裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

木曜日

お笑いげてもの体操

今朝の夢の中で自分で言ったダジャレ。

※『フィギュア王』原稿 朝日新聞取材 講談社『モーニング』打ち合せ 『ラジオライフ』原稿 『文サバ塾』

朝9時起床。二日酔い。いや、肉酔いか。朝食遅らせてもらい、入浴。全身脂臭い。しかし、今夜もたぶん飲みだ。人生は酒だ。

9時半朝食。オレンジとイチゴ。イチゴ、芸術品と思えるほどの形と色合いだが、味はそんなに甘くない。弁当受け取って自室に戻り、仕事。明木先生から恵贈いただいたご著書(主編)の『楽(がく)は楽(らく)なり 中国音楽譜集 古楽の復元』(文化科学研究所)の感想をメールする。この本のテーマである古楽復元には全くといっていいほど知識はないが、記録に最も残りにくい“音”をこうもあるかああもあるかと古代のものに近づけるべく復元していく、というのはそれぞれの研究者の胸によほど熱い情熱がなければ無理であろうし、その熱意はざっと読んだだけで十二分に伝わってくる。

編者前書きにと学会の読者でないと笑えないような事例が引かれていたり、また中国と日本の、“復元作業”に対する意識の徹底した違いなどが語られていたり、そこも興味深い。そう言えば、われわれオタクの世界でも、若いやつらがレトロなアニソン特ソンを“今風に”カラオケなどで歌うのに、
「違う! 『ラ・セーヌの星』の正しい歌い方は
“飛べ、飛べ、流れぼ“すぃ〜”でなくてはいかんのだッ!」
「この、“いまだ出撃、まっはばろぉんぉんぉんぉん……”の延ばし方はだな……」
などと説教をする。明木先生をして言わしめると、それこそまさに
「音楽学で言う記譜法と演奏習慣の問題」
であるそうな。

植木等はあれだけC調に唄っているようで、正式な音楽教育を受けているので滅多に自己流にならない。なればこそ、『スーダラ節』のような難しい歌を、耳で聴いただけで子供でも正確にコピーできた。一方、『ひょっこりひょうたん島』での藤村有弘の歌唱法は、熊倉一雄氏に言わせると、
「音楽をちょっとでもやった者には怖くてとてもああは歌えない」
歌い方であったそうだ。歌うなら植木等の歌だが、聞くにあたって“これは天才だ”と感服するのは藤村有弘の歌唱である。きっと古代にも藤村有弘のような天才がいて、今からではとても想像できないような歌唱法でみんなを感動させていたのだろう……と書くと、明木先生たちの努力を無視してしまうようなものだけれど。

弁当使う。鳥肉のつけ焼き。懐かしい味で美味。午前中、『フィギュア王』連載コラム5枚。家を出て打ち合せに間に合う時間ギリギリに仕上げる。こういうときの原稿が面白くなるのは不思議。テンションが違うからだろうか。1時、時間割。朝日新聞インタビュー。“昭和と牛乳”について。『フランキーの牛乳屋』『おそ松くん』の、チビ太が牛乳飲んで強くなる話など、いろいろ。役に立ったかはわからず。

2時、バトンタッチで講談社Iくん。彼と初めて会ったのは確か2000年。東大出にも関わらず風俗マニアで新宿歌舞伎町の『スーパールーズ』で火事があったときには担当作家たち全員が“Iくんは大丈夫か?”と心配して連絡とりあったという彼も、今や『アフタヌーン』副編集長で二児の父。
「歳をとりましたよ」
というが、そうか、私のように子供がなく、会社務めでもないから昇進とかにも縁のない人間は、歳をとったという実感がない。だから、ある日突然自分がもう50代である、とか知って愕然とするのである。打ち合せの内容は、次の仕事でどんなことが出来るか、というこちらの材料呈示。

Iくん、相変らず“マンガは面白くてナンボ。学問的分析はマンガをつまらなくさせる役割しか果たさない”理論。私の某書評なども“カラサワさんともあろう人が、あんなことを言ってはいかんです”と不満を漏らされる。ここらは変わってない。改めて、もう一人の昔の担当、Yくんも含めて飯でも食いながら打ち合せしましょう、と話して別れる。

事務所に戻り、原稿。パソコンの調子悪く、なかなかネットにつながらなかったりしてあせる。コネクターの上に本の山が崩れ落ちたのが原因らしい。配線をいじったりして何とか回復。ラジオライフ11枚。6時半からの文サバに間に合わせるべく急ぐ。こういうときの原稿に限り、とややデジャブになりかけるが、面白いかどうかはわからないがかなりエグいものになった。15分ほど文サバには遅刻。

文サバ第二期も、今日を入れてあと二回。総まとめに近い講義として、“売れる準備”のことを話す。ヒットはいつ出るかわからず、それを活かすも殺すも、“売れたときの心構え”をしていたかどうかにかかる。講義では言わなかったが、昔つきあっていたライターで
「ボクは売れたらこうします」
「売れてインタビューを受けたらこう話します」
などということばかり口にしていた男がいた。
「そんな夢物語より、まず足もとを見ろ」
と説教ばかりしていた記憶があるが、彼はその後、別の分野でちょっとばかり名を売ったとき、見事に
「売れたモノカキ」
を演じて、それなりの評価と尊敬を勝ち得ている。彼が売れたことは実力なのかフロックか、まだ判断出来ないでいるが、売れたときの対応はさすがに“稽古の度合いが違い”、見事なものだったと感心しているのである。

終ったあと、妙にくたびれる。体力か気力か、それとも気圧のせいでもあるか。いや、実は今日はメチャ仕事をしたのであった。『麗郷』珍しくあいていて、オノとバーバラと。水ギョウザ、レバ炒め、エビとグリンピース炒め、大根餅スープという変なもの(中華風雑煮の如し)、蒸し鳥など。生一杯、紹興酒。店員のお兄ちゃんたちが社会主義中国風で全く働かず。金沢旅行の話などして、11時頃帰宅。

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