裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

木曜日

なくてケスクセ

 フランスかぶれは誰にもある、ということ。朝、毛布がまくれるともう寒くて仕方がない。6時くらいに目が覚めてしまい、枕元にあった江戸時代随筆の北山久備『勇魚鳥』をパラパラと読む。平田篤胤の母の甥という国学者の著者の、日本語に関する覚え書き風随筆で、“お袋”の語源は母を意味する漢語の“北堂”に御の字をつけた “御北堂”が訛ったもの、などという説は面白い。

 7時15分起床。朝食は冷蔵庫の野菜置き場のものを片付けようと、エリンギ、セロリ、ニンジン、タマネギなど屑野菜のコンソメ煮。オーヴンが先日、壊れたので魚網でK子のパンを焼く。朝刊に横山まさみち氏死去の報。73歳。家でとってる二紙のうち、読売には代表作の欄に『やる気まんまん』が載ってない。産経には載っていた。アレを乗せないでどうしますか。とはいえ、私らの世代には、横山まさみちはスマートな画風のアクション劇画のヒト、というのが最初の印象であって、『少年サンデー』に『マイティジャック』なんかの漫画化作品を連載していたのを愛読していた ものである。

 昨日の日記に、“マンガ家さんは年内はすでに年末進行スケジュール、冬コミスケジュールなどを入れてしまっている人がほとんどだろう”と書いたが、私も状況は同じ。今年も冬コミ用原稿の依頼が知り合いから相次ぐ。ああ、年末が近いのだなという感じ。開田裕治さんのところの『特撮が来た!』は恒例だが、岡田斗司夫さんも今年は食玩本を出すそうで、何か原稿をと先日、メールがあった。フィギュア王の連載 みたいなことを書こうと思っている。

 Web現代原稿、やっと書き出す。筆が乗ってきたところでもう1時近く。打ち合わせの時間が迫っている。あわてて家を出て東武ホテル、の前に10分時間があったので、パックご飯を温め(2分)、冷蔵庫の長ネギと冷凍庫のラム肉をフライパンで炒め(3分)、小丼に移したご飯の上に炒めたものを乗せて卵を割ってその上にかけまわし(2分)、ジンギスカンのたれをかけて、野沢菜漬けと発酵茶を添えてワセワセとかきこむ(3分)。合計10分ジャストで仕事場を出る。“カラサワさん!”と声をかけられたので、見るとヘアサロンTRUE SOUTHの菅原センセイ。なにしてんです、と訊いたら、“モデルハントです”と。いろんなことするのだな。

 1時、東武ホテルで『編集会議』の人と待ち合わせ、時間割でインタビュー。花田編集長が直々に来たのに驚いた。電話での依頼では“あなたが毎回楽しみに読んでいるコラム”のベスト5を挙げて欲しい、ということだったが、“やってみると、どうも今、そういう名物コラムってほとんどないんですよねえ。だから、「昔楽しみに読んでいた」でも結構です”とのこと。私が挙げた五本は、『笑犬楼からの眺望』(筒井康隆・『噂の真相』)、『葭の髄から』(阿川弘之・『文藝春秋』)、私の週間食卓日記(各界有名人回り持ち・『週刊新潮』)、『シネマ死ね死ね団』(中野貴雄・『デラべっぴん』)、それと『向こう三軒ノーフューチャー』(植木不等式・『科学朝日』)。自分の書いたコラムで最も気に入っているのは、という質問にはちょっと迷ったが、『クルー』の『本の中のトンデモ職業』。札幌の人以外(人でも?)ほとんど読めない隠密連載なのだが、2枚半という短い分量に材料を詰め込んでいくのが書いていて快感。コラム、雑文に関してはつい、勢い込んでいろいろインタビューの 範疇外のことも話てしまう。随分おしゃべりな奴だと思われたことだろう。
「カラサワと言えば雑学ネタエッセイと思われているが、やはりエッセイの基本は身辺雑記で、私も早くそういうものを書くような身分になりたい」
 と言ったら、“それは日記で書いてるじゃないですか”と言われる。花田氏はこのネット日記もどうやら読んでいるらしい。最後に道路に出て撮影。カメラマンさんに “ものを語っている”と、目つきの悪さを褒められた。

 インタビュー終わってまた家に帰り、Web現代、書き続け。3時、10枚強、完成してメール。昨日行けなかったマッサージに出かける時間だが、その前にモノマガジンにページレイアウト原案を送る。ところがこれが、何回送ろうとしてもずっと回線使用中。編集部に電話してみるが、別段使用しているようなことはないという。仕 方なく、別回線の番号を教えてもらい、そこにFAX。

 新宿にマッサージ、これで30分遅れてしまったが、幸い、後が空いているからということで延ばしてもらった。サウナで汗を絞り、マッサージ受ける。いつもの力持ちお姉さん。目の疲れかなりのもので、前膊部分にある目のツボを押されると、飛び上がるほど(ベッドの上に横たわったまま飛び上がるのは難事だが)の痛みと、じんわりとした快感が一度にくる。経絡というもの、完全に信じているわけではないのであるが、“こんな痛い目をしているのだから、ああ、効いているのだなあ”という自 己暗示だけでもかなりの効果があると思う。

 そこからタクシーで六本木まで。サントリーホールで“サンクトペテルブルグ建都300周年記念ロシア芸術祭”の一環の中村紘子ピアノ・リサイタルをK子と。招待チケットをセブンシーズのM川さんにいただいたもの。さすが招待席で、前列2列目であった。中村紘子はど派手なレッドピンクの、寝間着のような衣装で登場。別に彼女に限らないことだが、日本の国際的女流音楽家の、中年以降の服装センスというのはどうにかならないのか。三浦環の時代からの、これは伝統か。しかもこれだけ近い席だと、ステージ中央へ歩を運ぶときの、ドス、ドスという足音も貫禄充分に響く。体力がないとピアニストはやっていけないと言うが、なるほど凄まじい。

 一曲目はプログラムではスクリャービンの『幻想ソナタ』のはずだったが、“演奏者の希望により”、モーツァルトの『デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲』に変更させていただきます、と紙が挟み込んであった。いろいろ事情もあるのだろうが、しかしそれでは“ロシア芸術際”というこの催しの趣旨が薄れてしまうではないか(ちなみに、他の二曲はプロコフィエフとムソルグスキー)。せめて、他のロシア 作曲家のものを選べなかったのかな、と思う。

 中村紘子を生で聴くのは初めてだが、NHKでしょっちゅう見ている演奏ぶりを、至近で眺められるのはなかなかの体験。椅子に座ってすぐ、一切の前フリやタメなしでいきなり弾きはじめるスタイルや、完全暗譜、弾き終わった時点で、静電気が走ったように鍵盤からバッ、と手を離す動作とか、ケレン味たっぷり。聴衆もすっかり呑まれて、“やっぱりすごいわねえ”の声が演奏終わるごとにあちこちで。こういう大衆ウケするアーティストというのは、とかくマニアからさんざんにけなされる。マニアというのは、大衆がわからないことを分かる自分に陶酔することで、アイデンティティを確立させているからである。彼女のように聴きどころをわかりやすく示しすぎる演奏家は、褒めても偉そうに聞こえないからダメなのだろう。確かに通俗臭芬々なのかもしれないが、『展覧会の絵』をあれだけ聴かせどころを押さえて、荘重に華麗に弾ける(以前オーケストラで聴いたときよりはるかに迫力があった)人というのには、やはり“華”がある。通好みの、技術や表現力がうまくて華のない人の演奏を何十曲聴くよりは、やはり華のある人の演奏を聴いた方が精神的によろしい。ただし、アンコールを延々と繰り返すのはいただけない。数えたら5曲、30分もアンコールで演奏していた。最後はほとんどの客が“まだやるのか”と思っていた筈である。

 終わってタクシーで下北沢、すし好。“連日で来ていただいて……”と例を言われるので、イヤ、こないだはキミさんに連れてこられただけで……と言い訳。別に言い訳しなくてもいいが。タイ、コハダ、甘エビなどいつものものと、水ダコのおつまみなど。食べていたら、後ろの座席の方から“へぇ、へぇ、へぇ”の音。何かと思ったら、携帯の着信音にあれをしているのであった。“まったく、流行るとなりゃ何にでも……”とつぶやいたら、K子が“文句言わないの! ああいう人のおかげで、こうやってお寿司も食べられるんだから”と正論を。はい、どうもご贔屓をたまわりまし て、ありがとうございます。

 帰宅11時、メールチェック。SFマガジン原稿についてS澤編集長から二箇所ばかりチェック。これに答える。彼の出身地はやはり長野(飯田と道をはさんで反対側の上郷)だそうだが、SFマガジンを置いてある床屋は体験したことがないとやら。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa