裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

木曜日

われらみな帰るところ

 朝7時半起き。このところ早く目が覚めてしまうので、がんばってギリギリまで寝る。朝食、ソラマメとニンジンのサラダ、キノコスープ煮の残り。マンション外壁改装工事で足場が組まれ、窓の外を工事夫たちが歩いている。

 日記UPし、K子に弁当作る。オカズはラムのトマト煮。それから風呂へ入り、業界誌コラム一本。これ30分で書き上げて12時、急いで浜松町へ。ワーナー・ブラザーズ『アイアン・ジャイアント』試写。近くで立食いソバ(イカ天)一パイすすりこんで、あわてて駆け込むが、なんとガラガラ。小野耕世氏などが来ていた。

 で、観終わって思ったけど、アメリカ映画の強さって、こういう、クラシックな話を堂々と、照れもなく作り出す(作り続けられる)ことだよね。それと、冷戦時代の自国民の核ノイローゼまでをも微苦笑をまじえたノスタルジーに収斂させてしまうという、“ガジェット文化”への誇り。私がバカの一つ覚えで繰り返している、モノを通してのアイデンティティ確認の技術を、ここまで進化させているのか、という感じがする。「You can fly!」(ディズニー『ピーター・パン』)のセリフからジョージ・パル『宇宙戦争』のウォーマシン、B級SFホラーやスーパーマンのコミック雑誌、今から見ればナンセンス極まりない核対策講習映画まで、自分たちの経験してきたもの全てを、アメリカという国を構成している要素、として認識、大事にしているわけだ。コリャカナイマセン。もちろん、その方法は極めて乱暴なもので(なにしろ原作はイギリスの話。それを換骨奪胎どころか丸ごとアメリカン・レジェンドに改変しちまっている)ある種の人々が極端に嫌悪する幻想共同体的閉鎖性以外のなにものでもないだろう。だが、アイデンティティというのは、はっきり言って閉鎖性の産物ではないか。“私は何か”という根源的問いに対し、われわれは他者との差異の集積をもってしか答えられないのである。そして、アメリカ人たちが“われわれアメリカ人とは何か”という問いに対して答えた、これは最良の回答の一つであることに疑いはない。

 思えば日本はアニメ先進国として、常に先端の作品をのみ、評価してきた。『ホルスの大冒険』から『新世紀エヴァンゲリオン』まで。われわれにとって、アニメは常に“到達するところ”だったのだ。だが、アメリカは違うのね。ディズニー以来、アニメは“帰るところ”としての役割を果たしてきたのだ。もちろん、到達するところとしてのアニメも、彼らは作り続けている。なにしろ、この作品の監督、ブラッド・バードはかの『シンプソンズ』の監督でもあるのだから。プレスシートを見ると、このバードという男は13才で自主制作アニメ作品を作り上げ、その出来に驚いたディズニー・スタジオに招かれて、ナイン・オールドメンの一人ミルト・カーから個人教授でアニメの全てを学んだということである。うひー、それでいながらディズニー大からかいのあの『シンプソンズ』作っちゃうの? つくづくアメ公てのは鬼畜だと思う。その鬼畜が作った映画でみんな、泣くのだ。少なくとも私は、自分がここにいていいのだろうか、と悩んで戦えない碇シンジより、“ここにいてもいい自分になるために”飛び立つアイアン・ジャイアントに感動したい。

 帰ると電話ひっきりなし。K子から、今日は伊勢丹の京都物産展で買い物をしているので、夜は新宿で食事しようという連絡。それからG書房から連絡。ここから出す予定の本について、編集のHくんが連載誌のS編集長に電話したら、“いや、この連載はウチで本にしたい”と言い出して、ちょっとモメたそうだ。Sさんと後で話さねばなるまい。確かに連載は、その雑誌の出版社で単行本にするのがスジというものだが、連載開始から3年以上、一度もそんな話なかったし。・・・・・・まあ、企画を通してくれない出版社もあれば、企画を取り合う出版社もある。いろいろ。それから例のノンバンク、ワクを広げるからもう一度借りてくれないかとうるさい。また、モノマガ編集部Nくんからはメール。昨日の日記の『コミックGON』は『GON』のマチガイではないか、とのこと。ああ、そうでしたそうでした。既に『コミックGON』はこの世にない(笑)。

 ササキバラゴウ氏からも電話あり。用事自体は他愛ないことだったが、その後いきなり
「カラサワさん、『アイアン・ジャイアント』見ましたかあー!」
 とくる。何たるタイミング。見たみたさっき見た、と、しばらくアイジャイ談義で盛り上がる。
「“ある日、自分の家に巨大なものがやってくる”ってのは『パンダ・コパンダ』ですよねえ。あの監督、パンコパ見てますよ」
「あ、そう言や水に飛び込むシーンあるよねえ。僕はそれより、あのスクラップ屋のディーンの顔だけ町のみんなの顔と描き方が違うでしょう。あのヒゲとか、『やぶにらみの暴君』へのオマージュだと思ったなあ」
「破壊兵器モードになったとき、首から生える光線砲は『宇宙戦争』でしょうが、腕のはあれ、元ネタ何でしょうねえ」
「あの核戦争対策教育アニメの使い方なんか、『ロケッティア』ぽいけど、ジャイアントのデザインやってるのがあの監督やった男だってさ。いかにもだねえ」
 などと、話がつきない。オタク要素のひとつひとつが、単なるお遊びでなく、作品のイメージを重奏的に豊かにしているのだ。
「伏線が見事ですよね。最初、ホガース少年が言う“ステイヒア(ここに残れ!)”というセリフを、最後にジャイアントがホガースに言うところとか」
「あの、自動修復装置も、あざとい伏線なんだけど、ちゃんと有機的に話にからんでいるから、最後の活かし方がイヤミじゃないんだよねえ。日本の評論家モドキどもはこういうウェル・メイドな脚本を評価する力がないからダメなんだよ」
 聞くところによると、この作品、あさりよしとお氏などが今ハマりにハマっているそうな(そう言や『宇宙家族カールビンソン』のお父さんと設定が同じだ)。彼が昨年末に行った試写会には、何と三人しか客がいなかったという。このままでは埋もれてしまうこの作品を、どうにかして盛り上げる算段はないか、と話し合う。

 7時、新宿伊勢丹に行き、食料買い込む。7時半、7階レストラン街の天ぷら屋。白魚、蕗の薹、タラの芽などでちょっと早めの春を満喫。シャブリと日本酒でかなりメートルがあがっていたが、時間も早いのでK子と二丁目の『いれーぬ』に行く。客がわれわれだけ。タケちゃん、ノッポさんといろいろ話す。タケちゃんが昔、歌手の××××とつきあっていたと聞いてビックリ。少し飲み過ぎた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa