裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

7日

月曜日

上流教室

 異次元にいっても宅の子はそこらの労働者の子供たちとは違うざます。朝6時に目が覚め、所在なさにメールチェックなどして時間をつぶす。雨瀟々。仕事進まないであろうと予感できて憂鬱。入浴、熱いシャワーを浴びて少し身体と神経を活性化。7時半朝食。大根とキウリのサラダ、アスパラガスのポタージュ。新聞テレビ等で窪塚洋介飛び降りの報。プライバシーに配慮してなのか、自分の妻の名をこの人は“のんちゃん”としか発表していないが、報道する側がやりにくそうである。

 ロナルド・レーガンもと大統領死去、93歳。産経新聞で中曽根元首相が
「お互いが尊敬し合える同志がなくなった」
 と語っていたが、レーガンは中曽根を尊敬していたのかね。ロン・ヤス関係などと中曽根氏は二人の親密さを強調していたが、大統領をやめてから出たレーガン自伝には、中曽根氏の名前はホンの数行しか出て来なかった、というではないか。まあ、とはいえ彼が身もフタもなくレーガンにスリ寄り、不沈空母発言などという上っすべり発言までしてアメリカの腰巾着に徹したことが、ソビエト政権が末期に到り、戦後の国際政治情勢が大きく変わろうとしていた時期に日本の国際的な立場を固めたことは動かしがたい事実である(サミットなどでの記念写真のときなども、中曽根氏はスッとレーガン氏の脇に入っていって、常に隣り合って写るように心がけていたとか)。弱小国家の外交とはいかなるものか、中曽根氏は身を以て知っていたと言えよう。こ れくらいの発言はまあ、大目に見るべきか。

 レーガン氏の大統領就任時、日本のマスコミはこの右傾大統領を徹底して嫌い、悪の権化のように書いていた。いまだに覚えているが、84年のレーガン・グロムイコ会談に際し、毎日新聞はその予想を述べて“レーガン氏がまだB級映画俳優だった当時、すでにグロムイコ氏はソ連の外相を務めていた”と、あきらかにソ連びいきの書き方をしていて、当時、すでにマンガ雑誌でもソ連の物資のなさや政治システムの末期症状がギャグになっていたというのに、新聞というのはこうまで世界情勢が見えないのか、と呆れたものだ。結果、この会談はあきらかにレーガンがSDIなどの開発という軍事力をバックにソ連を交渉の場に引き出して成果を上げたと評価されることになる。所詮、外交というのは軍事力が背景にあって初めて行えるものだ、というこ とをあれくらい如実に示したものはなかった。

 ついでに言うと、当時の“B級映画”という用語は、現在のような、チープでカルトな映画秘宝的作品、という意味ではなかった。映画黄金時代に、制作費や製作期間に特別ワクを設けて作られる超特作映画を“A級”と称し、定期上映される、通常のワクで制作された映画をB級と言ったのである。B級映画にはシリーズものやジャンルものが多く、たまの大作映画にしか出演しない大スターよりも、むしろ大衆人気はB級の西部劇や戦争映画、コメディに常に顔を見せていた俳優の方にあった。50本以上のB級作品に出演していたレーガン氏は確かにアメリカ人にとって“人気俳優”であり、だからこそ、映画俳優組合の委員長に推挙され、そこから政治の道を歩きはじめたのである。決して、当時各マスコミで揶揄されていたように、“売れない映画俳優”だったわけではないのだ。

 8時半、パイデザ平塚くん来宅、と学会パンフレットのチェック縞を渡す。人名表記で、いろいろと特殊例があるのでそこらへん中心に。8時50分、家を出る。雨でマンション向かいの家の庭の杏の木の実が、だいぶ落ちている。タクシーで渋谷。

 岡田斗司夫さんに東放学園でのオタアミ公演の件、打診(午後に快諾の答え)。まだ先の話だが、ひさびさのオタアミである。それから、原稿にかかる。『社会派くんがゆく! 号外』の依頼で、例の佐世保事件。6枚程度の原稿だが、書いていていや あ、燃えた燃えた。文章が自分でも驚くほど勝手につむがれていく。

 テンション上げすぎたか、書き上げてややがっくりと気力落ちる。気圧に反抗したためだろう。弁当、かきあげ丼。旨い旨いと掻き込むが、食べたあと、血が胃にいってしまい、さらに体調落ちる。横になって休むが、ストンと落ちるように寝込んでしまう。もっとも、体力が最低にまで落ちたときの、あのイヤないびきは無し。

『FRIDAY』Tくんから電話、ゲラの件と打ち合わせの件。夕方からは雨もあがり、やや体調も回復。と学会のMLなどで連絡事項いくつか。書き下ろし本の引用用の書籍を書庫にもぐって探したり。8時、久しぶりにバスで帰宅。蒸し暑いので、前の席に座った若い女の子のTシャツに染みた汗の匂いが鼻をつくが、オジサンになった証拠で、“ああ若い子は新陳代謝が活発なのだなあ、いいことだなあ”などと、こ れを肯定してしまう自分がいる。歳をとるというのは面白い。

 9時、晩飯。カブのスノモノ、ピーマンとニンジンのキンピラ風炒め物、それとイボダイの干物。母の実験作の自家製花巻、このあいだのはちょっと甘みが強くて菓子パンぽかったが、今日のはきちんと花巻になっていた。角煮をはさんで中華バーガー にして食べる。これを食べたのでご飯は抜き。

 DVDで『アタックNO.1』第12話『不気味な強敵』。手帳を引き裂くとか、ホイッスルを吹くとか、単純な行為の動画がこの当時のアニメは下手だったなあ、と思う。マンガ映画というものがカリカチュアライズされたキャラクターと動きで描かれていた時代には、動画でこういう“日常をリアルに描く”技術はまだ未発達だったのだ。子ダヌキとかウサギだとかばかり描いてきたスタッフがほとんどなのである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa