裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

火曜日

バター犬町へ行く

谷岡ヤスジのキャラをフライシャーがアニメ化!

※原稿書き

街のスナックを舞台にした80年代風テレビドラマの夢。
スナックの雇われ店長の女の子は常連客のアイドルだが、
入れ替わり立ち替わり過去の男らしい客が訪れる。
カウンター席を占拠している常連客三人は、フランケンシュタイン
みたいな顔をして、テレビの海外紛争のニュースにやたら反応する
傭兵あがりらしい(?)“大佐”、孫の話しかしないがどうも家族
がいるとは思えないダンディーなおじいちゃん、電話一本で黒い
キャデラックが迎えに来る謎の和服のおばさまなど、怪しい人ばかり。

9時起床、寒くて寒くて体にも精神にもエンジンかからず。
ことに精神はかなり鬱気味。
死にたくなるほど、と思うが起き出してはいるわけで、それほどでも
ないのかも。

朝食代わりのハムサンドイッチと豆乳も味気なく、雑用をこなす。
月曜なのでメール等もほとんどなし。
次にかかる原稿の資料を探す。
最初に決めたネタは基本資料がどうしても出てこず、次回回しと
いうことにして、次点のものを探したら、まずまずのものが見つかり
これでいこうと決める。

夏に出す予定の本のアイデアが浮かぶ。
メモをとるがまだ海のものとも山のものともつかず。
とはいえ、個人的には面白そうではある。

12時20分、母の室で昼食。遅れたのは原稿に没頭していたため。
ピーマンなどの野菜と豚肉細切り炒め。豚肉はパイナップルジュースで
柔らかくしているので、もう細切りにするとボロボロの肉屑になって
しまっている。それでも風味は抜群。
あと、茶碗蒸し。ご飯一膳。

テレビではスピードスケートの長島・加藤コンビのことを大々的に。
これにトリノからの敗者たちの長い戦いを見る者もいればアスリート同士の
友情物語を見る者もおり、さらにはBL的興味でさっそく同人誌作りに
動き始める者もいるだろう。ドラマなんて、見る方の勝手でいくらでも
作り出せる。坂本龍馬だって、本人は案外、自分の人生なんて
平凡なものだと思っていたかもしれない。

民主党の小林千代美議員の選挙違反事件で北教組、という言葉を久しぶり
に聞いた。小学校の4年から6年の担任だったI先生が、バリバリの
北教組委員で、もちろん自衛隊は悪、君が代は間違った国歌と教え、
歴史教科書の記紀神話関係のところには線を引いて消させ、農民一揆の
ことばかり教えていた。

その他のことではまことにまことにいい先生で、スポーツマンで熱血漢
であり、足の悪い私をかばい、はげまし、どれだけお世話になったか
しれない。その先生への恩義だけでもサヨクになってしかるべきなのだが、
残念ながら保守主義者(しかも本流でもないひねくれ保守)になって
しまったのは忸怩たる思いである。しかし、これを思うに若いうちからの
洗脳というのもあまりアテにはならない。

午後から猛烈に原稿を書き始める。
途中で雑用多々入り、さまではかどりこそしなかったものの、かなり
バリバリとやった。明日には多少まとまったものを編集部に送れるはず。

テレビの刑事ものを、資料として積極的に見ている。
今日はながらだったが、懐しの伊東四朗と小林聡美の『おかしな二人』
シリーズをやっていた。ひかる一平や佐渡稔など懐しい顔も出てきて
おり、よほど古いなと思ったが2002年のもの。
8年なんてあっという間なのだな。

また訃報。SF翻訳家・浅倉久志氏死去。79歳。

SFファンとしてはフィリップ・K・ディック、ジェイムズ・
ティプトリーjr.J・A・エフィンジャー等の翻訳者としてまず、
語らねばならないのだろうが、私はなんといっても浅倉氏の訳業で最も
評価されるべきなのは『ユーモア・スケッチ傑作展』1〜3だと思っている。
初めて読んだとき、面白いというよりは驚愕し、笑いというものに
まったく知らなかった新しい地平があるということを知って興奮した。
……いや、それまでにも日本でこういうユーモア・エッセイは
例えば『新青年』誌などでしょっちゅう紹介されていたし、私も
ジョージ・ミケシュやジェイムズ・サーバーなどのファンであったが、
それらの翻訳に、どれもやや、居心地の悪さを感じていた
ことは事実である。

浅倉氏がユーモア・スケッチの翻訳のお手本としていた
井上一夫訳『アメリカほら話』(筑摩書房)、これも私は大好き
な本なのだが、これにもどこかに、その違和感はあった。
論理から逸脱した者たちを笑うのが基本の日本の笑いと、
論理そのものがどんどん逸脱していく英米の笑いとの
差が、日本語に直す時点でどうしても表に浮かび上がってきて
しまうのだろう。

その、居心地の悪さが浅倉氏の翻訳にはなかった。
これは浅倉氏が、SFという論理の文学の翻訳者であったため
だと思う。論理の飛躍を、読者に気付かせないように書くと
SFになり、読者に呈示しながら書くとユーモア・スケッチになる。
SFとユーモア・スケッチは兄弟なのだ。
そのことを教えてくれた人として、浅倉氏の存在は偉大だった。

惜しむらくは“ユーモア・スケッチ”という語(浅倉氏の考案)が、
その内容を正確に日本の読者に伝えるものではなかった、ということで
ある。日本ではユーモアという語意に、そういう狂気にさえ近い論理の
笑いという意味あいが薄いのだ。それかあらぬか、早川文庫版の再編集本
からはタイトルにユーモア・スケッチという語は外されてしまっている。
晩年まで訳業のスピードをゆるめなかったお忙しい浅倉氏であったが、
これでやっと、ゆっくりする時間が出来た。願わくは、あちらの方で
じっくりと、ユーモア・スケッチを表すいい訳語を考えていただきたいと
切に願う。

それにしても、柴野拓美氏といい、今年はSF界に訃報が続くなあ。
黙祷。

10時半、夜食。冷蔵庫に残っていた豚肉、エビ、アサリ、ササカマ
などを使ってうどんすき。具をまず煮て別にとりわけ、それからうどん
だけを煮て、しっかりと味をしみ込ませる。出汁の加減がうまくいって
なかなかの味付けになった。井上梅次監督追悼で『黒蜥蜴』をビデオで。
匂うまでに濃厚な1960年代の香りを味わう。黒ホッピー3ハイ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa