裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

金曜日

ふぎゃあスケート

※浅草取材 Minami Produce公演観劇

5時ころ夢を見て目をさます。
札幌の実家。実家の家屋はかなり広いのだが、夢の中では
それよりさらに広くなっている。だが、その広い中に家具が
ギュウギュウに詰まっていて狭苦しいほど。
しかも、私たち兄弟、父母、祖父母の他にもう一組、
父母より上で祖父母より下の老人夫婦がいる。
この家を切り盛りしているのは母だが、母がある日
いつまでたっても帰宅せず、朝5時を過ぎても音沙汰がない。
私と弟は警察に届け出ようと言うが、父が凄い剣幕で
「そんな必要はない!」
と怒鳴り、幼い私たちは泣き出す。

二度寝がなかなか出来ず、『江戸演劇史』(上)の近松門左衛門
の死のあたりを読んでいたが、この条の、近松と、ライバルだった
紀海音の比較が面白くて、ずんずん読み進んで眠れず。
近松と比較すると海音は知名度でずっと劣るし、
書いたものの質も朝日日本歴史人物事典などでは
「生硬で抒情味に乏しいとの印象は否定し難い」
http://kotobank.jp/word/%E7%B4%80%E6%B5%B7%E9%9F%B3
などとクサされているが、渡辺保は近松と海音が同じ実際の心中事件に
材をとった『心中宵庚申』(近松)と『心中二つ腹帯』(海音)を
比較して、まず両方の興業の入りが海音側の圧勝であったことを
挙げる。そして、
「むろん近松と海音を比較すれば、『宵庚申』の文章の流麗さ、
流れる如き読みやすさ、人間像の描き方の深さは『二つ腹帯』の
比ではない」
としながらも、しかし海音が一点、近松に勝っていたものは
“舞台技巧”であった、と結論する。近松の作はそれ自体は文学的に
優れていたが、人形浄瑠璃の舞台にかけるには適していなかった。
海音のはメロドラマの基本を押さえていたので、観客は安心して泣けた。
つまり
「大衆劇的なわかりやすさ、シアトリカルな舞台技巧において」
より強く観客に訴えたのである、という。

……私は人形浄瑠璃の歴史などについては素人に過ぎないが、
この件が面白くてつい、睡眠時間を削って読んでしまったのは、
いま現在、私が芝居などというものに関わっているからだろう。

少しウトウトしたあと、ストレッチして無理に起き出し、
入浴。空は今にも雨が降り出しそう。今日は取材なのだがなあ、
と思うが、気圧で鬱っぽくなっている気分をウンと振り払う。
http://www.youtube.com/watch?v=0WA9LIu4jiM&feature=related
↑そういうときはこの歌。

11時、朝昼食。納豆、茄子焼き、エノキの味噌汁。
ご飯一膳。タンカン1ヶ、ブドウ5粒ほど。
食べて原稿、なかなか進まず。
2時、家を出て、浅草へ。地下鉄新中野駅まで歩く。
杉山公園交差点で声をかけられて振り向いたら、母だった。
「ちょうどよかった、お金貸して」
という。買い物に銀座まで出るのだが、財布を忘れてしまった
とか。カードはバッグにあるので困らないが、現金がないと
やはり不安なので、と。いくらかを渡す。
銀座まで母と共に。

銀座線、終点の浅草。
雨、そう強くなっていないのでホッと。
雷門交番前でT木さん、佐藤歩と合流。
最初は花やしきで、と思っていたが、原稿内容にもっと
密着したところ、というので、いくつか候補考えた末に
ちょっとコジつけ的ではあるが某所にて撮影。
あっという間に終る。

それから公会堂裏の喫茶店『天国』でちょっと休息、
次回の打ち合わせなど。さすが浅草の喫茶店というか、途中で
大木凡人氏が入ってきてずっと打ち合わせをしていた。

出てT木さんと別れ、歩と『リスボン』で食事。
それからもう一度、仲見世通りをぶらついたり、雷門商店街で
帽子の安いのをみたり。

で、頃合いを見て銀座線で渋谷へ。
始発から終点までなのでちょっとかかる。
4月の公演、9月の公演の話などする。

渋谷到着、小やみになった雨の中、ギャラリールデコへ。
大野由加里ちゃんが出演している芝居“『世界の終わり』を囲む短編”
を観劇。由加里ちゃんから招待されたので歩もさそったのだが、
後から何と、その芝居に歩が芸劇で一緒に芝居をした役者さんも
出演しているという。おまけに舞台監督が早坂さんである。
少し世界は狭過ぎ……と思っていたら、路上でフラフラと歩いている
早さんを歩が見つけた。タバコを吸いに出たらしい。
何か世間は20人くらいの配役で回り持ちをしているのではないか。

ギャラリールデコは文字通り普段はギャラリーであり、そこにパイプ
を組んで客席を作り、芝居を出来るようにしている。
これは主催者の南慎介氏が、こういう非・劇場空間で芝居を行う
ことをテーマにしているかららしい。これまた偶然だが、
早さんの舞台監督席の隣に座ることになる。
古い渋谷のビルの、剥き出しにされた空間が何となくモダンに
見えるのが不思議。トイレが不思議な空間で、便器のある場所に
扉がない。たぶん、古いビル故に前に作り付けられていた
便器が小さく、ウォシュレットつきの便器に交換したら、
ドアがしまらなくなってしまって、仕方なく除去したのだろう。
トイレそのものへのドアは鍵がかかるので問題ないとはいえ、
何か落ち着かず。

で、いよいよ上演開始。
芥川竜之介の短編をもとに改作し、数篇を組み合わせて一本の
芝居にしている。AコースとBコースの二つがあって、
それぞれ組み合わされる話が異るが、今日はBコース。
『地獄変』のみは何とか元ネタだな、と判るが、他の話は
インスパイアの元ネタになっている、というレベルで、後でパンフを
見て確認しないとわからない、というくらいに改変されている。
しかも、その話が分割されたり、途中で他の話と混じったり
かなり複雑な構成になっていて、役者さんも大変だろうな、と
思ったが、独りよがりにならず(こういう芝居では、よく
テーマ性で頭でっかちになるものがありがちなのである)、
きちんとエンタテインメントしていたのがさすが。

役者さんたちもみんな頑張っていたが、中でも由加里ちゃんは
ひいき目でなく、存在感があったと思う。『地獄変』の絵師・良秀
をモチーフにした、気難しい女流天才画家。人には意地悪で
傲慢な態度をとるが、その一方で筋萎縮症に冒された夫の病状が日々、
進行していく不安にさいなまれている、というキャラを見事に
出していた。華がある、ということなのだと思う。

自分の普段見る、あるいは指向しているお芝居とはまるで違う
方向のものだが、それだけに興味深く、面白く見ることが出来た。
終って、歩の知り合いの役者さんなどに挨拶。先に帰る歩を
送って渋谷方面までちょっと歩き、それから戻って、渋谷川に
かかる橋の奥にある炭焼酒家本郷という店に入り、早さんと
由加里ちゃんを待つ。早さんの携帯を知らないことに気がついて
ハッシーと岡っちに電話して確認。

やがてやってきた二人と乾杯。
この橋のところに猫が住みついていて、由加里ちゃんは毎日、
その猫を見ながら小屋入りしているとか。
芝居の話、共通の知人の話などに花が咲く。
早さんは酔ってこないだ、彼女にセクハラしたが全く覚えて
いないらしく、
「惜しいことをした〜」
と。それをまた笑い飛ばす由加里ちゃん、豪快。

別に早さんを弁護するわけではないが、劇団とセクハラは
ある種、つきものの関係である。一般社会の常識から言えば
裁判に持ち込めるレベルのセクハラが常時、行われていると言って
いい。言葉でもそうだし、フィジカルなレベルでも。
名前は出せないが大物声優さんで、その悪癖故にスタジオで
影で大顰蹙をかっている、などという人も知っている。その話を
聞いたとき、その大物声優さんは劇団に関わっているだろう、と
訊いたら案の定だった。

これは必要あってのこと、なのである。
舞台役者というのは、その役によって、時に恋人同士になったり
不倫関係の男女になったり、あるいは娼婦とその客になったり
しなくてはならない。キスシーンも演じるだろうし、抱擁や
手を握り合ったりするのは日常茶飯となる。

そういうときに、明らかにそこに躊躇が見えたり、また体が硬直
するのがわかったりすると、観客は興ざめすることになる。
公演のたびに、全く異る役が役者というのにはふられるわけで、
どんな役が来ても演じられる準備はしておかなくてはいけない。
ことに芝居というものの8割以上は男女の仲というものを描く。
そこに心理的柵を作らないために、セクハラで普段から鍛えている、
というわけである。

ちなみに、私はまだ、そういうセクハラに慣れられない。
女優の方も何にも感じてない、とはわかっても目にするとつい、
ビクッとしてしまう。役者として、芝居人として私がいまだし、で
あるのはそのせいである。

本郷はつまみ、やや種類が少ない感があるが味は抜群。
サトイモのフライドポテト、海苔で巻いて食べるチャンジャと
クリームチーズ、トコブシとセロリのきんぴらなど。
12時ころ出て、もう一軒、というので早さんの知ってる
店へ。途中、路上で声をかけられた(よく声をかけられる日だ)。
みたら、A社のK瀬さん。偶然だったが、酔ったいきおい、
引っ張って二軒目、連れていく。そこでもまあ、似たような
話になるが、何とK瀬さん、おごってくれた。
かたじけないというか申し訳ないというか。
2時半ころ、タクシーで帰る。メール、携帯で確認。
意気上がることもあり、消沈することもあり、複雑。

*雷門前で、すばる。
*歩にウケていた不二越跡の看板。
*ドアのないトイレ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa