裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

金曜日

かわいい子分のおめえたちとも、別れ別れになる。カードでだ。

 カード破産てなあ、恐ろしいなぁ。朝7時20分起床。昨日ワインたらふく飲んだにも関わらず、二日酔い一切無し。いいワインは違う、と感心。胸焼けのごく軽いのはあるが、この程度はむしろ清々しい。朝食、私は一昨日の鶏肉煮の残りをマフィンにはさんで。果物を切らしていたので、あやさんから貰ったゆず果汁を氷水に垂らして一杯。ビタミンC供給は完了という感じ。

 新聞各記事、田中耕一氏のことばかり、おとついまで大騒ぎだった小柴先生は端っこの方に。やはり東大名誉教授よりは一般人サラリーマンの受賞の方がマスコミ受けするんだろう。それに、田中氏の研究はわれわれの生活の向上に直結しているものであるため、極めてわかりやすい。小柴教授にスーパー・カミオカンデを“それは何の役に立つのか”と質問したインタビュアーに批判が高まっているようであるが、確かに受賞祝いのインタビューでそれを質問するのは与太郎である。とはいえ、税金にヒイヒイ言っている小市民にとって、その税金を使った研究で世界的名誉と莫大な賞金を獲得する人物に、“それは何の役にたちますのんかいな?”と訊いてみたい、というのは当然の感情だろう。小柴教授は口癖のように“我々は国民の税金で研究させてもらっている”と言っているという方である。カミオカンデ側にも、この研究の価値と意義(役に立たないからこその意義)をきちんと国民に伝える義務があることは確かだ。“今は役に立たないが将来、役に立つかもしれない”という弁護もあるようだが、これは何となく“芸が身を助けるほどの不幸せ”という句(錦花翁隆志)を思い出させてイキでない。試みにネットでこの件を検索してみたら、大学関係者なのだろうが、そういう役に立つか立たないかの価値基準しかできない連中を“あさましい”と切って捨てているところがあった。そういう、学問至上主義も同じ程度に“あさましい”大衆蔑視の傲慢でしかない。せめて、バン・アレン(だったか)が、バン・アレン帯の存在の発見を発表して、同じ質問を受けたときに、“私のメシの種ですよ”と切り返した、というエピソード程度のユーモア(と、ペーソス)くらいは見せて欲しい。

 と学会誌ゲラに赤入れ。私にしては珍しく“まっとうな”トンデモ本をネタにしている。昼になったが腹がさすがに昨日の飽食でクタビレたか、腹が空かないので、そのまま幻冬舎『わしズム』原稿。『私と祖父』というリレー原稿の二回目だか三回目だかで、祖父というより主に祖母のことを書く。祖母のエピソードの方が100倍も豊富で面白いからだが、それでも、最後に主人公は祖父の方だったんだよ、とわからせるよう工夫をこらす。3時までかかって12枚。ここ数日、十数枚の原稿が中断せずにスラスラ書ける体調なのはありがたい。

 書き上げてメール。何か少しは腹に入れようと思うが、腹が減って食いに出かける気力もなくなるという二律背反。ベッドに寝転がってディケンズなど読む。いいなあこの悪意。ウツラウツラすうるうち4時になったので重い腰を持ち上げて青山に買い物。三連休前の金曜なので、人が出ていること。PRONTでカフェオレにドーナツひとつ。水泳をやっているのか、ノースリーブの肩の付け根から延びる筋肉の線が、芸術的なまでに見事なスレンダー美女が席にいた。眼福である。紀ノ国屋で牛乳・野菜など朝食の材料を買う。

 帰宅したら早川書房A氏から電話、仕事(『キッチュワールドガイド』原稿)の進行具合確認。イラストのDちゃんの推挙で、装丁はユチクロさんに依頼することにした、とのこと。ユチクロというと、夏コミ『赤い牙』の装丁家さんか。うーん、人選的に問題はないが、著者である私を飛び越して決めるのはいかがなものか? ちょっと首を傾げざるを得ず。まあ、とりあえず私は原稿を完成させねばいかんのだが。電話切ってすぐ、今度はちくま文庫『お父さんたちの好色広告』の後書きゲラがFAXで届く。同時に編集Mくんからメール、後書き原稿の内容について絶賛してくれている。とはいえ少々文のつながりが悪いところあり、いろいろ頭をヒネって不自然でないように変更する。ここ数日の仕事量について、二見書房Fくんから“日記を読んでいるだけで疲れる”とあり。まあ、調子のいいときにまとめてやっているだけ。悪いときには数日何もしない。

 7時半、また家を出てあちこちで買い物&雑用。8時、センター街『沖縄』でK子と夕食。クープイリチイ、ラフテー、ゴーヤの酢の物などとオリオンビール、泡盛。チカチーロの話、サハリン旅行の話、裏の馬鹿人脈の話などで大笑い。この店のお婆ちゃん、いつも9時くらいまではいて帰るのだが、今日は姿なし。どうかしたか、年寄関連のことは心配。10時ころ帰宅、やれ極楽、と寝転がって北村一夫『落語古典語典』など読む。一行知識掲示板に江戸弁のことを書き込んだときの資料で、ふと、これはまだ通読していなかったと思い出し、最初から読み始めてみた。そしたら、驚くような知識を得られた。今年の2月15日の日記に、耳無し芳一のことを書いて、“どうも芳一という名は座頭らしくない、市名なのだから芳市の方がいいのではないか?”と書いたが、これが大間違いだったらしい。この本の“座頭”の項目に、
「上納金を納めて座頭になると、初めて城(じょう)、または一、という名を付けることができる。したがって座頭になることを一名(いちな)をとる、とも言った」
 とあって、市ではなく一の方が正しい座頭名だとある。これは意外も意外だった。

 そして、“市”の名称については
「一にまぎらわしいものに市がある。市というのは上納金を納めないでいる盲人(主として貧乏のため)が、名を呼んだとき、一と聞こえる効果と、とがめられた時の言い訳に考え出された名で、官名としての“座頭”ではない」
 とある。2月の日記にも書いた、“塙保己一はなぜ保己市でないのか”という私の疑問はそもそも根底から間違っているもの知らずの言だったわけだ。まことに面目ない誤りである。しかし、だとすると、あのときネットで調べて引用した泉鏡花『怨霊借用』の按摩小一が“本名で、まだ市名でも斎号でもございません”と言う台詞を吐くのも間違いということになり、井上ひさしが『薮原検校』で塙保己市、と書いているのも誤りということになる。泉鏡花も井上ひさしも勘違いしていたことだもの、私ごときが間違ってたってそりゃ、と、自分を慰める。それにしても、この年でなお、常識をくつがえされる知識に偶然ぶっつかるということの面白さよ。

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