裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

金曜日

こええ大江戸線

こんなに地下に降りていくの、怖ええよ。

1日(金)
※ 『ポケット!』収録、三才ブックス取材、実相寺監督通夜

朝8時起床。急いで入浴。8時半朝食。タマネギ、シイタケ、タケノコの細切り入りコンソメ、柿、リンゴ。食べて日記つけ、赤坂へ。11時丁度の玄関着。すでに緊急ゲストの中野監督、それから取材の薬師神さん、Tくん来ている。
「追悼番組と言ってもしめっぽくなく、笑えるものにしましょう」
と基本路線を説明すると、中野さんも“それはいいですね!”と。だいたい私も監督も、しめっぽくやったらどこかで自分の意識をコントロールできなくなって壊れてしまう。

うれしいのは、『ブジオ!』のときの実相寺監督のコメントを使えること。曲目の選択も、ぜひ入れたかった実相寺昭雄作詞(川崎高名義)『風』をはじめ、『URTRA SEVEN』、そして今回がマスコミ初放送になる『シルバー假面』の主題曲『假面マーチ』と、実相寺監督を偲ぶには最適の選曲となり、満足。

で、収録開始となるが、まず最期を看取った中野監督による臨終の床でみんなで実相寺監督をはげましたエピソード(加藤礼次朗が“監督、また一緒にエロフィギュア買いに行きましょうよぉ!”という言葉には笑いながらジーンとくる。中野監督はドギマギしてしまい、“あ、中野です、よろしくお願いします”と言ってしまったとか)から入って、その演出家としてのクセモノぶりを、ブジオの音源で流す。意外だったのはスタジオではやたらオフマイクでしゃべっていて、うまく拾えたのかと懸念していた監督の声が、きちんとクリアーに入っていたことで、これは音声の上原くん(当時)の努力だろう。こちらの質問を徹底してはぐらかす実相寺流に、では、と、あえて監督のいちばん嫌がる質問である
「監督にとり『ウルトラセブン』とは何か、セブンの監督、と今なお言われ続けることをどう思うか」
というのをぶつけて(これを言われると、不機嫌になり帰ってしまうこともあったという)、ひねくれの故にそれにストレートに怒れず
「嬉しかった。もっと撮っておけばよかった」
という答えを引き出した、私にとってGJなやりとりも。

さらに話はそれからエロ親父としての実相寺監督論になり、メトロン星人のフィギュアを海保さんが無意識に撫で回すのを中野監督が笑うシーンもあり、そして映像論となり、現場での、憎まれ口を吐き散らす演出スタイルのことになり、妥協を許さぬ高踏派を通せたのは、生まれがいい(父上は台湾総督)ことによる選民意識の表れだろうという分析まで持っていけた。やはり1時間まるまるワンテーマで話せる番組というのはいい。中野監督曰く、実相寺監督は
「大衆食堂は好きだが、隣の席で庶民たちがペチャペチャ音を立てて
ものを食べているのは許せないタイプ」
だそうで、これは言いえて妙な例えであった。

話しながらふと考えたのだが、自分にとっての実相寺監督というのは
どういう位置づけなのだろう。私は決して高踏派ではなく、むしろ娯楽作品は大衆派であれ、という平山亨プロデューサーや湯浅憲明監督
の直系である。あこがれながらも自分との資質の違いというものを作品を見るたびに痛切に感じるのが実相寺監督という存在だったかもしれない。……もっとも、私自身は子供のころ、『第四惑星の悪夢』であれ『円盤が来た』であれ『狙われた街』であれ、難解だと思ったことは一回も無かった。確かにテーマとして異色なものではあったが実相寺演出は、そのテーマを表現の中にまぎらわすことなく、確実に見ている子供たちの方に伝えてきていた。

思うに実相寺演出が難解の相を帯びてきたのは問題児の烙印をテレビ界から捺されて、TBSを退社、ATGで『無常』『曼荼羅』などの、やや“荒れた”心象を映像化してウサを晴らしていたころからではないか。その後の“子供向け”実相寺作品批評が、ATG映画を通しての色眼鏡でなされたせいで、“実相寺は難解”というイメージが確立し、後期作品は自らもまた、そのイメージに乗り、自己の印象を演出していたところがあるように思う。後期実相寺作品にどれも相通ずる“自己パロディ”“韜晦”的な印象は、ここからくるものだと考えられるのである。

そんな感じで実にスムーズに追悼番組は収録終了、もちろん語ればまだまだいくらだって語れるわけだけれども、一時間を実相寺オンリーで話しまくった、ということで追悼の目的は達したか、と思う。ポッドキャスティングは“怪獣の鳴き声”から入って、ピンク映画のアテレコにまで話が及びまた盛り上がる。

それが終わったところで三才ブックス新雑誌の取材。薬師神さんとTBS8階のレストラン『J−倶楽部』で。薬師神さんには『ブジオ!』のときに取材受けて、
「大変なラジオ向け人材」
と書かれたが、今回のインタビューで
「ますますラジオ向けになってきましたね」
と言われる。どこまで“向け”が進むか? しかし、ちょうど一年前の自分の声をさっき聞いたが、確かに私の今のしゃべり方とはかなり違う。I井D、薬師神さんに
「カラサワさんの困ったところなどあれば」
と振られて、
「話が飛ぶところ」
と。一瞬前と今とぜんぜん違う話をしだしたりするので、そのまま流しても聞くほうに
「トウシロウな編集しやがって」
と思われてしまう、のだそうだ。呵呵。

収録、取材、つつがなく終わり、局を出る。Tくん、薬師神さんと松之屋でトンカツ定食。Tくんは風邪で昨日までバテていたそうな。
食べてタクシーで仕事場。挨拶文をざっと書き、さて、実相寺監督の通夜に、と思ったところでミリオンの原作、やっていなかったことに
気がつき、これを一本片付ける。これでもう通夜開始の6時半になってしまった。湯島であるから、間に合うか、もう終わってしまっていないかと心配しつつ、出かける。新宿から大江戸線で本郷三丁目。そこから歩いて十分の麟祥院。

途中のコンビニで不祝儀の熨斗袋を買ってご霊前の香典を包むというドロナワ。筆ペンがないのでテレビなどに出演の際眉を描くメイキャップペンで名前を。急場なのでこれで満足してもらおう。

幸い、まだ通夜続いていた。“寒いのでコートは着たままご焼香をお願いします”と、実相寺家からの言葉が貼られていて気遣いあるご家庭であったことがわかる。受付をして焼香。会席の方をのぞいたら原口智生氏がいた。入っていくとアルゴのH氏と中野監督がいたのでそちらへ混じる。中野監督、かなりハイになっている模様でしゃべるしゃべる。某女優さんが受付で名前を書いて、“故人との御関係”欄に
「あたし、何になるのかしら。“愛人”っていう欄はないの?」
と言ってた、とか(ホントかね?)。向こうの席で語り合っている石橋蓮司と寺田農が全学連のことで盛り上がっているのを脇で聞いていたら、
「あの映画での俺のメガホンの持ち方は全共闘式なんだ!」
と言っていて、全共闘式のメガホンの持ち方がすごく気になった、とか。井上梅次の『黒蜥蜴』を完コピする会があるとか。いや、よくしゃべるなあ、と思っていたら、そこに『シルバー假面』の制作会社ジェネオンのプロデューサーM氏が来て、この人が中野監督の10倍くらいしゃべる。

まあ、もちろん実相寺監督にほれ込み、リメイクをいやがる監督にシルバー仮面を作らせるまで苦労して持っていったのだから、その完成と同時の死去にハイにならざるを得ないだろうが、ちょっと圧倒される。中野監督に言わせると、ジェネオンって会社はオタ濃度ゼロのところで、そこでこんな作品作らせたその情熱はすごい、ということなのだが。

あと、REOさんなども来て挨拶。時間を見ると8時半。何とか今日の『ポケット!』は生で聞きたいので、同じことを言っている中野監督とタクシー相乗りで帰る。新宿で中野さん下ろしたあと、9時になったので運転手さんにラジオつけてください、と頼んだら、ラジオが壊れているという。タクシーでラジオつけてくれるよう頼んだのは初めての経験だが、そこで選ってラジオの壊れている車に乗るとは。

母の部屋で、シャケとイクラの親子ご飯食べながらラジオ、10分過ぎくらいから聞く。追悼特集と言いながらも笑いを基調にして進めており、まず、実相寺監督に聞かせても恥ずかしくない番組にはなったと思う。中野監督がこの番組のセミレギュラーだったことで、他の番組がやろうとしても出来ない内容になった。

明日は早いので、今晩中に原稿を、と思うが、通夜でビールと日本酒を入れてしまっていて、これを醒ますのに少し横になろうと思ってベッドに入り、予感はあったが案の定、朝までグー。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa