じく、来て初めてホラーの会だと知った、と、マクラで三木助が夢に出てきた話など。それから、無理矢理に“まあ、実際に脇にいて、一番怖い存在というのは幽霊なんかより、与太郎じゃないかと”とつなげ、“大丈夫です、これで『道具屋』行く、なんてことはありませんから”と、『ろくろ首』。まあ、律儀な性格なのか、話の構成としては(怪談を強調するなら)カットした方がいいのではないか、というようなクスグリも全部入れて、きっちりと演ずる。『ろくろ首』なんてどうでもいい噺(褒め言葉である)がこんなリキを入れて演じられたのを聞くのは、初めてかもしれない。後ろの席のおばさんは、たぶん花緑が目当ての人であったんだろう、台詞の一つひとつに、生まれて初めて聞いた、という風に吹き出していた。……本当にサラブレッドの正統派なんだなあ、と言う感想。また、それが天然なんですな。“わたしが菊姫とつきあい出して、デートしているときに”なんて、自分の交際を高座でギャグにせずすらりと言う噺家というのを初めて見た。私の定義では、こういう人はアイドルであって、芸人じゃないのだが、まあ、時代はこういう 噺家をも要求しているということなのであろう。

 ハネ9時15分。K子との食事の約束もあり、帰ろうと思っていたら、快楽亭が、
「しん平がセンセイと話したがっているンで、いてやって下さいな」
 という。次の映画の制作が本決まりになり、そのことを誰かに話したくってたまらないらしい。こっちもそういうのは好きであり、“じゃア、ちょっと”と見事とっつ かまる。

 会場裏の居酒屋で、打ち上げ。しん平の話し、まだ外に漏らしてはいけないということなので書けないが(と、言ってこの分ではこの人、誰彼かまわず話しまくっていると思うが)、まあその情熱、見事なもの。ブレーンとデザインにA氏が加わっているらしい。スポンサリングの裏話のようなことも聞いて、ナルホドと思う。さすがにA氏で、しっかりしている。ストーリィや特撮の予定など、30分ほどいろいろと意見を言ったり、具体的なスケジュールのことを聞いたり、とおつきあいさせていただき、協力を約してタクシーで参宮橋へ。10時半に北澤倶楽部でK子と落ち合って、寿司。今日はお勧めものはあまり食べずに寿司ネタばかりで徹したので、まあ安くあがった。とはいえ、やはり慣れてくると、すがわらのネタのよさが懐かしい。

 12時、帰宅。ネットで少し仕事。某編集部から、一部分、こないだ書いた原稿中の、某々に関する表現を改めてくれないかという依頼。すぐ書き直して送付。浮世の義理というのは面倒なもの、というか、日ごろ他者に対し言いたい放題言っているところが、自分のところに対する悪口はまかりならん、というのは自己矛盾ではないかと思うのだが。まあ、モノカキにもそういうのは多々、いるけれど。

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