裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

月曜日

嫌米の泣きどころ

石油や食料の依存度を考えると……。

※『ピンポン!』収録 映画『クイーン』

朝7時半起床。眠い眠いとうめくが、考えてみればゆうべ帰ったのが1時半ころ、6時間は寝ているのである。それほど寝不足でもない。

シャワー浴び、9時朝食。スイカ、ホワイトアスパラスープ。結構な朝食である。『特ダネ!』を見ていたら談笑さん、二日酔いの影も見せず出演していた。さすがタフなこと。

9時30分、オノと共にハイヤーで赤坂TBS。車中で携帯でディレクターさんと打ち合せ、今日のニュース大事10、池上彰さんが硬派ネタなので軟派な植木等ネタにすることに。北玄関にもうスタッフの人迎えに出ている。せっかく通行証を電子対応のものにしたのに、まだ使っていないでいる。

控室で池上さんに挨拶、
「昨日、朝日野書評を読ませていただきました」
と言われて恐縮。ちょっと雑談するがノリがよく、大変感じのいい人だった。メイクしているとき、メイクさんに髪のカットを褒められる。代官山までわざわざ通っている甲斐はあったな。宿酲(ふつかよい)にて化粧のノリがよくないかと思ったがさほどでもなし。ただ、汗をかいて弱る。

もうコメンテーターとしてもかなり慣れてきて、長いコメントもいろいろ話せる。しかし、最も司会の福澤・木村コンビにウケたのは、冒頭のフィギュアスケートジャパンオープンのニュースの、
「われわれオタク的にはフィギュアというと人形なんですが」
というやつだった。

池上さん、PHP新書から新刊を出されており、その宣伝を番組最後に。しかし、この『伝える力』はこういう番組で宣伝しやすいが、私の幻冬舎新書は、紹介したらちょっと引かれそうである。

渋谷事務所に帰り、連絡事項等、ちょっとオノと打ち合せして、それからメシ食いに出る。韓国家庭料理の店に行き、スンドゥブ定食。食べていたら汗が吹き出てきて、大変なことに。しかし、辛いものへの嗜好が自分に定着するとは思わなかった。このあいだなど、デパートで見た韓国の唐辛子チップス(文字通り、唐辛子を油で揚げてチップスにしたもの)に、ちょっと食指が動いてしまったくらいだ。翌日がトークだったので、声がつぶれてはいかんと思い、手を引っ込めたのだが。

新宿に出て、映画でも見ようと思い、武蔵野観の『クイーン』に決めて行ってみたら満席。次回(5時)の整理券を買って、一旦新中野に帰る。フワリさんから、昨日のおみやげのお礼が来ていた。そのメールでも、テレビでの髪のツヤが褒められていた。ツヤやカットはどうでも、本数がもっと欲しいのだがな。

また新宿に戻って、武蔵野館で『クイーン』を観る。最初はこの映画、実在どころか健在の女王及びその一家のドラマを、ソックリさんを使って再現したものと聞いて、モンティ・パイソンかスピッティング・イメージみたいな、ブラックなコメディだとばかり思っていたら、なんと女王の孤独をしみじみと描いた、文芸とまではいかないが良質な人間ドラマだった。出てくる役者たちが、ヘレン・ミレンは当然のこととして、すみずみまで巧い。イギリス演劇界の底の厚さを見せつけられた感じである。派手な見せ所のないこの映画を実にスリリングに作り上げているのは、ひとつの事件に対しての、それぞれの登場人物たちの、立場や思想により一人一人異なるアプローチの仕方が、パズルのように組み合わさってドラマが進行していくその過程(脚本がとにかく見事)であり、かつ、それらを寸分のブレもなく演じきっている俳優たちの演技によるものである。エジンバラ公(フィリップ殿下)役のジェームズ・クロムウェルだけアメリカ人なのは、イギリス生まれでない彼をからかったキャスティングなのだろうか。ところで、ジェームズ・クロムウェルと言えば『名探偵登場』で、ポアロをパロディしたミロ・ペリエ(ジェームズ・ココ)のお抱え運転手で、ホモっぽい関係をほのめかしながらフランス訛り言葉をしゃべっていたあの役者ではないか。その後アカデミー賞候補になるほど出世したのはめでたい限り。

とにかく、最初は古いしきたりの中で、国民と隔絶された場所と倫理で生きている王室内部の人間の心のかたくなさを皮肉をもって描いていながら、次第々々に、観客が女王の孤独さに感情移入をはじめ、ラスト近くで労働党(リベラル)のブレアが叫ぶ女王賛美に心の中で拍手を送るという観客操縦のテクニックにはうならされた。それにしても、エリザベス女王ってのは一人でランドローバーを運転して山の中をワイルドに走り回るのですねえ。日本の皇室じゃ考えられぬ。

女王とブレアがむちゃくちゃいい人に描かれている分、旧態依然の貴族意識剥き出し(そのうえ鹿狩りにしか興味がない無能力者でもある)夫のフィリップ殿下、反対に過激な王室廃止論を口にする、これまた旧態依然のリベラリストであるブレア夫人が悪人にされているのは可愛そうだったが。

しかし、何と言ってもこの作品で一番糾弾されている(表立ってはいないが)のは一般大衆たる国民の意識だろう。生前はダイアナをスキャンダルのネタもととしか見ておらず、プライバシー無視で追いかけ回していたくせに、いざ、その相手が悲劇の死を遂げると、一転してセンチメンタルに慨嘆しだし、
「あなたを殺したのは王室だ」
などと書いたダイアナへのメッセージを宮殿の門に置いてきたりする。ダイアナを殺したのはパパラッチの無謀な追跡であり、彼らは国民の望んだスキャンダルの証拠写真を大衆紙に売るべく動いていたことは明らかなのに。

「ダイアナが死んだというのに女王は王宮に半旗も掲げない」
と国民は糾弾する。劇中でフィリップ殿下が憤っていたように王宮の旗というのは王がそこにいる、という印として揚げるものなので、女王が別荘の城にいる間は揚げ様がないのである。いわば無知から来る糾弾なのだが、ブレア首相は、
「伝統に反しても、ここは半旗を揚げるべきです」
と女王に提言する。これからは王室と言えども、マスコミを通じて国民にその存在や意識をアピールしなくては存続できない時代なのだ、と説く。そして、彼の言い分に従い、備えられた花の前で弔意を示し、テレビでそれを伝えた彼女に、大衆はまた涙し、拍手をもって迎える。何らの思想も見識もなく、そのときどきの情動で右にも左にも動く大衆たち。しかし、マスコミの発達は、これら大衆(民主主義国家の大衆)に強大な権力を与えてしまった。これからの権力者というのは、その大衆にあわせ、情動を掬い上げて操作できる者に限られるだろう。あれだけ熱狂したダイアナに対して、現在の国民は脚本家のピーター・モーガンによると
「今では彼女は感情的に混乱した不安定で悲劇的な人生を送った女性」
としか受け止められていないそうだ。あな恐ろしや。

こんな映画を取った監督スティーヴン・フリアーズは左翼思想の持ち主なのだという。映画にその思想を持ち込まなかったことに対し、監督はパンフレットで
「(思想を持ち込んだところで)何も変わらないからだよ。王室がなくなることはない。映画の中で王室は、旧態依然とした時代遅れなリアルな姿で描かれている。観客は王室制度とそこにいる個人を分けて考えることはできるだろう。でも我々は同時に、“これこそが英国に住むということだ。僕らはこうした体制のもとに暮しているんだ”と考えることもできるはずだ」
と語る。大人の左翼思想と言うべきか、左翼にしても思想の厚みが日本とは大いに違うというべきか。

見終わって外に出て、小田急ハルクでちょっと買い物し、帰宅。仕事用のメモ整理、いろいろ。やりながらNHKの長距離バス業界のドキュメント見て、さらに夕食。

サクラマスの切り身が値引きで売っていたので、これに塩・胡椒・ニンニクして少し置き、小さめの鍋で白ワイン少々振りかけてソテーにし、イタリア製のドライトマトソースと共にパンにはさんで齧る。まことに美味く、ビールにもあう。あとはナッツ齧りながらホッピーなど。アメリカの映画トリビアサイトなど見ながら。『007/ロシアより愛をこめて』でスペクターのNo.1(ブロフェルド)を演じたのは第一作『ドクター・ノオ』でデント教授を演じたアンソニー・ドーソン(これは知ってた)、しかし声をアテていたのはオーストリア生まれの俳優エリック・ポールマン。同じくタチアナ・ロマノヴァ(ダニエラ・ビアンキ)の声をアテたのはハマーの怪奇映画やフェリーニの『そして船は行く』などに出演したバーバラ・ジェフォード。

あ、ここで再確認して思い出した。『謎の円盤UFO』でストレイカー司令官の片腕、フリーマン大佐を演じていた(声・小林昭二)英国の俳優、ジョージ・シーウェル(セウェルとも)、4月1日に死去、82歳。うちの母親がストレイカー役のエド・ビショップと並んでいる画面を見て、
「いい男の典型とぶ男の典型ねえ」
としみじみ言ったが、雑誌『テレビジョン・エイジ』にも、
「俳優らしからぬ容貌」
とか書かれていた。しかし、ぶ男ではなかったと思う。人生の重みが感じられて、しみじみと味わいのある顔だった。とはいえ、確かにエド・ビショップと並ぶと同じ人種とはちょっと思えぬところがあって、しかし、このご面相のシーウェルに、プレイボーイで人間味あふれるフリーマン大佐を演じさせ、機械的なまでに冷静な(その裏側に悲劇的なエピソードはあるのだが)ストレイカー司令官と対比させる
というあたりが、このドラマの奥深いところだった。

舞台俳優として長く栄光につつまれたキャリアがあり、映画やテレビの出演は余技だったらしいが、それでもあの顔なものだから、ヨーロッパ映画を見ると、ちょいちょい、出てきているのが目についた。スタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』ではライアン・オニール演じるリンドンの決闘の介添え役。007シリーズのルイス・ギルバートの佳作『暁の七人』ではドイツ将校役。頼りない部下にカンシャクを起こして怒鳴り飛ばしていて、この重苦しい映画で唯一、笑いが客席から起きたシーンだった。この映画にはワンシーン、駅頭でアントン・ディフェリングのハイドリヒ将軍を迎えるヒトラーが出てくる。未確認だがどうも、これもシーウェルが演じているっぽい。監督のお遊びだろうか。

それにしても、エド・ビショップ、フォスター大尉を演じたマイケル・ビリングトン、そしてこのジョージ・シーウェルと。『謎の円盤UFO』は主要キャラクター三人が全て彼岸の人になってしまった。黙祷。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa