裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

金曜日

行為謝するに余りあり

 いやあ、こんな変態的な行為までしてくれるなんて、いい店だなあ。朝8時起き。朝食、シポラタソーセージ。食う方も飽きたが、これで片付く。以前ユーロスペースで見たシュバンクマイエルの『フード』で、ソーセージにカラシをジャムのようにべたっと塗って食っているのを見て、うまそうだったので同じようにやってみるとなかなかである。日本人は和ガラシの辛いのに慣れているから、酢で溶いてある西洋ガラシを塗るときも、軟膏みたいにちょびっとしかつけない。これではさっぱり味がわからず、うまくないのである。

 朝、夜中に出た鼻水が乾燥して、鼻の中がバリバリになっている感じ。それがはがれてくると、今度は鼻血がにじんでくる。こないだコンテンツファンド収録のときに同じく花粉症の鈴木さんに聞いたら、花粉症の原因となる神経末節をレーザーで焼き潰すという手術があるそうだ。施術したその年はかえってひどいことになるが、翌年から数年間、まったく出なくなるという。聞くだに受けたくない手術だが、毎朝ハックシャーイと連発するたびにその話を思い出す。

 午前中、海拓舎の原稿ナオシ。文体をデスマスからダデアルに、これで数度目のナオシとなる。談話調の軽みは貴重だが、あまり軽すぎると読み手が読み込んでくれなくなる。11時ころ、とりあえず出来たところまでメール。

 昼にパルコブックセンター回り、『ブンカザツロン』今日から出ているはず、と思い棚を見るが、一冊が立っているのみ。この一冊は見本用だと思われる。週末前の決算前で、書店搬入が遅れているんだろう。何にせよ、困ったことである。福武文庫のデッドストックを何点か見つけたので買う。メシを何にしようか迷った末に、レスト ラン街でさぼてんのとんかつ。ソース入れの小スリバチに入ってくるゴマの量が明ら かに減っていて、ああ、不景気だなあ、と感じる。

 1時、時間割で福音館書店Tくん打ち合わせ。ここの書店のコンセプトは子供たちに自分で考えさせることだそうだが、それと、向こうの企画であるこの『エンマ裁判所』という設定は二律背反だと思う。エンマの裁きというのは上から降ってくるものだろうが。

 Web現代原稿。今回こそはエロにしようとネタを決め、書き出すが一向に面 白くならず、次第々々にギャグにシフトさせていくうちに、最後にはまったくエロでなくなる。まあ、いつものことだな。リキは入るが執筆に時間がかかり、難産。同じく〆切のフーゾク魂Gくんから電話入るが、向こうの厚意で月曜朝イチにしてもらう。厚意謝するに余りあり(今日のタイトルの元ネタ)。どこのどういう文句か、ということは睦月影郎さんに聞いてもらいたいが、彼の『カゲロー日記』の今月20日の記述にはちょっと感動した。人生の目的をここまで明確に規定すれば、その生は充実したものになる道理である。いつぞや、不自由の自由についてこの日記に書いたが、不思議なもので、あれもやりたいこれもやりたいと欲張る人間より、オレはこれ一本槍、と選択肢を早いうちにせばめた者の方が、結局のところ、人生を豊かに送れる確率が高いのである。まして彼の場合、自らの嗜好と書くものが完全に一致している。他の同業者以上に、執筆によって得られるフンクチオン・ルスト(機能快)は大きいと思われる。
http://www.fsinet.or.jp/~futami/dialy/dialy.html

 書き上げてメール。即、編集部から電話。エロじゃないけど、紹介しているサイト内容が突拍子もないものなので、いいでしょう、とのこと。ホッと一息ついて、家を出て、パパズアンドママサン。K子と焼鳥。コマイの一夜干しなどがメニューにあるので頼むが、ちと上品すぎる。北海道じゃコマイはカンカチに干したやつを、金槌で叩いてほぐして食べるのである。まあ、なんにせよそれほどうまい魚ではなく、北海道以外じゃまず、目にしないのも当然といった魚なのだが、それが北海道人の大きなアイデンティティ形成ツールとして機能する理由になっているのが面白い。ジンギスカンが内地(北海道語で本州のこと)でもよくお目にかかるようになったので、よりリージョナルなコマイが脚光を浴びているんだろう。生二杯、焼酎のお湯割り一杯、それと日本酒一合。帰って夕刊を見たらハンナ・バーベラの片割れ、ウィリアム・ハンナ死去、90歳。ぎんさんからこっち、高齢者がよく死ぬ気が。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa