裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

火曜日

デイ・アフター・東坡肉(トンボーロー)

 東坡肉を食べた翌日に氷河期が! 朝、6時半起床。雨の季節の唯一いいところは眠りが快適だということか。入浴、歯磨等如例。亜鉛錠、今日で切れた。朝食例時。リーフサラダ、だと思ったらレタスの葉をリーフ形(菱形)に切ったものだった。果物はマンゴーだが、これが凄まじく酸っぱい。アスコルビン酸の原末なみ。

 コロムビア・トップ(下村泰)氏死去、82歳。私が子供の頃、東京漫才が第一期ブームを迎え、青空千夜・一夜、リーガル天才・秀才、晴乃ピーチク・パーチク、獅子てんや・瀬戸わんや、Wけんじ、若手で晴乃チック・タックなどといった人気者が輩出して黄金時代を築いたが、その時点で別格の扱いをトップ・ライトのコンビは受けており、東京漫才の頂点に立っていた。……つまりは、あまり面白くはなかった、ということだ。政治風刺をネタにした漫才は子供にはわかりにくかった、ということもあるだろうが、動きとキャラクターとテンポのいいリズムで笑わせるてんや・わんややチック・タック、それに大阪から出張してきていたやすし・きよしなどに比べて世代がひとつ、古い芸であることはあきらかだった。なんでお笑い芸人なのに、あんなにエラそうなんだ、というのも反発のひとつだった(同じエラぶり芸でも、若い立川談志のツッパリと違い、自分たちが風刺している対象の政治家と同じいばり方であるのが気にくわなかった。子供でもそこらは直感でわかるのである)。後に政治家に転向したときも、どうも庶民派なのに庶民派っぽくないなあ、という感じで、青島幸夫や横山ノックなど、同じ二院クラブのタレント議員中でも、一般大衆人気を得ることはあまりなかったのではないか。国会でもどこでも和服で押し通すというのも、どうも大衆へのアピール的にどうかなというイメージだった。そう言えば別れた相棒のライト(今回、彼へのインタビューがテレビでもひとつもないのが寂しい)が、声帯模写でピンで寄席に出て(もともと声帯模写をやっていたのを、最初の相棒に死に別 れたトップにスカウトされたというから元に戻ったということになるが)、
「日本語教育は大事だよ。いまの国民がみんな漢字書くのめんどくさがって、投票用紙にトップだのノックだのしか書かないからこっちが迷惑するんだ」
 と言っていたのはいいギャグだった。

 とはいえ、唯一、彼に大いに楽しませてもらったのは、チンパンジーたちを主役にしたスパイもの番組『チンパン探偵ムッシュバラバラ』で、国際陰謀組織『デッドキラー』の親玉、ゲバルト大佐の声を楽しそうにアテていたのがまことにハマリ役だった。白いスーツにモノクルをかけて、粗暴にいばり散らすサル、という役柄がそのダミ声の声質にピッタリで、しかもこの親分の弱点が“サンタをまだ信じている”という幼児性であるあたり、ナンセンスとしても傑作だった。由利徹、海野かつお、三笑亭夢楽といったお笑い系を多用していたキャスティングは、『チキチキマシン猛レース』などでおなじみの高桑慎一郎プロデューサーの趣味だろう。こういう役が合うということは要するに、野党にいるより自民党で活動した方が、案外ニンにあっていたのではないかな、ということなのだが。まあ、それでも死ぬまで政治活動は続け、ラジオなどにも出続けて芸人としての生涯もまっとうし、ライバルであった晴乃タックやてんや・わんや、横山やすしなどよりも長く生きた。まず充実はしていた一生じゃなかったか、と思う。

 出かける用意を自宅の部屋でする。このところ、玄関に靴を履くときのための椅子を置いているのが楽。いかにも年寄りくさいと言えばそうだが。あと、この数日、こちらの部屋に何とも言えない異臭が充満。床にかけたワックスのケミカル臭と、猫の エサの生臭さが混じって、湿気で倍増して臭ってくるのだと思うが。

 8時25分のバス。雨降りそうで降らず。この頃、例の大阪弁のアパレル兄ちゃんコンビは片方だけになってしまった。もう一人は先輩の意見を振り切り、自分で商売をはじめたか? 窓の外をぼんやり眺める。このバス路線、杉山公園前から乗って、最初は中野車庫の通りの古びた商店街を通り、やがて幡ヶ谷の通り、高速の下を通って新国立劇場のところまで行き、そこから代々木八幡前の通りに曲がって、NHK前に到着する。東京の三種類の通りの風景を眺められるのだが、それぞれ雰囲気が全く異なり、それぞれに味があって楽しい。通勤中の車内では日記メモをつけたり、ゲラのチェックをしたり、あるいは資料本を読んだりして過ごす(約40分)のだが、大抵はぼんやりと窓外を眺めながら、日記タイトルのダジャレを考える。通勤途中でい いのを考えつくと、その日は調子がいい。

 仕事場到着。日記つけて、あとは幻冬舎書き下ろし。すでに200枚を超過しているのだが、冒頭の書き出しに非常に難航。十回くらい書いては消し。そうこうしているうち、講談社FRIDAYから連載第一回のゲラがFAXされてきた。コラムの方の字数が誌面の都合で少し削られる。ハミ出し部分に赤を入れて返信。週刊誌連載を持つのが有り難いのは、単に定期的に仕事が入るというだけでなく、欄外でイベント 等のお知らせが出来るということもある。

 12時半、弁当使う。ハンバーグ、今回は大きいの。『漢字天国』からもゲラが届いていたのでチェック。こっちは本文には訂正ナシ、プロフィールがこれまで気がつかなかったがやたら古いもの(新刊が『すごいけど変な人×13』だったり)になっ ていた。新しいものに差し替える。

 雨止み、時折太陽がまぶしく射したりもする。進まぬ仕事ジグジグと。8時45分に気が付いたらなっており、前書き部分のみメールして、あわててタクシーで帰宅。今日は仙台のあのつくんから送られた野菜の会。集まるは常連のS山さんと植木不等式さん、パイデザ夫妻。あと、先日のと学会二次会で結婚を発表したS井さんが、最初は申し込んだらもう〆切、とK子が無情にハネつけたのを、“結婚したらそう来られなくなるんだし、可哀相だから呼んでやりなよ”と私がフォローして急遽参加。K子、ロフトで買ったというパーティ用の三角帽をS井さんにかぶらせている。彼女なりのお祝いなのだろう。植木さんはパキスタンで買った現地服を着用しての参加。これでヒゲ面で電車に乗ってきたのか、とちと驚く。しかし、ふわりとしていて、何だ か楽そうではある。

 牛肉とタマネギとジャガイモとブロッコリのスープからはじまって、ローストビーフ入りのカブのサラダ、カリフラワとブロッコリのフライ、チキンのハーブ焼きなどのメニューが次々と。ホウレンソウを使ったオムレツがとりわけ印象的な美味。あとローストビーフの肉汁で作ったガーリックライスも味わい深い。植木さんとダジャレ合戦いつもの如し。やはり先日の“耳鼻咽喉のど自慢”は少し難しすぎたよう。酒もうまく、会話も楽しく、〆切等つまっていることを忘れて(忘れてはいかんが)精神をリフレッシュさせる。S井さんは食事の最中に彼女から携帯で電話がかかってきてK子はじめ周囲にいろいろからかわれていた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa