裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

金曜日

流行りの歌などなくてイー! の記

朝8時まで寝る。起きて入浴、9時朝食。アボカドにブドー、スープ。東京ガスのPR誌、ガスエポック(コラム連載している)の担当さんから電話。病気でしばらく仕事を休むので、担当が新しいものに変わるという。

その引き継ぎの打ち合わせなのだが、では何日何時に時間割で、と言ったら、
「そこに行ったことがないので」
という。
「唐沢さんともお電話ばかりで、初めてお会いしますし」

アレ? そんなわけはない、確かに連載開始時に時間割でいろいろ話してイラストに従姉妹の薫を使うとか、細かいところ決めたはずなのだが。そっちの方の(記憶がさだかでなくなる類の)病気か? とつい、不謹慎だが思ってしまう。

幻冬舎から新雑誌への原稿依頼。講談社からも新雑誌企画あるのでよろしくとのメール。このところ、創刊雑誌からの誘い多々。

雑誌連載は今がピークでこれ以上増やすとパンク状態なのだが、新雑誌と聴くとすぐイッチョカミしたくなるのが癖。前例や決まりにとらわれない場が本当に好きなのであろう。昼になってしまったので、家でお茶漬けかき込む。

タクシーで仕事場。白夜書房のレトロムックの原稿を書いて送る。三遊亭圓楽が脳梗塞で倒れた(実際は倒れたわけでなく自分で歩いて病院まで行って脳梗塞の症状が発見されたらしい)との報。命に別状はないらしい。

しかしながら、正直言って、今、圓楽さんが亡くなったとして、私に何か感慨が浮かぶかというとあまり期待できそうにない。最後にお仕事をしたのがもう二十年くらい前の横浜の落語会であったが、楽屋の椅子(教育会館の応接室を使っていたので豪華なソファがあった)にすぐ横になって寝てしまったので、
「ああ、ホントに体が弱いんだな」
と思ったものだ。

とはいえ、そこでの高座(『短命』)はさすが自家薬籠中のものという感じだったし、特別企画での談志との対談では若竹をネタにして丁々発止とやりあって、なかなかのものだった。そのすぐ後、私は行かなかったが学校寄席の仕事で一緒に行った事務所の者によると、高座に上がったものの落語などやらず、中学生を前にしてえんえんと教育論を語り、それが面白いならまだしも今の教育はなっていない、という年寄りの管巻きに近いもので、生徒たちは不満でブーブー言う、主催者の学校からは文句を言われるで、さんざんだったそうだ。

それ以来、うちのプロダクションは圓楽さんに仕事を頼まなくなってしまった。体調不良が神経をいらだたせて、現代日本への不満を口走らせたのだろうか。また、コアな落語ファンには弟弟子の圓丈が書いた『御乱心』の中での悪役のイメージが染みついてしまい、ついにそれを払拭できなかったことも、イラつきの原因だったかもしれない。

高校生のころ、ラジオ局主催で行われる札幌のホール落語会に足しげく通い、談志の『風呂敷』や『権兵衛狸』、圓楽の『悋気の火の玉』『阿武松』『短命』などを聴くのが本当に楽しみだった。思うにあの頃が圓楽さんの全盛期だったろう。『阿武松』は以前ラジオで聴いた師匠の圓生のものよりはるかに面白く、その日の鑑賞日記に
「談志より大衆性があり、しかもスケールが大きい。ずっと気になっていた言いよどみや噛みも驚くほど少なくなった。そのうち圓生を継ぐのだろうが、やはり将来の落語界を背負っていくのは圓楽師の方かもしれない」
と書きつけたくらいだ(実際、師匠の圓生は教えはしたが自分では『阿武松』は高座にかけておらず、圓楽がやってあまりに受けるので自分もやりはじめたらしい)。で、半可通な高校生の私でもわかったくらいであるからかなり評判になったのだろう。

その次の会で談志が、
「あれくらいならオレでも」
と思ったのか、同じ『阿武松』をかけたのには驚いた。これがまた、まったく毛色の違った談志なりの『阿武松』であったのも拾い物だったが、とにかく圓楽師のあの頃の評価はあの談志をして嫉妬させたほどのものがあったのである。

・・・・・・とにかく、今の圓楽しか知らない人には信じられないだろうけど、次代の落語界のエース争いで圓楽が談志や志ん朝に一馬身の差をつけていた次代が本当にあったのだ。

今思えば一瞬の輝きだったが。原因は、やはりあの三遊協会設立騒動だろうか。あそこで談志のように機を見るに敏で、これはこっちに不利だ、と見るとさっさと袂を分かってしまうことが、フットワークの遅い圓楽には出来なかった。

結局、最後まで圓丈などの目から見れば悪役となる役回りをつとめなければならなかったのである。プライドの高い圓楽には、これはキツかったろう。あの事件が落語界に落とした影は実に深い。

中野監督から電話、「今日よろしくお願いします」と。ホントに腰の低いカリスマ監督だな。

6時、家を出て赤坂へ。雨で体調不良。腹も減っていて、スタジオに用意されたお菓子類をばくばく食べてしまう。今回はブログを、と自分のモバイル持っていくがスタジオ内ではエアH使えず。室内LANで作家のI原さんのiMacとつないでなんとか見られる態勢になる。

六花マネにつききりでいろいろ見やすい状態にしてもらったり。実に役に立つマネージャーである。それにしても、ブログとラジオの融合、と謳うのであるなら、も少しスタジオもそれ仕様にしといてくれよ、TBS。

小林麻耶アナとざっと打ち合わせ。彼女の同期の男性アナが
「ぜひ見学させてください」
とついてきた。

次回ゲストを山咲トオルにたのもうとTBSから依頼してもらったが、次回は(と、いうよりここ一ヶ月ほどは)スケジュールぎっしりだそう。とはいえ、11月に入ったら空くので、ということ。

おぐりから携帯にTEL、いま下のロビーで中野監督と一緒です、という。下に降りていき、村木座長、土田真巳(おぐりのつきそい)と共に上へ。おぐりにはこういうつきそいは(まだ彼女のレベルでは)不要、と言い聞かせたのだが、
「所属劇団の座長が挨拶にうかがうのは礼儀ですから」
と押し切られた。

ディレクターの今井さんたちとみんなそろえてのミーティング。中野監督のオタ話に、その同期の男性アナがのけぞって笑っていた。
あまり盛り上がるのでおぐりが何と中野監督に注意する。これは越権行為。キツくあとで叱っておく。持ってきてもらったCDが『大巨獣ガッパ』(美樹克彦)『ザ・ガードマン(歌詞入り)』(藤巻潤)『銭$ソング(『マンダム親子』より)』(白木みのる)という濃すぎる三曲。全部聞いたことある私も私だが、局の人たちはみな愕然としていた。一番インパクトの強いガッパにする。おぐりコーナーの桜エビアイス、無事届いていて安心。次回からの参考に、という感じで拾ってきたB級食べ物紹介サイトのプリントアウトなどをおぐりに見せる。

小林アナ、前回に引き続いてのオタク責めで可哀想だが、しかし頭のいい子で、自分のこの番組での役割をきちんと心得ていて、リスナーにサービスを、という姿勢。

ADさんがやたらお菓子類を置くのに驚いたが、小林アナがそれを本番中の一時間でほとんど食べ尽くしてしまったのにもっと驚いた。どうしてそんな食欲でその体形を保っていられるのか、と不思議だったが、聞いたらスポーツレディで、バッティングセンターなどに通って毎日バンバン体を動かしているらしい。

さて、あっと言う間に放送開始時刻、今回はブログが読めるので気が楽、スイスイと行く。なんだろう、このマイクの前でしゃべることの快感というのは、という感じ。テレビはいまだに出ていて摩擦感があるのだが、ラジオは本当に落ち着く。

本番前より本番中の方がいい気分なのである。不思議な空間だ。中野貴雄カントクいよいよ登場、冒頭のツカミ
「馬鹿も休み休み、イェ〜イ。大草原の小さな、イェ〜イ」
を聞いて小林アナが見せたなんとも微妙な表情をラジオなのでお伝え出来なかったのがいかにも残念。私も“お葬式にかざるのは、イェ〜イ”と唱和。

中野カントクのプロフィールを一応彼女が読むのだが、キャットファイト、トラッシュ映画祭、特撮系AVなど、そもそも一般人に意味がわからない単語が多すぎ。ジャズ歌謡に話を持っていこうとしたが、結局15分の中では怪獣ものについて語るので精いっぱい。なんとか中野さんの作品中で私が水戸黄門を演じたことがある、とかいうエピソードを入れる。

キャットファイトの話で、また怖い物知らずのまややアナ、ファイターたちの怪人コスプレの話で
「わたしもしてみたい〜!」
と言うとすかさず中野カントク、
「クラゲが空いてますが」
と。小林麻耶のクラゲ怪人、見てみたいか?

あっと言う間にコーナー終わり、最後に出てきた単語が“スーパージャイアンツ”。
「スーパージャイアンツって何ですかぁ?」
「教えてあげませーん」
「教えてくださいよぉ〜」
というところで次のコーナーへ、という指示がディレクターからあり、小林アナ、いきなりアナウンサー調に戻って
「はい、では次のコーナーは・・・・・・」
中野カントク、大喜びで
「小林さんは“ツンデレ”でなく“デレツン”ですね」
と。調整室の中でもバカウケだったようで、次のコーナーで入ってきたおぐりが
「チョー面白いです!」
と。

で、グルメコーナー、二回目はちゃんと落ち着いて(第一回はI井ディレクターが“過呼吸じゃないですか?”と心配するくらい緊張していたが)笑いもとり、こっち二人とのイキもぴったり。

それにしても前回に続き今回も番組内で自分でもってきたものを食べなかったな、おぐりは。これはプロとしちゃいかんと思う。次回はどうか?

小林アナはちゃんと桜えびアイスをひと口、口にしたがその表情をまたお伝えできないのがヒジョーに残念。なんだかんだであっと言う間の一時間。小林アナも
「えーっ、もう終わりですかー?」
と言うくらい。これは3時間くらいぶっ通しでやるべき番組だよな。そのあと、ポッドキャスティング用録音。テーマはスポーツ。

スポーツ新聞のことから始まって、それから小林アナの“駅伝部”の話に回し、最後はオタクの運動であるコミケ、ワンフェス回りの話題に持っていく。話がちゃんとスポーツのことになったのはわれながら感心。調整室内ではみんな、しらすアイスなどを食べてオエーオエーとやっていた。

なまじもとのアイスがおいしいだけに(イチゴアイスなどなかなか)それとしらすの味が合わねえ合わねえ。ふらないの放送に入るおぐりと村木氏たちを送り出す。
「今日出てきたという証拠にこの紙コップもらっていっていいですか」
とおぐりが言うので見ると、ベイスターズのデザイン。
「いいんじゃない。それにひょっとしたらすごくレアになるかもよ!」
と言ったらIさんたち苦笑。

Iディレクター、中野さん、六花マネと近くの居酒屋で。中野さん、小林アナの頭のよさに感激だったようで、
「あんな可愛くてバカじゃない子もいるんですねえ」
と変な感心。デレツンの話になり
「オタクにとっては本当はデレはいらないんです。ツンだけでいい。メイドも優しい必要はない。“このハンバーグ、さっき落としてあたしが踏んづけちゃったんですけど、食べてくれます?”というのが本当のサービス」
なのだそうだ。深い・・・・・・。

おぐりに関しては
「彼女は絶対マイク持ってレポーターやるべきです。それも下町で。毒蝮三太夫さんの後を継ごうと思っているタレントは多いだえろうけど、女性でそれやろうとしている人はあまりいないだろうから、チャンスは大きいですよ」
と感想を。

あと、例の“善代官”の話、「『仁義なき戦い』を宝塚でやったらどうなるか」という話、『ショッカー舟歌』(「♪肴はあぶったイカでイー!」)など、もう矢継ぎ早の中野ワールド連射で、六花マネは笑いすぎて腹筋がひきつり、I井ディレクターは後ろの壁に後頭部をぶつけるという騒ぎ。雨、とうとうやまず。

作家のIさんも後で来ると言っていたが来らず。11時半ころ店を出て、タクシーで帰宅。六花マネに
「村木座長は結局(挨拶も)何もしなかったなあ」
というと、少し激高して
「何もしなかった、じゃないですよ。あきらかに仕事の邪魔してましたよ!」
と。呵々。

半身浴せずに寝る。そんなに飲んだ覚えはないのだが酔った。雨のせい、かも知れないし笑いながら飲んだから、かもしれない。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa