裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

火曜日

寒ブリ焼きの化石

 教授、こんな時代から寒ブリは食べられていたんですね! 朝7時起床。小雨パラつく天気だが、体調は良好。朝食、また味付け卵一個とコーヒー。卵は不思議と昼まで腹が空かない。果物は二十世紀。テレビ、田嶋陽子の社民党辞職会見。この人も政治的センスがゼロというか、世間というものの性格をまるで理解していない。圧倒的に社民党に無礼とか落ち度があった場合以外、党を追ン出た本人が“晴れ晴れした気分”とかを自分から言っては絶対いけない。あくまでも苦渋の決断であり、本当は一緒に事に当たりたかったのだが、根本的な主義の違いはいかんともしがたく、万、やむを得ずに……という具合に行かなければ、お茶の間の、殊に主婦たちの同意は決して得られない。ただのワガママ女になってしまう。フェミニズム研究者のくせに、女 性のそういう心理がわからないのは学者としても致命傷だろう。

 日記をつけはじめるが、6日の記述がいや、長くなることなること。書いても書いても終わらない。本当にいろんなことを体験した一日だったんだなと改めて思う。今日は10時半から掃除のおばさんが来る。私は日記をアップして、原稿続き。日本文芸社に出す企画書を書き上げ、担当Hさんにメール。会議用のもので、実際はこれを叩き台にして、どこにもないものを作っていくつもり。

 書き上げたときテンションが上がっていたのか、珍しいことに昼も腹があまり空かず。2時くらいに、おばさんが持ってきてくれた栗おこわに、ジャガイモの味噌汁、長野エリンギの炒め物で食べる。エリンギもうまいが、久しぶりにじっくりとジャガイモを煮崩した濃いめの出汁の味噌汁が、懐かしい味でうまかった。部屋で休みながら、ヒカシューのCDを聞く。どういう連想か、私は彼らの『20世紀の終わりに』を聞くと必ず『パタリロ!』を思い出す。この歌を主題歌にした長嶺高文の『歌姫、魔界をゆく』を恵比寿で観たのも、思えばもう20年以上も前か。この映画には大泉滉が魔界屋敷の執事役で出演しているが、それもあって私は最初、この歌を大泉滉が歌っているんだとばかり思っていた。巻上公一の発声が、また似てるのである。

 それからまた原稿。『Memo男の部屋』。朝書き上げたばかりの日記の錦鯉の話がちょうどテーマにぴったりで、それをネタに5枚、一気に書き上げる。もっとも、書いているうちにテーマに合ってないような気もしてきた。編集部MさんとイラストのK子にそれぞれメール。母から電話。縁を切ったはずの伯父からまた電話があったそうで、ホトホト嫌になった、とのこと。やはり最後は大喧嘩になったそうで、“相手をするからかえって喧嘩になるんで、伯父さんとわかったらすぐ、ガチャンと切っちゃえばいいのに”と言ったら、“まさかそうもねえ。K子さんじゃないんだから” と言うので笑う。

 5時半、家を出て池袋に向かう。白山雅一芸能生活60周年記念リサイタル於東京芸術劇場小ホール。ついたのは開場5分前で、もうかなりの人数が並んでいる。知り合いが何人かいるので挨拶。開田夫妻は当日券の方に並んでいた。睦月さんがいたので、一緒に並ばせてもらう。客層は当然のことながら年配の人が多いが、若い人たちの顔もチラホラ。300席ほどの会場だが、開演までにはほぼ満杯になる。なかの芸能小劇場のウツギさんに聞いた話では、芸術祭とかに出せば絶対大賞がとれるこのステージ、白山先生の主義で参加していないそうだ。伯父と比べてなんとすがすがしい態度、と感心してしまった(後で舞台上で“落ちると恥ずかしいから”と言っていたけれど)。

 舞台すぐ前の席に睦月さんと着く。開田さん夫妻はすぐその後ろの席。あやさんにゆずエキスをいただく。場内にはさすがに知り合いの顔が多い。こちらを知っている編集者の方々にも挨拶され、名刺交換。なつかしや、ベン村さ来にも会った。彼がまだ国士舘大学の学生で、右翼芸人と称して大恐慌などと一緒にライブをやったり、武蔵野ホール時代の超放送禁止落語会に出ていた(例の団体から談之助・ブラックが呼び出しを食って突如中止になった時のゲスト予定がこのベン村さ来だった)時期からの知り合いだから、もう十年以上前からのつきあいになる。何と今日はスタッフで、 ブタカンで入っていると聞いて驚いた。

 ご祝儀を包んできたのだが、いつ渡そうかと思い、受付のところに行くとこの会のプロデューサー吉川潮氏が私を見つけて、“カラサワさん、楽屋へ行きますか?”と声をかけてくれた。睦月さんも誘って、一緒に楽屋へ。白山先生におめでとうございます、を言う。手伝いにブラ談次が立ち働いていた。伯父のこないだの色物芸人大集合の会も、彼が手伝ってくれたそうだ。爺さんにモテるタイプなのだろう。

 司会は丸山おさむ。最初は白山先生とのかけあいで、田村正和(丸山)と阪東妻三郎(白山)の親子対談や、渥美清(丸山)とご隠居(笠智衆)の掛け合い、エノケン(丸山)とアチャコ(白山)の対談などという芸。声を似せるという技術では若い丸山おさむの方が上手なのだが、白山雅一の凄さは、彼らの生きた時代を背負っているというところだろう。アチャコの手の動きの真似をホンの一動作するだけで、見事にそこにアチャコが一瞬、現出する。続いて快楽亭がゲストでチョイと出て、丸山おさむに“(田村正和と阪妻の)親子をやるんなら、是非やって欲しいリクエストが”と言う。この師匠のことだから何を言うか、と思っていたら、“昭和天皇と今上天皇”というリクエスト。これには白山先生も袖から出てきて、“私は皇族の方々の真似はステージではいたしません”。快楽亭も食い下がって“じゃあ、打ち上げで!”と。

 続いてが玉置宏をインタビュアーに60年を振り返る対談。例によって白山先生が話をあっちゃこっちゃに飛ばすので、まとまるものもまとまらなくなる。まあ、そこが面白いんだが。普通の司会なら白山先生のテンポに引きずられてワタワタになってしまうところを、さすがは玉置宏というか、見事に“形”にする。司会するマシーンじゃないかと思えるほど完璧な話術、発声、敬語と親しさのほどよい加減、上品さ、進行、その修正、話題のふり方、視線の投げ方、ゲストの話の面白さのミソの部分を自分の笑いで観客に伝達するというテクニック、自分の語る部分はきちんと語って、しかし相手を常に立てて自分は一歩引く基本姿勢、要するに全てが“プロ”。あまりに完成されすぎているところにつまらなさや冷たさを感じる人もいるのだろうが、しかし今は滅多に見られない司会芸。いいものを見せていただきました、という感じ。もちろん、白山先生の声色も熱演で、新国劇『王将』のラストを坂田三吉(辰巳柳太郎)、関根名人(島田正吾)でまるまる演じたのは鳥肌が立つ。睦月さんは軍歌会のとき、いきなり白山先生がタダでこれを目の前でやりだしたので、感動するより先に困り果ててしまったそうだ。そりゃそうだ、ステージでやれば何万ととれる芸をいきなりやってくれちゃなあ。

 そこで休息、中入り後はまず松本ヒロ。ブラック師匠がぜひやれと言うんで、と、モジャモジャの髪の毛のカツラをつけ、眼鏡をかけての十八番、金正日のモノマネコント。“小泉さん、やってきて謝れというから謝ったニダ。そしたら向こうは驚いたニダよ。なんで素直に謝ったのに驚くニダかね?”という、芸自体はいつもやっているものだが、時期が時期だけにネタが非常にアブナい。うひゃあ、と思っていたら、案の定というか何というか、観客席(後ろの方)から“ナニヤッテンダ、ヤメロ!”という、怒ったような(まあ、怒っているんだろうが)声がかかる。一瞬ひるんだ松本ヒロ、そのまま続けようとすると、また“ヤメロッテンダ、フザケルナ!”と声。顔を確かめようと思ったがちょうど死角になっているところのようで見えない。酒が入っているのか、いつもそうなのか、発音は不明瞭だが、とにかく、本気で怒っているらしい。“ワライゴッチャネエダロガ、ミタクネエヨ!”“ソンナモンヤルンジャネエヨ、バカヤロウ!”という罵声の連打。さすがにヒロさんもプロで立ち往生ということはなかったが、一応金正日の真似のまま、謝罪。これはこれでこのあいだの日朝首脳会談のパロディになっており、ウマい、と思った。その客も一応、そこで納得して拍手はしたらしい。しかし、その後、これも恒例ネタで、新聞の朗読に合わせてアテブリをする芸で、時期が時期だけにやはり朗読(丸山おさむが担当)の中に金正日が出てくる。そのネタになると、またぞろ“コノヤロー、ヤメロッテイッテンダロガ、コノフキンシンヤロウ! ワラッテイイコトトワルイコトガアルダロウ!”と、また声がかかった。朗読の丸山おさむが“この会のあと、出演者一同、裏口から逃げ出すことに……”とギャグを飛ばすが、これにも反応して、“マダヤロウッテノカ、イイカゲンニシロ!”と本気で怒っている様子。最後列で見ていた文芸座のYさんが“しつこいっ!”と一喝したが、まだわめいている。私の前列のお客さんも“つまみ出せばいいのに”と顰蹙。見てたら吉川さんとブラ談次があわてて入ってきたが、誰なのか探しているうちに、松本・丸山の二人が頭を下げて引っ込んだ後はおとなしくなったようだ。まあ、不謹慎なネタであることは言うまでもないが、しかし、怒った彼も白山雅一の60周年を祝おうと思ってこの会場に来たのだろう。ここで怒って舞台進行を妨害することが果たして白山雅一のためになることかどうか。本当に文句があるなら、後で受付に松本ヒロを呼び出して文句を言えばいい。TPOのわからぬ正論家にも困ったものだと思う(この件については9日にまた記述する)。

 なかなかスリリングな数分だったが、何事もなかったかのように舞台は進行、いよいよラストの白山雅一歌謡ショー。睦月さんによると灰田勝彦の『アルプスの牧場』は風邪で喉をやっているので、主治医からドクター・ストップがかかってしまったそうだが、そのかわり『鈴懸の径』をじっくりと歌う(関係ないがATOK12、“鈴懸”が出ないのはひどい)。それから、バタヤン、霧島昇、小畑実、藤山一郎、伊東久男、そして東海林太郎と、得意のメドレー。アコーディオンは横森良三、そう言えば大恐慌劇団の初期にメンバー兼マネージメントやってた高木よしつぐが、横森さんの娘さんとつきあっていたんだったっけ。まず、流石のイキで、伴奏ばかりでなく、白山先生のトークの間もちゃんとつなぎ、途中で花束を持って壇上の先生に手渡す人がいると、即座にファンファーレを鳴らして場を盛り上げる。これまたプロのお仕事 で、開田さんたちもしみじみ感心していた。

 しかし、さすがに健康状態が万全でないのか、感情が高ぶって声が出なくなったのか、途中からはかなり声が苦しくなった感じ。伊東久男の『暁に祈る』は力演だったけれど、他の歌はキメのところのみ力を入れて、他はかなり流して歌っていた。前半の声色に力を入れすぎて、パワーの配分を誤ったのかも。ここらへん、やはり一回のみの公演というのは駄目出しが出来ないつらさがある。とはいえ、78歳、普通これくらいの年齢なら、ステージに立って一曲歌えただけでもよしとしなければならんだろうに、このエネルギーは何。最後に東海林太郎で〆メ、拍手の中、幕が下りる時に 先生、感極まって嗚咽をもらしていた。

 終わって楽屋に開田さんたちと訪い、お疲れさまでした、と挨拶。古い知り合いのおばさん達が詰めかけていて、そのおばさんたちの方が大感動。私らに向かい、“この人は親孝行な人でねえ、ほんとうに親孝行な人でねえ”と、言葉にもうならない雰囲気。中でもつきあいの古そうなオバアさんが、“でも、さすがに声は前より出なくなったわね”と。すると、彼女たちが帰るのにちょっと先生、後を追いかけていき、廊下で何か一節歌い、帰ってきて私に“声が出ないというから、ちょっと耳元で歌ってやったヨ。へ、今頃声が出てきやがった”といたずらっぽく笑う。誰だか知らないが黒いスーツ姿の美人が一緒に写真撮らしてください、と言って、並んで撮影している。松本ヒロにお疲れさまでした、と言うと、“いやあ、ヒヤヒヤしました”と。今度の広小路亭にも出るそうで、“このネタでいけ、ともうブラックさんから命令が出ました”とおっかなそうに笑う。まあ、あのヒトの会なら大丈夫だろ。

 談之助さんと八起の会について打ち合わせ少し。外に出ると、雨はちょっと強くなりかけている。みんなはライオンで打ち上げだそうだが、K子を残してきていることもあり、辞去させていただいて、埼京線で新宿へ。K子と東口で落ち合い、区役所通りのとらふぐ亭(だったか、とにかく安いふぐ食わせるチェーン店)に入り、ふぐちりとふぐ刺しでビール。雑炊食って帰宅して、しばらくパソコンに向かうが仕事は出 来ず、明日のこと、と思って寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa