裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

土曜日

武者小路バヌアツ

「椰子の木派」の作家。朝、7時半起床。朝食、キャベツサラダ。あまった野菜を食べつくしてしまおうと、紅玉リンゴ、クレソン、それにカリフラワなども加えたら、えらいボリュームになってしまった。兎になった気分でぼそぼそと食べる。日テレのプロデューサーが視聴率モニターになっている家庭12、3世帯に、自局の番組を見てもらうよう謝礼などを渡していたという記事。この謝礼というのが5000円から1万円の商品券だった、というから情けない。以前、どこだったかの記事で、視聴率モニター家庭にはテレビ局から数百万のワイロの誘惑がある、とか読んで、そんなうまい汁が吸えるならぜひモニターになってみたいものだ、とか思っていたのだが、現 実はやはりショボい。

 昨日太田出版から送ってきた資料類のコピーに目を通す。その中にスラヴォイ・ジジェクの『現実の砂漠にようこそ』のコピーがある。ジジェクの著書は私の方でも、今、『汝の症候を楽しめ』『斜めから見る』などに目を通しているところだったので有り難かった。ざっと読んでみるが、大衆向け娯楽映画を通してラカン理論を語る、という彼の方法論は、オタクアニメを通してデリダを語ろうなどとしている一部の日本の若手現代思想家のモデルだろう。そして、その、語る素材としての大衆文化の知識の基礎が貧弱なことで、論全体がアヤシゲに思えてしまうというところまでが相似形である。例えば、この『現実の砂漠に〜』にざっと目を通してみたが、例のビンラディンのテロ事件について、ジジェクは彼を007映画の悪役と重ねて語り、悪役がボンドに自分の秘密工場を誇らしげに見せるおなじみのシーンを、ソ連や中国の映画 が何かというと大工場とそこで働く労働者の姿をアピールしていたのにかけて
「この瞬間にハリウッドは社会主義リアリズムにもっとも近い顔を見せる」
 と皮肉っている。このすぐ前にも、“ハリウッドのボンド映画は”と言っているくだりがある。アホか、である。007映画はハリウッド製じゃない。イギリスのパインウッド・スタジオ製の作品である。歴としたイギリス映画、英国風を代表する作品であることなど、ちょっとした映画ファンであれば誰でも知っている(アメリカ製の『ネバー・セイ・ネバー・アゲイン』などの番外もあるし、最近作は米資本が入っているため“英・米作品”という表記になっているものもあるが、撮影は常に英国中心で行われているし、共産主義による大工場、のイメージを露骨に出していた60年代の007映画は完全なイギリス作品だ)。それをジジェクはハリウッド映画として語り、アメリカ人が象徴界として抱いていた幻想が現実の世界に侵入してきたのがあのテロ事件だ、という、なにやら難解な結論へと読者を導こうとするのである。お粗末な論考としか言いようがない。

 こういうことを指摘するとジジェクのファンは(東浩紀ファンがそうしたように)“細かいオタク的な、本質には何の意味もない揚げ足取り”などと反論してくるかも知れぬ。しかし、本当にこれが意味のない、細かいことだろうか? ジジェクはその論の中で、ハリウッド製映画というものを、アメリカ人の思想形態のひとつの典型とみなし、彼らが敵対者に対して抱く恐怖や猜疑心のパターンをそこから読みとれる、としているのである。で、その例として挙げた作品がアメリカ製のものではなかったということになると、そもそも彼のいうように、ハリウッド映画というものはアメリカ人の特性を示したものなのか、という疑念が沸いてくるのは当然であろう。これは本質的な部分でかなりマヌケな仕儀のミスであり、しかも、『女王陛下の007』というタイトルの作品まであるあのシリーズをアメリカ製と思いこんでいたということは、この人の記憶力や観察力がかなり怪しいものだ、ということを証明することにもなり、ジジェクがそれこそ映画オタク的にいろいろ取り上げている他の作品の分析や比喩も、受け入れるより先にまず“本当に正しいのか?”と疑ってかからないといけない気になるのが普通だ、と思う。いや、一般人はともかく、学問の徒であれば、そうしなくてはいけないのが義務ではないか。私が以前に何度か東浩紀氏の著書にある基本的な知識の欠如に由来するミスを指摘したとき、多くの東浩紀信奉者(一部のアンチ東浩紀派の人までも)が言ったのは、“間違いは間違いかも知れないが、そこで投げ捨ててしまっては議論が先に進まない”ということだった。間違いを間違いとして放置したまま先に進む方が、私にとってはよっぽどあやういことのように思える。道を間違ったな、と思ったら即座に出発点に戻れ、その先に道を探すな、というのは 山歩きの時にばかり使う言葉ではない。

 12時に昨日炊いた残りのメシと、同じく残りのサンマの梅生姜煮、漬け物、ニラの味噌汁などで昼食。それからバッグ(もう二十年以上、旅行にも入院にもこれひとつかついで出かけているユービのもの)を手に、地下鉄半蔵門線で神保町へ。途中、いつも通る道にあるビルの地下にちょっと寄る。フィギュア店が出ていたり、エロビデオ&DVD屋が開店してたり、ちょっと魔窟ぽくなりはじめている。

 神保町、週末恒例の古書会館古書市。今日は老舗のぐろりや会だから、並んでいるものがどれもかなり濃い。こないだと精算の場所や展示ガラスケースの置き場所が変わって、少しまごつく。向こうもまだ、新しい会場を使い慣れておらず、試行錯誤中なのだろう。精神分析学関係の雑誌など何冊か手にとりつつ、会場をぶらつく。古書展の棚というのは、全集やシリーズをのぞけば、並んでいる本になんとなくまとまりがあるようで、実際のところ脈絡がないのがほとんど。法律書の隣りに古生物学の本があり、その隣には十冊ばかりの性文献が並んでいる(性文献はなぜか固まる)。この無規則性が、棚を端から眺めて歩いていく視線に、心地よい刺激を与える。図書館や新刊書店の棚にない、散策の楽しさ、地図をもたないトレッキングの快さをこちら に味あわせるのである。

 ……などと呑気にかまえて棚をのぞいていたら、いきなり、昭和初期の犯罪・エログロ雑誌『犯罪公論』や、カストリ雑誌でまだ未入手のものがゾロリとあるのを見つけてしまった。私の収集範囲であるが、こういうときの気分というのは独特である。金のかかりそうな美女を面白半分にくどいたらなびいてきたみたいなもので、嬉しいが、確実にかなりの額の出費が見込まれるのである。セレクトは充分にしたが、それでも総計でウン万を超えた。これがなければ買おうかと思っていた英国の1930年代チルドレンブックの揃いや、昭和30年代の日劇ミュージックホールの舞台の生写 真は諦める。

 かなり荷物も重くなったので、今日は珍しく他店に寄らず帰宅。地下鉄の中で、出るとき郵便受けに入っていた『SFマガジン』12月号読む。内容も表紙も、特に普段の号と変わりなく、クリスマス特集などやったりはしていないが、10月に12月号が配達されるというのは妙なもの。雑誌が雑誌だけに軽いタイムスリップ的な感覚を味わう。最終ページの次号予告に、“歌人笹公人による新企画開始”とあったのが嬉しい。先月号の執筆者近況欄で、『念力家族』のことをちょこっと書いたのだが、それから一号おいてすぐに登場というのは西手新九郎。こないだの桐生祐狩さんもそうだったが、塩澤編集長、面白い人材を登用する手際はなかなかのものである。

 やはり足がちょっと痛む。帰宅して、しばらく横になって休む。猫がやたらじゃれついてきて、顔をこすりつける。ミリオンNくんに参考資料の原稿をメールしたり、談之助さんから送られてきたちくま文庫用の原稿(新作落語論)を読んだり。“長くなりすぎたのでいい分量に削ってください”と添えられていたが、ちょっとどこにも ハサミを入れられないくらいの力作。

 7時半、家を出て渋谷駅前。K子、開田夫妻と待ち合わせ、東横線にて武蔵小杉。今日も特急に乗り込めたので、20分ほどで到着。改札口でS井、FKJ、それに平塚夫妻と落ち合って、『おれんち』へ。例の“アランドロン”の看板など見ながら向かう。今日はカウンター満員。桟敷席はわれわれで占領で、土曜日のことで電話が頻々なのをしょっちゅうことわっている。お母さんが同窓会で留守だそうで、娘さんが店を手伝い、手が足りないとお客さんまでを駆り出している。ここらへん、郊外のお 店の雰囲気。

 ヒューブロイで乾杯、さてメニューを見て、燻製盛り合わせ(キス、地鶏、卵)、とり刺し(貝の肉のように柔らかい)、白レバ刺し(あやさんの発案で塩で食す)、刺身盛り合わせ(カワハギ、ヤガラ、ミル貝、車エビ、鰯、サンマ、カツオ叩き、キンキ、シメサバ)、カツオのなめろう、カラスミの炙り焼き、かさごの唐揚げ。車エビ刺身はまだピンピンどころか、頭の部分を手に持つと、バイブレーターの如くブル ルルル、と振動する。みなみな、大感激。

 酒はビールお代わりのあと、これだけの人数飲んべえがいるので、と、山形の地酒『くどき上手』を一本買う。ガブガブ飲んで騒いで。さんなみの話、花火の話、SF大会の話から、開田さん夫妻らしき人が出てくる小説『コスプレ温泉』の話、さらに声ちゃんが今度Webでビキニ写真集を出したが、普段は生“けっこう仮面”なんかを嬉々としてやっているくせに、ビキニが凄く恥ずかしそうで笑える、というような話。中〆としてかつおの手こね寿司を頼んだが、これがうれしくなる家庭的料理で、普通の料亭ではしないだろうが、卵が一緒に入っている。うまいうまいと、大皿二つあるのがあっという間になくなった。あやさんが酒と雰囲気に酔ったか、K子が顔をしかめて叱りつけたくらいの大はしゃぎで、カウンター席の常連さんと仲良くなり、そのお勧め料理を際限なく取る。マンボウの腸の串焼き、キンメの兜蒸し、コマイの卵の煮付け、ハマグリ酒蒸しなどが上記の皿を片づけた後にぞろぞろ出てきて、必然的に酒も足りなくなり、また別のをとって飲む。FKJさんは途中でダウンし、S井さんと開田さんは世にも幸せ、という表情で寄り添ってニコニコ状態。ハモの白焼きを食って、その後でお汁にしたものが出たが、これの記憶があやふや。まだ数品、出たかも知れぬ。最後にあやさんにお客さんが進めた、カラスミチャーハンを一口、試食させてもらった。終電間際の電車に飛び乗り、帰宅。中目黒でタクシーに乗り換えて、帰って胃薬のんで、沈没したように就寝。とても21世紀の酒宴と思えぬ、なにやら中世の野蛮な祝祭の感すらある飽飲・飽食であった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa