裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

木曜日

サルモネラ追わず

 たぶん誰でも考えてると思ったんだけど、Googleで検索してみたら出なかったので。朝、7時起床。朝食、トウモロコシとサツマイモ、クレソンの蒸したの。コンソメスープ。果物は桃。昨晩もニュースでやっていたが、群馬の女子高生誘拐殺害事件。身代金の要求額がたったの“50万”、しかも半額にまけた、というところが情けない。どうせ殺すのであったら大金を要求してきてもらいたい、というのが関係者の正直な思いではなかろうか。たかだか25万と引き替えに殺されるというショボさは、人権に対する侮辱のような気がする。こないだの東京駅コンビニでの万引きも そうだったが、人命の価格破壊が凄まじい。

 ネット巡回。昨日の青山智樹氏、やはり酔っての書き込みだったか、Oさんのところで謝っていた。氏のところの日記も、読んで脱力するばかりで、今更、何を言うこともない。が、ハマコンにゲストで来た京本政樹のことに触れていて、ちょっとニヤリとする。これもどうしようもない想い出だが、あのとき、彼をゲストに呼んだのは私なのであった。……あの年の春、京本氏は自分の監督・主演ビデオである『髑髏戦士スカルソルジャー』を撮っていて、潮さんが京本氏の扮する主人公の従者という大役で出ずっぱりだったこともあり、私も毎日、撮影現場に出かけていた。単に潮さんの健康状態を気遣っての様子見だったが、いつのまにか京本氏がやけにこちらに親しく話しかけてくるようになり、どうも、彼は私のルートを使って、この作品をマスコ ミに宣伝させようと踏んでいるらしかった。

 それは、もしこの作品が売れれば次の仕事にも関わってくることでもあり、私に断る理由はなかった。少なくとも私の口利きで、このビデオのマンガ化作品が徳間書店『少年キャプテン』と秋田書店『ホラーハウス』の二誌に載り、夕刊フジになをきが撮影所訪問記を描いた。まともなルートを通せばそれなりの金が必要なもので、宣伝費としてみればかなりのものを京本氏は浮かしたことになる。で、それに加え、京本氏は、ビデオとしては異例のことだが、どうしても完成試写をどこか大きなホールを借りてやりたい、と言い出した。それも、タダで。この作品のプロデューサーは当時京本氏が在籍していたAというプロダクション(今でもそこなのかも知れないが)、そしてKという中堅のビデオ製作会社で、どちらも別企画で京本政樹ほしさに、この作品を彼が監督したい、というわがままをきいてやっているようで(Aプロの女性社長は“わたし、こういうオタクモノって本当は大ッ嫌い!”と、私をオタクとも知らずにささやいた)、そんな宣伝費はとても出してくれそうになかったのだ。なら京本氏が自腹を切ればとも思ったが、氏はその頃、再婚準備に忙しく、あまりこっちに回 せる金もなかったようだった。金がないのはこっちも同様である。

 どこか、いい会場探してくれませんか、金をかけなくてもよくて、設備が整っていて、大スクリーンで上映が出来て、人を集められるところがいいんですが、と、贅沢なことを京本氏が言ったとき、私もうーん、と首をひねったが、まったく怪獣映画の安直な演出のように、ひねった視線の先に、ハマコン会場になる筈の、横浜ロイヤルパークホテルの、あのヨットの帆型のシルエットがあったのである(この作品、舞台が横浜で、毎日そこでロケをしていたのだった)。

「ありますよ、最高の会場!」
 私は『ガメラ・大怪獣空中決戦』の中山忍のように叫んだ。“しかも、宣伝も客集めも、何にも心配ないところが!”と。さっそくその晩、実行委員会に電話をして、企画をツッコンだ。潮さんはすでに地獄大使ショー、平山亨氏との対談、という企画で出演が決まっていたが、それに加えて京本政樹、黒部進という豪華ゲストが来るとなれば、向こうに否やがあるわけもない。みなとみらいのホールを使ってスカルソルジャー上映プラス座談会を企画しましょう、と即決が下った(黒部氏はK社の方で責任を持って呼ぶ、ということだったが、後で確認したらちょうどその時期はアフリカ旅行の最中で、ということでNGになった)。これが確かその年の5月ごろのことである。プログレスレポートにも京本氏の名前が載り、K社、Aプロからは大感謝されたし、こちらも面目を保てた上に豪華な企画も実現できて、いい気分であった。

 ……ところが、大会開催間際の7月末になって、Aプロから横やりが入った。“作品の上映はかまわないが、京本がそこに行ってトークショーをするということになると、これは仕事が発生することになる。ギャラを出してくれないと困る”と、言うのである。冗談ではない。トークショーの件は最初から話しているし、大体、自分の映画の試写に監督が行って挨拶なり、なんらかの話をするのは業界の慣例ではないか。Aプロの社長と私は談判したが話は平行線であり、しかも、“実はその日はすでに次の作品の撮影が始まっており、京本は京都にいる。横浜の会に出演するのは無理だ”と言いだした。……つまり、この京都での作品に京本氏の出演をOKさせるために、Aプロは『スカルソルジャー』に金を出したのであり、釣った魚にこれ以上エサをやることはない、という態度だったのである。K社にも話してみたが、他の作品のことに関してはこちらも口を出せない、と困惑した様子。で、最終的に京本氏自身と話して見ると、彼の方では“ぜひ、試写会には出たい。ボクの責任で出ます!”と力強い返事であり、調べたところ、スケジュールは何とか都合がつけられ、その日の朝の撮影が終わってすぐ、新幹線で横浜に来て、試写、トークをすませ、トンボ帰りで京都に帰ればOKである、と言ってくれた。私は面目をつぶさずにホッとして、ああ、やはり情熱がある人物は違ったものだ、と、彼をちょっと尊敬する気持ちにすらなったものである。……次の一言を聞くまでは。                  
「で、当然、新幹線の代金はカラサワさんの方で出してくれますね?」

 謀られたようなものである。K社の企画担当である女性の方を見たら、彼女は申し訳なさそうな顔で、“本来、うちで出さねばならないものなんでしょうが……”とだけ言った。すでに京本氏の意向で通常以上のポスターやチラシ、立て看を作り、これ以上は宣伝費は出せないようだった。しかも相手は潮さんという人質をとっている。ここでもう一度話をこじらせてどうこう、という気力も私には残っていなかった。 
「わかりました。こちらで出しましょう」
と言うと、追い打ちのように、
「じゃあ、キップはこちらで手配しておきます。京都〜横浜往復のグリーン車2枚」
「2枚?」
「ボクと、×ちゃん(彼の付き人兼マネージャー)の分です」

 不思議なもので、怒るというより、むしろこの時は、役者というのはこういうものか、と感心してしまったほどだった。別に京本氏に悪意とかズル賢さとかがあったわけではない。彼はそれを当然のこととして口にしているのだ。寄席のプロデュースしか経験がなく、色物の芸人さんなど、どんな大看板でも一人で荷物かついで“おはようございます”と楽屋入りしてくる姿に慣れている私としては、これはもう世界というか、常識が違うのだ、と思わざるを得なかった。

 SF大会での上映は『地獄大使ショー』の三分の一くらいの入りだったがまず、成功だった。京本氏はトークが苦手と言いだし、私の質問に答える形で話すから、とのことだったが、実際始めてみると大張り切りでしゃべり通しだったし、ばかりか、新幹線の時間が、と、その付き人の子を楽屋でイラつかせながら、トーク後の上映まで全部、潮さんと並んだ席で見て、“いやあ、やはり大スクリーンはいいよ〜”と、終わった後、私の肩を抱いて感謝してくれた。K社の宣伝担当さんは帰り際、深々と頭を下げて、“今回は本当にご迷惑をおかけしました。今後、カラサワさんとはお仕事上でいろいろおつきあいをお願いしますので……”と言ってくれて、私は、これで少なくとも、新刊線代を無駄にせずにすんだ、と自分を慰めた(もっとも、あとでお笑いビデオの企画を持ってK社の彼女を訪ねたら、“ウチもいま、苦しくて新しい企画とか、やれないんですよね〜”と、掌を返したような態度だったのには呆れ返った。今でもこのときの件に関し、京本政樹をうらむ気持ちはあまりないが、この女性に対する印象はかなり悪い)。思えば、SF大会でなくても、ひとつの企画をスタッフとして動かすということには、さまざまな人間関係のトラブルやアクシデントがつきまとう。それは当然のことであり、それが嫌なら、ハナからそういうことには関わらないことだろう。

 昼は家から送ってきたウナギとゴボウの煮付けをおかずにご飯一膳。これで今朝はK子の弁当も作った。1時、雨の中新宿。歌舞伎町ライブハウス『アムストック』でPS2用ゲーム『探偵神宮寺三郎Innocent Black』制作発表会。プロデューサーが『コンテンツ・ファンド』仲間の西山英一さんなので、その関係で招待を受けた。この作品、キャラクターイメージが寺田克也氏で、寺田氏には最近、いろいろと影のツナガリもある。会場は満席で、二、三、知った顔に挨拶。あとはただ、傍観していただけだが、この作品をそれまで制作していた会社から全ての版権を譲り受けて制作することになったという、ワークジャムの社長はやたら緊張していた。もうずっとこのシリーズのプロデュースをやっている西山さんの挨拶は慣れたもの。その後、BGMに使われているジャズの演奏ライブがあり、質疑応答があり、2時間半で終了。神宮寺三郎の声は『アッパレ! 戦国大合戦』の小杉十郎太氏であった。

 行きは雨すさまじく、棒のように降っていたが、出たときには晴れていた。帰宅して、原稿を書きながら、ガクッと何度か落ちる。血が脳をめぐっていない感じ。諦めて寝床に横たわり、『砂払(下)』など読み、ウトウトとする。6時、Web現代Yくんと電話でワンフェス打ち合わせ。ワンフェスは取材許可を取るのがむちゃくちゃにめんどくさく、品田さんに電話して、一般入場で入って、プライベートで写真撮らせてもらうことで話つけたとか。同時開催のトイフェスはその点、気軽なもので、まあいいでしょう、でなんでも進む。もっとも、そのぶんゾロッペエで、ワンフェスの招待状は一ヶ月も前に届いているのに、トイフェスの方は今日、ようやく来た。それ でも例年より早くなった方である。

 6時、新宿でマッサージ。背中の筋肉をオイルを塗ってもみほぐしてもらう。パンツを全部ズリ下ろされて、ケツ丸出しの状態。そこを若い女の子に揉まれるわけであるが、別段モヤモヤするものもなし。トシだなあ。終わって、四谷三丁目『まさ吉』で井上くんと久しぶりに飲み会。ワンフェスのことから、例のフィギュアアートシーン写真集のことになり、また少し大きいオマツリ的な仕事をなんかやりたいねえ、と話す。長野からの桃をまさ吉のお母さんにお裾分けしたら、そのお返しというわけでもなく、イカ明太とほぐし鮭の瓶詰め、それに焼酎一本を貰った。貰い物を人に回してこんなものを逆にいただくとは、申し訳ないようなものである。イワシしそ揚げ、牛すじ煮、最後がモツ鍋。日本酒かなりやった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa