裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

木曜日

太平洋サノバビッチ

「石原慎太郎め、俺の世界一周を不可能だとぬかしやがって、サノバビッチ!」
                          (堀江謙一・談)

※某件打ち合わせ 『社会派くんがゆく!』原稿チェック

今朝6時半ころの夢。
SFアニメのように壮大だが、銀河を二分する大戦争があり、
人類とロボットが生き残りをかけて戦うが、幸いわれわれ人間の
陣営が勝利する。
私は敵の本拠地の惑星の首都を占領する駐留指揮官だが、
総司令官は何と私の婆さんで、細かい予算にいちいちケチをつける
困った上司である。
私の急務はこの街に潜んでいる敵軍の司令官であった将軍の身柄を
拘束することで、彼は銀河を恐れさせた勇将だが、本体は直径30センチ
ほどのボール型ロボットである。
あるビルのホールを探索させると、カフェテリアのゴミ箱の中に
隠れていた将軍が発見された。見ると、口の中にチキンライス
を詰め込んでいて、動きがとれなくなっている。
ロボットなので高純度の液体燃料しか取り入れられないはずが、
こんな残飯を食べてまで逃げ延び、反撃に備えようとしていた
その武人の心意気に感服し、丁重に扱えと兵に命ずる。
しかし司令官の婆さんはそのチキンライスの残りを今日の夕飯に
しようとか言い出して呆れる。

……という夢を見てトイレに起き、また寝たらその続きの夢を
見る。われわれの陣営が銀河を平定して数年、奇妙な数字ゲームが
流行する。連続して表れる数列の最後の文字を変えて次の数列に
つなげるという単純なゲームだが、これに一旦ハマると、
中毒状態になって他の仕事や日常生活が一切できなくなる。
出所を調べると、あのロボット軍の将軍が、今はかつての記憶を
一切消されて服役しているが、記憶を消される直前に開発して
看守に教えたゲームだとわかる。彼が最後に人類に置き土産と
した復讐だったのだ。彼の記憶ユニットを復元させるかどうか、
判断に苦しむ。

今日は志水さんの告別式なのだが、時間的にかぶる用件あって
参列できず。8時起床。寝汗甚だし。
携帯で、ちょっとあせるニュースあり。
向うのカン違いだろうということはほぼ確実なのだが、確認するまで
落ち着かず。記録をすぐチェックするが、やはりカン違い。
あせらせンなよ、という感じ。

もう一件、これはダメもとだと思って先方に言ったら
OKだった。すぐオノにメール返す。
朝食、スイカ、スープ、コーヒー。
母にジャケットのポケットの穴のつくろいを頼む。鍵を入れておいたら
ひっかけて穴が空いてしまった。
新しいのを買えばいいのだが、このジャケットはお気に入り
で、もう一年くらいは着ていたいのである。
食べてすぐ電話待ち、出かけて新宿で打ち合わせ。
極めて好結果……ではあるが、さてこのご時世にどうなるか。

帰宅しただけでこの気候ではぐったり疲れる。
昼は母の室でカレーライス。
この旨みは何で出るのか。
室に戻る。訃報が陸続で、ちょっとどうなるのかという感じ。
志水さんと何と同日の3日、超常現象研究家のジョン・キール
死去。79歳。

妖精や吸血鬼から幽霊、UFO、超能力まで、物理・科学的に
成立しない奇現象が記録されているのは、この地球にはわれわれが
住む空間とは別のところに「超地球人」なる存在がいて、それが
さまざまな現象を起してわれわれを“からかっている(騙そうと
している)”のだ、という主張はまあ、許容できるものでは
ないにせよ、真面目な研究者たちが
「UFO現象から非科学的なものを除外していけば、やがて
真実に到達する」
という凝り固まった観点から逃れられずにもがいていたとき、
「UFO現象の根本は非科学的なものの方にあるのではないか」
という視点を導入したことは、コペルニクス的転換だったと思う。

彼に関してはそのうち、まとまったものを書かなくては、と思う。
それは、彼の視点がUFOやオカルトではなく、それを体験してしまう
“人間”の方を指示してくれている貴重な示唆だと信じるからである。

さらに本日午前2時50分、評論家の平岡正明、脳梗塞で死去。
68歳。“新左翼三バカトリオ”の最後の生き残りだったのに、
太田竜氏に引き続き……(あと一人は竹中労)。

革命を愛し、大衆を愛し、その大衆が愛する辺境の大衆文化を
こよなく愛し、ヤクザを愛し、水滸伝を愛し、浪曲を愛し、
ジャズを愛し、筒井康隆を、山口百恵を、山田風太郎を、
古今亭志ん生を、赤塚不二夫を愛していた。いや、溺愛していた。
上記人物や事象に関しては私も人後に落ちない好意を持っている
はずなのだが、平岡氏の賞賛は読んでいていささか辟易した。
賞賛が過ぎるのだ。『山口百恵は菩薩である』というタイトル
が全てを物語っているような気がする。一旦好きになるともう
最大限に持ち上げないと気が済まない人だった。情念が
燃えたぎっていたのだろう。

『冷し中華愛好会』を奥成達などと結成し、思えばサブカルチャー
の元祖だったわけだが、後のサブカルチャーとあきらかに一線を
画すのは、そこに常に既存の権威に対する革命行為を見ていた
ところだろう。サブカルはサブであって初めてカルチャー
足り得る、と辺境の存在に甘んじるのではなく、辺境から常に
中央をにらみ、中央のカルチャーをおびやかす存在でなくては
いけない、という思想がその文章のあちこちに脈打っていた。
山口百恵を菩薩だとまで言うのも、その菩薩の元に結集し、
大衆性を下位のものと見る既存の音楽芸術権威者たちを打倒せよ、
という永久革命のアジのため、なのである。

ただし彼のアジが可愛いのは、革命家としては人物事物への
イレコミがどうしても先に立って、純粋に理論家足り得なかった
ことで、たとえば水滸伝のパロディを『空飛ぶ冷し中華』で
書いたとき、
「口がつるつるになるまで飲んでしまいます」
といった、訳者吉川幸次郎独特の言い回しをつい、使ってしまう。
長く学界ボスであった吉川幸次郎は当然平岡正明の打倒すべき
相手でなくてはいけないのハズなのに、その彼の文章の名調子には
もう、一も二もなくハマってしまう“スキモノ”の弱さが
露呈していた。

三バカトリオの中では最もはしゃぎ回りつつ、あちこちに顔を
出している人物であった。基本的には80年代までの影響力の人
だったと思うが、しかし、亡くなったとなると無性に寂しい。
辺境からの視線ということでは、大きく私の方向性にも影響を
与えた人物だったと思う。

そして、こう続くと何か“訃報ついで”となってしまうようで
失礼な話だが。文化人類学者川喜田二郎氏8日に死去、89歳。

中学生の頃、現代教養文庫で『パーティー学入門』という書名を
見て、“人の創造性を開発する”とサブタイトルにはあったので、
「なるほど、日本人もこれからは欧米なみに自宅でパーティーを
開く、そのパーティーをユニークなものにする工夫の本か」
とマジに思って買って読んだら、パーティーはパーティーでも
登山のパーティーのことだったので唖然としたことがある。

このパーティー学から、やがて情報整理におけるKJ法が生れる
のであるが私はそっちの方面にはあまり食指が働かなかった。
昔カン違いした気恥ずかしさから、手を延ばすのをためらっていた
のかもしれない。

ただし、その“パーティー”の元となったチベットやネパール探検
関係の書籍は非常に興味深く読んだ。十五年くらい前にチベット
旅行をしたのも、このときの読書の影響かもしれない。

小沢榮太郎のナレーションが印象深い『秘境ヒマラヤ』という
ビデオも買って見た。鳥葬の様子を世界で初めて映像に収めた
この記録映画の監修は西北ネパール学術探検隊。川喜田氏は
その隊長だった。

私は今の情勢の中で単純に“フリー・チベット!”と単純に
叫ぶことをいささか躊躇する。しかし、川喜田博士がチベットを、
その文化を愛する立場を終生つらぬかれ、中国を批判していた
その勇気には満腔の敬意を表したい。
お三人の素晴らしい人生に黙祷。

お中元、あちこちから。
かたじけなし。
志水さん告別式の模様が参加した人々から続々と。
ムーの編集長や秋山真氏が参列する、多士済々な告別式だったそうだが
神式なので故人の生前の活動を読み込んだ祝詞が読まれる。
「幼稚園から少年サンデーを手にし」
「大学でUFO研究会、SF研究会で活躍し」
という内容をあの祝詞調で読まれて、みな吹き出しそうで困った
そうである。

MLで、いろいろ今後のこと、皆神さん等と一緒に後始末役、
託されて引き受ける。
これだけはやっておかねばなるまい。
訃報記事を日記に書く度にコメントをくれていたな、志水さんは。

文庫の件の話、それから打ち合わせの件の話などメールやりとり。
少し休んで、サントクに買い物。扁炉(白菜鍋)を作って夕食。
食べてから、アスペクトの『社会派くん』対談にチェック入れ。
あちこち手を入れ、論旨も少し直し、何とか12時までに
原稿用紙50枚分くらい、完成させて編集部にメール。
ふう、と息をついて、扁炉の残りとジャコとカシューナッツを
炒めたもの、オカラの和え物とで酒。
夜半、ひえださんから電話。
しばし志水さんの思い出話。
ひえださんに骨を拾ってもらって、志水さんも満足であることだろう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa