裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

日曜日

俺は雄琴だ!

ふーん、俺は吉原かなあ、やっぱ。

※ヘアカット 立川談笑独演会

朝7時前に目が覚め、寝床で読書。興膳宏『平成漢字語往来』。このところ、早くに目が覚めたときに、また寝ずに本を読んでしまうことが多く、それで寝不足で、気圧の変化でぶっ倒れたりするのではないかと思う。

『平成漢字往来』は朝日の書評候補にしていた本だが、著者(京大名誉教授)は博識で漢字・漢語の意外な来歴は得られるものの、山田俊雄の『詞苑間歩』のような深みはなく、半分くらい読んだところで候補から外した。新聞の通俗コラムなのだから深みがないのはまあやむを得ないにせよ、社会批評じみた言の通俗的というか床屋清談式というか、政治家や若者の風潮に呈する苦言・皮肉の類のあまりの平凡さが点数を大幅に減じたもの。

読んでまた寝て、目を覚ましたら8時58分。あわてて朝食。ホワイトアスパラガススープ(佳絶)、タンカン、イチゴ。

自室で作業。昼はチョット早めにやきそば。で、うららな初夏の陽射しの中、代官山に出かける。明日のテレビ出演に備えて、ヘアカット。いつものエド・エドで。

菅原先生と雑談しながら、『スタジオ・ボイス』3月号をパラパラ読んでいたら、書評のコーナーに『社会派くんがゆく!』があったのに驚いた。スタジオ・ボイスのようなシャレた雑誌に『社会派くん』は似合わないと思っていたのだが、後で訊いたらここの編集長が以前、村崎さんの担当だった由。菅原先生に、今度DS『雑学苑』プレゼントを約束。

カット終って出て、あまりうららかなので代官山から渋谷まで歩くが、人で人でもう、途中でイヤになってタクシーに乗る。タクシー、鴬谷町を通るが、そこは人ッ気まるでなし。しまった、ここまで我慢すればよかった。渋谷のNHK近辺のツツジ、今年はやや開花が遅かったが漸く、花撲々という感じ。

仕事場で書庫にもぐりこんでミリオン出版の次回書き下ろし本の資料探し。と、事務所の電話鳴って、出てみたら楽工社H社長だった。楽工社の新刊について、私の方にH社長の真意が伝わっていないのではないか、と直々に電話をくれたのである。かたじけないが、しかし日曜に事務所にかけて、よくつかまったものである。私自身、今日エド・エドに行かなければ渋谷には寄らない。いろいろとこちらのスタンスも説明して、連休明けにとにかく一回打ち合せを、と。

日記などつけているうちに5時。渋谷駅まで行き、今日の談笑独演会の楽屋に持って行くつもりの菓子(フワリさんへの)を買おうと、東急プラザ2階の渋谷フランセに立ち寄ったら、2階は全フロア改装中で、しかも“東急プラザ店は閉店いたしました”の張り紙が。フランセは渋谷に本店があるが、しかし、この東急プラザ店は非常に個人的に思い出深かった店だったので、ちょっとショック。

思えばまだ学生時代、イッセー尾形の舞台に協力する打ち合せを初めてしたのがこの店の喫茶だった。女房と結婚前、初めてのデートの待合わせをしたのもここだった。女房には内緒だが、学生時代はここをよくいろんな女の子との待合わせ場所にしていた。オシャレな喫茶店などというものにあまり縁のなかった当時(未だに縁がない)、女の子を誘うのに適した店をここくらいしか知らなかったのである。また青春の記憶を残す場所がひとつ、消えた。しみじみと“歳をとったなあ”という思いである。

銀座線で三越前で降り、三越でおみやげ買って、お江戸日本橋亭へ。立川談笑独演会。かなり早い時間だったのだが、すでに会場は6分の入り、一番後ろのスミッコの席をとるが、すぐに満席になった。

本を売っているK田くんに挨拶、楽屋に見舞に。落語家を廃業したというこらくくんがいた。ライターになるという。談笑さん、スタッフといろいろ話。もちろん、例のキウイの二つ目昇進ペンディングの件
など。あと、5月の博品館用に練っているネタの件など。

客席に戻って、高座を聞く。思えば上野からこちらに移ってからは初めてだ。ネタは『粗忽の釘』、『看板のピン』と大ネタ『死神』……と題名を書いても意味がない。談笑の高座は、いま、ここで、実際に聞いて、その未完成度を(完成度ではない!)を実体験しないと、その魅力は伝わらない。談笑の落語は、いわゆる古典落語ファンが“昔からこうだったから”と何の疑問も持っていない噺の中の基本設定に対し
「それっておかしくないか?」
と疑念を呈し、それを現代的常識で納得できるレベルにまで設定を改変していく。古典のパロディとかいうレベルではなく基本設定からの“作り直し”に近いのである。

これを古典の破壊、とみる向きもあるだろうし、事実、それは当たっていなくもない。談笑のやっていることは、結果的に落語という芸能の息の根を止める(というと大袈裟だが、首くくりの足をひっぱるくらいではあると思う)行為かもしれないのだ。……しかし、それであってもなお、内部からこのような改革への熱い思いを持っての行動家が出てこない分野はそもそも、時代を超えて残りはしないのだ、と思う。

愛するからこそ破壊する、という談笑の行為は、当然のことながら、本人に大変なアンビバレントな感情を抱かせ、それが、最近の高座に顕著な、わざと演者である自分自身を追い込んでいく自虐的な演出を盛り込ませることになる。今回の『死神』における呪文、
「あじゃらかもくれん、“なにか面白いこと”、テケレッツのパア」
などはその極北かもしれない。ちょっと説明すると、『死神』の、病人にとりついている死神を追い払う呪文は基本形が
「あじゃらかもくれん、きゅうらいす、テケレッツのパア」
なのだが、演者によっては“きゅうらいす”の部分に、変に時事的な言葉を入れるというクスグリをやることがあり、この話を十八番にしていた三遊亭圓生がこのクスグリ入れを定番にしてしまった。圓生は“あじゃらかもくれん、赤軍派”とか“あじゃらかもくれん、アルジェリア”などとやっていた。最近では喬太郎がこの日本橋亭でやったとき“あじゃらかもくれん、三越前、乗り換えが遠い”とやったそうだ。

談笑の“あじゃらかもくれん、何か面白いこと”というのは、要するに毎回かならずアドリブでパフォーマンスかギャグを入れ、客が笑うと死神がいなくなる。笑ってくれないと、先へ進まないのである。しかも、『死神』には演出上、やたらこの呪文が出てくる。後ろの方になってくるに従って、つまり話のキモとなる部分の呪文が一番キツいわけである。案の定、高座上で談笑、もう追いつめられたようになっていって、爆笑しながらも“この男には自殺願望があるのではないか”と思ってしまうほどだった。

そこまでマゾ的に自分を追い込まなくともよかりそうなものだ、と時々(いや、しょっちゅう)思うのだが、これは古典という文化の(創造につながるとはいえ)破壊行為を行う自分へ与えるハードルなのだろう。こっちだって真剣勝負なのだ、という、聞き手へのエクスキューズなのかもしれない。それよりなにより、緊張感のない、安定した高座などは(独演会においては、であるが)談笑にとってやる価値もないものなのだろう。談笑の高座とは、言ってしまえば、その、破壊と創造、緊張と自虐に悶々としてこんがらがっちゃっている談笑の姿の露出、なのである。

休み時間に常連組にあいさつ。ラーメン缶とか、鯨大和煮缶とか、カンヅメをいろいろもらった。声優学校の先生という女性に挨拶される。『超落語!』を読んで、『ジーンズ屋よう子たん』などを生徒たちの朗読のテキストに使っているんだとか。私のファンでもあり、今日会えるのなら本を持ってくればよかった! と惜しがっていた。

出て、jyamaさん、rikiさん、K田さん、K田さんの知りあいの小学館『IKKI』の女性編集さんなどとしばらく立ち話。談笑が珍しく
「ちょっとどうですか」
と言う。明日は『特ダネ!』オンエアで6時フジ入りなので11時くらいまで、と。
「私も明日、オンエアなんです」
と、言われて『ピンポン!』を思い出して言う。

で、夏さんなども加わって歩き出すが、日本橋近辺というのは特に日曜休日はあいている店がほとんどない。神田まで歩いてそこらの焼き肉屋あたりで、というのがいつものパターンであった。ふと、通りを見ると、ちょっと先に和民の大きな看板がある。
「あ、あそこにしますか」
と私が言い、みんな歩き出すが、これが何だか変で、歩いても歩いても、一向にその看板にたどり着かない。狐に化かされているわけでもあるまい、とさらに歩く(jyamaさんが前座くんより先にさっと
走り出して確認に行ったが、それも戻ってこない)。ずんずん歩いて、なんと小伝馬町まで行ってしまった。見ると、飲食店ビルの壁一面を使った巨大な看板。
「そうか、まさかこんなバカでかい看板だとは思わないから、錯覚ですぐ近くと思ってしまったんだなあ」
と、みんなで感嘆&慨嘆。

しかし、日本橋から小伝馬町まで歩いて、ここ以外一軒もあいている飲み屋がない。従ってこの店もバカ混みであり、日曜で店員の少ない中、日本人でない女店員さんたち大煮詰まり状態。“イカ焼き”を持ってくるときの言葉が何故か“ギャー”だったりして、談笑さんが
「リアル『イラサリマケー』だ!」
と大笑いしていた。

やがて座敷の方が空いて(相撲取りの一行が入っていた。私や談笑を見て“テレビに出ている人だ”とワイワイ言っていたそうである。キミタチこそそう言われなきゃダメだろう)そこに移動。話がまた二つ目昇進になり、談笑さんが彼らに与えたアドバイスの内容になり、落語の将来の話になる。
「村松友視が“ブルーザー・ブロディは立川談志である”と以前、言っていたが……」
と話したら夏さんが大ノリになり、K田くんに
「ブロディ本を出しましょう!」
と突っついていた。ちなみに、村松氏のその論は、ともに“自分に対する最も優れた評論家が自分自身”という定義から。うまいことを言ったもんである。

歩き疲れて入ったせいか、みんな何かハイテンション。rikiさんまで落語談義をぶつ。焼酎のボトルがあっというまに三本、四本と空になる。談笑さんが自分で決めた11時をとっくに過ぎて、
「もうそろそろ帰らないといけないんじゃないですか?」
とjyamaさんが言うも
「いや、今日はいいです!」
と、さらに談笑さん、テンション上がりっぱなし(jyamaさんは直後に沈没した)。明日の落語を熱く語っていた。こういうノリは久しぶりで、楽しいこと。結局、12時半まで飲んで、タクシーで帰宅。談笑さんよりは余裕あるが、明日、メイクのノリが悪いだろうなあ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa