裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

水曜日

カミオカンデ足を上げてワンツーワンツー

 小柴教授ノーベル物理学賞受賞記念ダジャレ。朝、7時半起床。朝食、私は例のごとし。K子にはパスタ炒め。果物は花菜で貰った柿。べらぼうに甘い。メールチェックしたり、オビ文を書くことになっている福原鉄平くんの『機械博士ノージルV』を読んだり。

 昨日の松本ヒロのギャグと、それに怒った客のことをぼんやりと考える。松本ヒロのあのネタは、この、世間が騒いでいるさなかにやるということは確かに悪趣味で、褒められたことではないと思う。そして、褒められたことではないからこそ、そこを敢えてやることに価値はあったと思う。不謹慎であることもちろん、もし拉致被害者に何らかの関係がある人が客の中にいればただでは済まないものだろう。その意味であの客の怒りはまことに正しい。だからこそ、あの客の目から見て正しくないからこそ、ああいうネタは存在しなければいけない、と思う。

 ギャグとは何か。その本質にあるのは、価値の相対化である。世の中のもの全て、右も左も前も後ろも、上も下も表も裏も、ありとあらゆる方向に存在するもの全てに対し、それを茶化し、価値をおとしめ、あざ笑う。そのことによって、世の中の思考の流れのバランスを保つ役割を果たすのである。ここにギャグの存在価値がある。たとえ万人が正しいと認める事実であっても、それをよしとする意見一辺倒になってしまった場合、人の思考の自由性は失われる。人には間違った考え、悪い考えを抱く自由もあるのである。いや、それだからこそ人間は人間なのだ。ある一つの思想、ある一つの常識、そこに完全性を付与しようとすることは、思い上がり以外の何物でもない。西欧において、完全無謬なものは神しかあってはならず、例え王であろうと、過ちを犯すことは人間の定めとされていた。しかし、権威ある地位にいると、時に、自分の考えは全て正しいという思い上がりが生まれる。それを現実に引き戻すために、道化(フール)というものを王家は置いた。馬鹿と呼ばれ、どんな権力もなく、しかしそれ故にどんな権力からも無縁に王の言動を茶化し、あざ笑う。モンティ・パイソンもサウスパークも、現代のフールとしての役割を果たしている。権力を笑うと同時に、弱者にも容赦なく嘲笑の刃を向けている。日本はその点、まだ遅れていて、飯沢匡のように“笑いは弱者の武器である”と言う偏った定義をして、それがまかり通ったりしている。この武器は確かに強者に向けられるものだが、同時に弱者にも向けられる。両刃の剣でもあるのだ。いや、でなくてはいけないのだ。

 もちろん、ヒロがあそこであのギャグを演じたことを完全弁護はしたくない。あそこでもし、あの客が怒って舞台に上がり込んだりなどして、舞台進行に障害を生じたとしたら、それは白山雅一への大きな迷惑になる。TPOをわきまえていなかったと言われても仕方あるまい。また、上記のような考えから、悪趣味ギャグをやる者が逆に、自分たちこそ正当なのだ、という思いを抱くとしたら、それも間違っている。確かにフールは王を笑い者にすることを許されていたが、しかし、そこは“過ちもある人間”である。いつ、王の堪忍袋の緒が切れて、フールの首を刎ねることを命じないとも限らなかった。道化たちはみな、命がけで悪ふざけをやっていた。この緊張感を失ったとき、笑いはその鋭さをなくして、単なる惰性に陥るだろう。今回の騒動、あの怒った客がモノをわかっていない単純バカであることは論を待たないが、しかし、ああいう存在もまた、ギャグと同じく必要性がある。誰がいつどこで怒り出すか知れない、その綱渡りの上でこそ、危険ギャグは光るのだ。たまにはこの程度のアクシデントはあってもいい。

 モノマガ原稿のネタを決めて、そのブツを手に入れに渋谷駅前に出る。東急プラザ脇の通りで大島ラーメンというやつを食う。別に大島名産のラーメンではなく、大島という人の考案したスープで食わせるラーメンだそうだ。まずくはないが、また来ようという気になるものでもない。古書センターで、目当てのものを手に入れ、他に数冊買い物をする。銀行で引き落としの手続きをするが、ちょっとよくわからないところあり。会計に関してK子に訊いてみなくてはならぬ。西武デパ地下で食料品買い込み、帰る。渋谷まんがの森が今月15日で閉店との張り紙、少しショック。私のアンテナショップのひとつだったのに(その割にあまり買い物はしてないが)。

 帰ったら白山先生から留守電で昨日のお礼。まあ、留守電でよかったと思ったら、やはりご丁寧にまた再度電話。調子が悪くて恥ずかしいステージを見せてしまって、とひたすら謙遜。いやいや、と言う。夜中の三時に寝て、風邪を引き込んでしまったそうだ。78歳で宵っ張りというのも珍しい。

 電話は20分ほどで終わる。しかし、会話中にいろんな人物の名前が出て、何か懐かしくなって、昔のカラサワ企画(オノプロ)当時の資料など、ちょっと引っぱり出す。あの日、すんなり名前が思い出せなかった、横森先生と並ぶアコーディオン奏者の名前が長島史幸だったことを確認。この先生の名前がスッと出てこないようになっては私もオシマイである。私がプロダクション現役だったころ、アコ業界では横森先生はダントツNO.2の人だった。ダントツで2番目というのは変な言い方だが、横森先生は天才というよりは優等生である。当時この業界でナンバーワンとされていたのは長島史幸先生という名物アコーディオニスト(人形劇版『鉄腕アトム』の後期の音楽を担当した)で、この人は本当の意味での天才だった。横森先生は、たとえ即興で出来るような曲であっても律儀に譜面を見て演奏するが、史幸先生は譜面なんか、まず絶対に見ない。それでは音合わせが出来ない、と歌手が文句を言うと、“歌ってみな、合わせてやるから……”と、そういう人だった。で、確かに、初見の曲であっても、どういうわけか見事に合わせて演奏できてしまうのだ。この人のシャンソン演奏などを聴いていると、もうこの先生は日本にいちゃいけない、パリにでもマルセイユにでも行って、そこで演奏していれば超一流のクラブが最高のギャラで迎えにくるだろうに、と思えてくる雰囲気のある人だった。

 なんでそういう人が日本の、しかも私ごときのプロダクションなんかでくすぶっていたかというと、彼には病があって、アコ弾きなのに歌い手の前に出たがる、マイクの前でしゃべりたがる、という悪癖でみんなに嫌われていたのである。それも、しゃべって面白いならともかく、ラチもないようなギャグばかり飛ばして、顰蹙をかっていた(総理大臣をコキ下ろして、胸ポケットからサンダルを片っ方取り出し、“あんなのは総理じゃなくてゾウリ”というレベル。一ぺん、新宿の韓国クラブのクリスマスショーの仕事にこの先生をやって、ママにひどいのを入れたとケンツクを食わされたことがある)。横森先生がしみじみと“史幸ちゃんが黙ってアコだけ弾いてれば、オレたち仕事なくなってたよねえ”とおっしゃっていた。晩年は自前で天使とピエロの合体したような衣装を作り、キューピッド長島と名乗ってアコーディオン占いで売り出すとか言って、私の事務所に転がり込んできた。仕方ないので、別冊宝島とか、NHKの田代まさしの番組とか、テレ朝の深夜番組の占い特集だとかに売り込んで、使ってもらって、何でも嫌がらずにやるので案外重宝がられていた。そうだ思い出した、最後にお願いした仕事が銀座小劇場での佐川一政氏の舞台で、私はパリのことを佐川さんが語るバックに、史幸先生のシャンソン演奏をぜひ流したいと思ったのである。だが、練習が始まる二日前に腸閉塞で倒れ、結局、そのまま大腸ガンが発見されて、病院を出ることなく、不帰の人となった。試しにグーグルで長島史幸を検索しても、見事に一件もヒットしない。つくづく、舞台芸人というものの悲哀を感じる。

 結局、今日は資料検索だけで一日終わった。8時から夕食の準備にかかる。している最中に永瀬さんから電話。トンデモ本大賞の東京開催はどうなってるのかな、という話。片手で受話器を持ちながら、片手で料理する。永瀬さんにしては短く、1時間ほどで切ったのだが、切る寸前にK子が割って入って、キツーイ一発。あちゃあ。晩飯は長野のナスと焼き豆腐の煮物、と学会の本郷さんが台湾旅行のオミヤゲで買ってきてくれた乾燥アミガサタケを戻して、鶏肉と一緒にビネガー風味で煮たもの。これは我ながら、フランス風でも中華風でも和風でもない、独特の風味の佳作となったと自負。煮物に剥いた茄子の皮は豚肉と炒めて、これは中華風というよりチャイナハウス風。どれも、片手で作ったにしてはうまくいったと思う。あと、これは両手でなくては出来ない焼きオニギリ(貝柱フレーク入り)を追加。テレビ見てたら、ノーベル化学賞を博士号も持っていない、島津製作所の社員がとったというニュース。ナッパ服姿での会見は微笑ましいが、その後ろに丸に十の字の垂れ幕がばかでかく垂らされていたのにちょっと違和感を持った。“まったく寝耳に水”と言っていたが、ノーベル賞というのは自分が候補になったことも知らされないものなのか?

・鶏肉とアミガサタケのビネガー風味:鶏肉はぶつ切りにして、塩胡椒し、メリケン粉を軽くはたいておく。厚手の鍋にサラダオイルを敷き、ニンニク一カケ、タイムと一緒に炒める。きつね色になったら、白ワイン、ワインビネガー、コンソメスープを入れて、水にもどしたアミガサタケと一緒に煮る。もちろん普通のキノコでもOK。さらにここにウスターソース、トマトペースト、好みで醤油なども、味を見ながら投入。ソースがどろりとしてきたところで、皿に盛り、上にアサツキ(万能ネギでも)のみじん切りをふって供す。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa