裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

月曜日

雨に裏エヴァ

 どしゃぶりの中をコミケにエヴァンゲリオンのエロネタ裏同人誌を買いにゆきました。朝、東宝のサラリーマンもの喜劇の夢を見る。主演は谷啓。ただし、社長役が三國連太郎で谷啓はその部下だったので、松竹の『釣りバカ日誌』からのインスパイアだったかもしれない。たこやきのメーカーの話で、ダメ社員だった谷啓が、これまでのたこやきの殻をやぶるアイデアで、フライドたこやきを発売し、大ヒットを飛ばすというもの。映画館で私はこれを観ているのだが、客席にもこのフライドたこやきが画面に登場したと同時に配られる。ただし、そのたこやきは冷めてしなびているので“ここがイマイチだな”と思う、というもの。昨日の高田馬場で、冷めた揚げ物など を食った記憶が見せた夢か。

 7時15分起床、外はさわやかな秋晴れ。朝食はトウモロコシに、枝豆(昨日で終わりかと思ったらまだちょっとあった)。知人から、メールで叔父君死去の報。この叔父さんというのが、ちょっとトンデモ界では名の知られた人であった。ロケット研究の分野では日本の第一人者であった人で、その分野でも奇人と言われていた人らしかったが、やがてトンデモの世界へと足を踏み入れ、超古代史や、事件・災害の特異日などという本を何冊も出していた。理系の人が転びトンデモになる、典型例だったかも知れない。その人が知人の叔父さんだとは、来たメールで初めて知って、ちょっと驚いたことであった。その知人は、自分の叔父の書いた本がと学会で話題になった というのは、鶴岡法斎に聞いて知ったとのこと。

 その鶴岡から電話。某氏と某氏のケンカのことの詳細を知りたくて電話してきたらしい。雑談しばし。相変わらず、諸人への意地悪な寸評は天才的にうまいが、食うことに結びつけられないところが困る。そろそろ千葉からまた東京へ出てこい、と勧める。雑文書きはとにかく、あっちこっちで始終顔を出していないと忘れられてしまうのである。早稲田でもちゃんと講義(というかライブというか)は続けているらしいし、本も一年一冊の予定で企画しているらしいし、動いてはいるようだが、どうもエネルギーの一点集中が下手で損をしている。来年が勝負だぞ、と説教しておく。

 その電話のあたりから、雨がポツポツ降り出す。ゆまに書房Tくんから、カラサワコレクションの解説ゲラFAX。休日にもきちんと仕事(私の原稿が遅れたせいなのだが)、偉いなあと感心。すぐ赤入れして返送、受け取りの電話あり。昼は昨日のすじ肉と、冷凍の讃岐うどんで、牛すじうどん。汁が濃厚というか、薄味なのだがゼラ チン質が口の中でぷるぷるするようで、残さず飲んでしまう。

 雨は一時本降りだったが、何とかあがったようなので、カバン片手に、神保町古書会館のフリーダム展に向かう。地下鉄車内では昨日の山本弘『神は沈黙せず』を続けてよむ。よく著者の山本氏へのツッコミとして、山本シンパ、アンチ双方が口にする文句に、
「トンデモなんかにそんなにハマりこまないでいいから、本業のSFを書いてくれ」
 というのがあるが、この大作はそういう声に対する回答であろう。ちゃんと、山本弘はSFを書いた。それも、ただのSFではなく、トンデモへの彼の興味、執着、研究の成果を、全て小説に活かした形で。しかも、またぞろ新しがりたちが、自分の新しさを強調するだけのために、一般小説よりもライトノベルの方をモチアゲてみせている浮薄な風潮(ラノベそのものを否定するのではない。その軽佻さが透けて見える商業的戦術がどうしようもないと言っているのだ)の中で、ライトノベル系のものを多く書いてきた作者があえて重厚なビルドゥングス・ロマンを描こうとする(そう、これは何と主人公が成長していく教養小説なのだ)。つくづく戦闘的なヒトだ、と感嘆する。

 語り手である和久優歌は、九州出身で、豪雨災害(実際にあった92年の九州での豪雨災害)で両親をなくし、そのショックで人に容易には心を開けなくなってしまった女性という設定であり、全く架空のキャラクターなのだが、しかし、にもかかわらず、この語り手は、まるで分身ではないかと思えるくらい、作者に相似形である。その性格といい、知識量といい、行動といい、現実の山本弘氏にそっくりそのままで、作中に登場する、小説の結構をゆがめかねない懇切丁寧なウンチク、困ったちゃんへの対応描写を読みながら、私は何度も苦笑しつつ、“こんな女学生、いないって!”とつぶやいていた。これは、なまじ著者が知人であるという故の障害であろう。最初のうちは、そのあけすけな思想開陳(ほとんどの主要キャラクターがこれをやる)が青臭く思え、小説としての欠陥に思えてしまっていたのだが(特に私は思想的には山本氏とは正反対、とはいかないまでもかなり方向を異にするし)、読み進んでいくうちに、そういうキャラクターの設定が、後になるに従って意味を持ち始めていることに気がつき、ページをめくるたびに興奮度が高まっていく。SFで、しかもスペクタクルものとさえ言えるSF的サービス満載の展開の中で、ビルドゥングス・ロマンを描こうという試みは、たぶん日本SFの中でも極めて特異なものではあるまいか。三分の二までを一気に読んで、後はあとのお楽しみに、とページを閉じる。

 地下鉄から地上に上がってみて驚いた。雨がいつのまにか、すさまじい降りになっている。豪雨という感じである。クツもクツシタもびしょぬれにして、古書会館へと飛び込む。受付でカバンの他に、上着もあずかってもらった。濡れた服を乾かすために、いつもよりゆっくり目に回る。文庫、犯罪関係資料何冊かに、“宇宙学教室叢書刊行会”の『心霊星界通信記録』の五巻揃いを買う。昭和47年発行の本で、宇宙創造神からの言葉を人間界に伝える器械として選ばれた田原澄女史(昭和40年没)が 心霊星界とチャネリングして伝えた“優良”星界の神霊たちの言葉集である。

 一冊を抜き取ってパラパラめくってみただけで、悪のオリオン星人たちの陰謀で地球人の知恵を流行に乗せて働かなくさせるためにダッコちゃんをはやらせた、などと出てきて非常に結構。キリストや日蓮や仏陀が宇宙創造神に教えの間違いを指摘されて悔い改めたり、明治天皇が“明治である”と名乗って出てきたり、なんだ『幸福の科学』の霊言はみんなこの宇宙創造神のメッセージの二番煎じか、ということがわかる。時は米ソ競っての宇宙時代だけに土星の悪魔だのオリオンの悪魔だのも出てくるのであろう。有名な宇宙友好協会(CBA)の集会にも顔を出しているようだし、また心霊研究で著名な小田秀人の講演も聞きに行っている。非常に活発に活動していたらしいが、宇宙友好協会の会合では“円盤を追うことなく、自分の心を洗う(洗心)の行こそ必要”などと説き、けむたがられたらしい。後で悪口を言っている。アポロがこの時期、月を目指しており、月に人が棲んでいると主張していたメッセージが否定されてはまずいと思ったのか、人間が疑いの心で月にロケットを飛ばし、あぶないので、すでに月からは引っ越して、今から行っても誰もおらぬ、などと言い抜けてい るのが笑える。

 他に画集なども買い込んだので、荷物がずっしりと重くなる。雨は幸い、ほぼやんでいたが、左足の関節が、気圧のせいか荷物の重さのせいかシクシクと痛み出してくる。地下鉄の階段を下りるときに、左足をかばいながらヨイコラショと、年寄り臭く降りねばならないのが情けない。表参道駅で降りて、紀ノ国屋スーパーで晩の素材な どを買い物し、タクシーで帰宅。

 服を着替え、風呂を沸かし直して入り、横になって少し休む。起きだして、K子に四コマネタをいくつか送付。あと、フジテレビK氏から、やっと納得のいく対応メール貰い、先日来の心のわだかまりも解ける。短いメールだったが、多言はいらない、お互いプロとして相手の仕事を認めているという意思表示さえあればいい。……と、いうような心持ちで、結局はこっちが条件で折れることになっている。甘いかな。

 7時、久しぶりに晩飯を家で作る。マナガツオの道明寺蒸し(なにやら大層なもののような料理名であるが極めて簡単、塩胡椒した白身魚を水で戻した道明寺粉でくるんで蒸し器にかけるだけ。ポン酢で食べる)、ラムと野菜の炒め物風(風、というのは実際は炒めずにこれも蒸し器にかけるため)、それと牛すじ肉の残りを使った和風 カレー。8時半、K子仕事場から帰り、夫婦で晩飯。

 ビデオで『新・世界残酷物語』見ながら。なんというものを見ながら食事する夫婦か。この番組、テレビ放映されたときはタモリとか藤村有弘とかがナレーションを担当していたが、やはりイタリア語の原版が一番。流暢なイタリア語の持つ、どこか人を小馬鹿にしたような響き(日本人が聞いて)が、シニカルなこの続編の雰囲気に実にピッタリなのである。前作がイギリスで公開拒否されたことをうらみに思っているらしく、イギリスへのおちょくりがあちこちに出てくる。しかも冒頭が、犬の声帯除去手術(動物実験のときに鳴かれないため)シーンで、ナレーション曰く
「……今回はあまり残酷なシーンはありません。ただし、ここだけは別です。前作は犬を虐待するシーンがあったため、イギリスで公開が拒否されました。そこでわれわれは今回、このシーンを冒頭に持ってきました。これなら、ここだけカットすればイギリスでも公開が出来て、編集の面倒がなくなるからです。これで、犬とプロデューサーの悲鳴を聞かなくてすみます」

Copyright 2006 Shunichi Karasawa