裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

水曜日

中華風

 朝、寝床で『竹内桜短編集』(集英社)読む。玉石混交の短編マンガ集だが、中の一編『trajet』が重く、印象に残る。自分の才能に失望した映画青年が悪魔と契約し、“本物の”映画作りの才能をもらう話だ。彼はまたたくまにカンヌをはじめとする海外の賞を総ナメにするマスコミの寵児となる。しかし、悪魔がくれたのは、まさしく“本物の”才能であり、大衆はそれを理解できない。彼の作品は不入りが続き、映画会社は配給を打ち切り、彼は自腹を切って制作を続けるが、採算は取れず、不遇な天才という勲章を抱いたまま、鬱々とした日々を送ることになる。彼の叫び。
「俺は・・・・・・俺はもっと大勢の人間に自分の作品を見てもらいたいんだ。大勢の人間に自分の作品を評価してもらいたい!」
「多くの人間に認めてもらいたい、多くの人間にほめてもらいたい。そして、それに見合った報酬も手に入れたいッ!」
「それに見合った富と名声が必要なんだッ。意義のある仕事をしたのならその意義に見合った見返りが必要なんだッ。絶対に必要なんだッ! それがなくって誰がこんな苦しい道を選ぶものかッッ!!」
 才能を欲しがる若者の数は多い。だが、彼らが欲しがっているのは才能そのものなのか、才能によって得られる成功の報酬の方なのか? 作者の竹内桜自身が、普段はヤングジャンプでどちらかと言えば“報酬のための”作品を多産しているタイプの作家なので、この主人公の叫びは一層重い。

 8時起床、K子に朝食、ソラマメとハムの炒めものとキノコのスープ煮。朝食作りの才能は本物だよなア、オレぁ。自分はスープ煮のみ。それとリンゴ数切れ。

 雨ソボ降り、すなわち体調不良。日記UPのあと、フロ入り、そのままダラダラ。マンションの外壁工事でやかましいのも神経にさわる。日経ヘルス原稿用に漢方関係のサイトを回る。見る価値のあるサイトは100にひとつくらいだが、今回は面白いところがいくつか見つかった。医食同源思想のサイトで、もともと中国料理とは戦乱の打ち続く古代中国で貧窮の極限まで追いつめられた庶民の生活の知恵から出た料理であり、廃物同然の食材や野山に住む動物達が食べる草根木皮の中から、食べられるものを捜し出し、また料理する材料の利用価値を極限まで追求していったもので、当然、栄養失調で病気になる確率も高かったので、食事が健康に及ぼす効果に細心の注意が払われ、この経験と知識とが庶民の食生活の中に蓄積されていった結果が医食同源思想なのだ、という文章があり、目からウロコが落ちた。包丁一本、ナベひとつで作ることのできるのも、貧窮ゆえの技術の工夫なのだろう。

 週刊ポストから電話、『パレット・バレエ』はどんどん公開日が延びるので、その前に何か観て原稿書けとのこと。昼飯は親子丼。鶏肉、長ネギ、ヒラタケ、トウフを入れる。うまいうまい。

 3時、東武ホテルでK事務所に移ったNくんと打ち合わせ。このNくん、出会ったときはAソノラマ(略称になってない)の社員だったが、その後、K書店、G舎、と短期間に出版社を転々と移っていた。一時は団鬼六氏の個人秘書のようなこともやっていたらしい。今度のところは相性がいいらしく、しばらく腰を落ち着けるという。いろいろ雑談。いくつか、ここで文庫にしてもらいたいプロデュース本のことをフッておく。

 帰ってメール数本。コミックGONの編集長は精神病になったそうで、そのカルテ(鬱病、自殺願望あり、仕事の継続は困難などと書いてある)がコミックGON最新号に載っているとか。シャレじゃないのか、オイ。それを記事にしてしまう雑誌もスゴい。ある意味で出版業のカガミ。われわれは己れの因果を人様にさらしておマンマをいただく蛇娘、犬娘の眷属なのである。それを忘れてエラそうなことを言ってはイケヤセン。

 先日完済したノンバンクから、書類の類が返送されてくる。平成4年に契約しているから、足掛け8年、こことつきあってきたわけだ。ここを紹介した当時の私の共同事業者はそれから一年たたずに、心臓マヒで頓死した。考えてみれば、そのおかげで伯父から背負わされた事務所をたたむことができた(諸方への義理に対し言い訳がついた)わけで、彼の死は私にとって結果的に非常にラッキーであったと言える。世の中というのはそんなもんだ。当時の書類にざっと目を通していると、あの頃のことがいろいろ思い浮かび、腹が立ってきてクシャクシャにしてゴミ箱に放り込む。スッキリした。

 それから日経ヘルス書きにかかる。案外時間かかり、7時に脱稿、メール。東急本店前のブックファーストに出かけてコミックGON!探すが見つからない。『ガロ』最新号にポップが立っており、その中に“特別寄稿 唐沢俊一/鶴岡法斎”という名がある。鶴岡の名前がポップに載ったのは初めてでは?

 K子とそこで落ち合い、道玄坂下『シノワ』。フランス料理を中華風に食べさせるお店。ちゃんとハシがついてくる。昔から有名な店だが、何か最近はフランス料理というよりイタリア料理調が強いようにも思う。なにしろパンにバタでなくオリーブオイルをつけて食わせる。オードブルに生ガキと平目のカルパッチョ、ウサギのパテ。それからソバの実のリゾット、牛テールのシチュー。いずれも一皿を二人で分けて食べる。シチューは濃厚きわまりない味で、分量は少なくても十分に満足。デザートのバニラアイスがこれまた濃厚。エスプレッソコーヒーを頼んだら、これがデミタスのカップの底にドロリとたまったすさまじく濃いもので、コーヒー豆のエキスという感じだった。強烈な苦みで甘さをぬぐう。ワインはメドックの96年。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa