裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

土曜日

「お前か、珍しいポルトガル人の幇間は」「へえ、ロドリゲス」

 タイトルにまったく意味はない。朝6時45分起。入浴歯磨等の後、7時半朝食。最近は血圧のためにタマネギ皮の煎じ汁と、ラズベリージュース(冷凍のラズベリーをミキサーにかけたもの)を一杯づつ食前に飲んでいる。計ってみるに、わずかづつではあれど確実に下がっている。下がついに100を切った。食事はクルミとサニー レタスとカボチャのサラダ、野菜コンソメ、キウイ。

 8時31分のバスで出勤。メールチェック。『FRIDAY』三本目のネタをまとめて、K子に送信。それから、太田出版にとりあえず『トンデモ本の世界S』の誤字などのチェックを出してメール。1時ころ、グラグラ、と足元から揺れがくる。地震 も久しぶり。

 土曜日は一週間に一度の昼の外食日。参宮橋『道楽』にて豚骨海苔ミソラーメン。脂がギトギトだが、一週間に一度はこういう健康に悪そうなものを口にしないと、モノを書くなどという気力は湧いてこない。食べ終わって外に出たら、ドーベルマンを散歩に連れて出かけるところの絵里さんに出会った。さすが、こういう日本人離れし た行動が、役者の娘だけあってピタリとカッコよく決まっている。

 ちょうどバスがやってきて、それに乗り、渋谷へ。そのまま半蔵門線で神保町へ。古書会館、和洋会。大したものもないな、とか思いつつぶらぶらと会場を回っているうち、おや、こんなものがあった、ありゃ、こんなところにこれが揃いで、と買い込んでいて、結果、包みが三つの大荷物になる。値段計算の女の子のバイトが、まだ慣れなくてミスばかり。後ろから、“あ、じゃあわたしがやるから”と引き取った女性は、まだこの古書会館が建て直される前からここでバイトをしていてお姉ちゃんである。あの頃はこのお姉ちゃんもミスばかりしていたが、三年たてば三つになるという 言葉通り、頼もしいベテラン店員になっている。

 重い荷物をウンコラショとかついで半蔵門駅に。キオスクで橋田信介さん最後の原稿、と銘打たれた日刊ゲンダイを買ってその記事を読む。朝、産経新聞の社説に引用 されていた橋田さんの著書『イラクの中心で、バカと叫ぶ』の中の言葉
「戦場記者は戦争を語ってはならない」
「戦争はすぐれて政治の世界であり、戦場からは見えないからだ」
 に(引用が正確でかつ適切であるという前提で、だが)かなり感動した。イラションであっちに出かけていって“オレは戦争を体で知っている”といばるだけの浅薄なジャーナリストたちの言を目に耳にしすぎているからであった。上記の言葉はまさに至言だ、と思ったのである。……で、このゲンダイの記事を読んでみたら、露骨に政治の世界の戦争のことを語っていた。ナンだコレハ、とちょっと呆れたが、一瞬後には苦笑する。橋田氏はまさにこういうことも含めて徹底した“プロライター”であった。いくらいい記事を書いても、クライアントに売れねばどうしようもない。そのクライアントが日刊ゲンダイであれば、こういう記事になるのも当然であろう。プロに徹するとは、自分の欲求ではなく、仕事先の要求に合わせたものが書けるという謂なのである(橋田さんの政治的立ち位置がどうであったかはここでは措く)。ただし、彼の死は戦場でのプロとしては明らかな失策、しかも自分の判断ミスにより、後継者と見なしていた若い甥と現地人通訳を巻き込んでしまった、最悪の結果であった。橋田氏の姿勢とプロ根性に尊敬の念を持つ者であればなお、そのことのみはきちんと認識し、死者に敢えてムチを打つことが重要だろう。彼自身、生前にはテレビで、殺された奥大使たちの死を“プロ失格の迂闊な死”と糾弾していたのである。

 帰宅してしばらく横になる。やらねばならぬコトのあまりの多さに我ながら呆れかえる。とりあえず、『トンデモ本の世界T』の方のチェックのみやって太田出版に送信。太田のHさんからは、以前から出していた企画に関しての前向きなメールもいただいており、近く打ち合わせしなくては。このような状況でも、このあいだ、扶桑社の『愛のトンデモ本』文庫化が、デザイナーさんが交通事故にあってしまい、少しスケジュールが延びたので、かなり楽になったのである。事故の報を聞いたときは、事故の様子や様態を心配する一方で、“シメタ!”と、いささか不人情な快哉を、心の底のどこかでまた、上げていたのも事実なのである。

 ネットニュースで、後藤田正純(どうでもいいがこの人の親は宇都宮釣天井事件の悪役とされる本多正純の名を知らなかったのかな。政治家としてはあまり縁起のいい名前とは言えないと思うが)と水野真紀の結婚式の報道を読む。小泉首相の祝辞を、 サンケイスポーツ誌は
「“『酔うてはまくらす美人のひざ、さめては握る天下の剣』は男の夢だ”とあいさ つ」
 と報道している。この後にも“私は天下の剣は握ったが、美人のひざがないから寂しい限りだ”、などとあるから、単純な誤変換ではなく、本当にこの記事を書いた記者は“天下の剣”と思いこんでいるのだろう。日本の支配者となる力を秘めた神秘の魔剣が、代々の首相には受け継がれている……というようなストーリィをつい、想像してしまう。書いた記者の頭にはエクスカリバー伝説かなんかが(ゲームとかファンタジー小説とかで)記憶されていたのかも知れない。もちろん、正しくは伊藤博文が 詠んだという詩
「酔うては枕す窈窕たる美人の膝、醒めては握る堂々たる天下の権」
 の引用である。校閲部はチェックしないのか?

 6時半、タクシーで幡ヶ谷。チャイナハウス食事会。今日はいつものメンツに加えて、水島努監督、横手美智子さん、快楽亭の師匠の三人を特別ゲストに招いている。待ち合わせの7時ジャストに行くと、K子、開田裕治さん、S山さんT橋くんS井さんK川さんらほとんどのメンツがすでに揃っていたのに驚く。水島監督に挨拶。監督は前から私や開田さんがしんちゃんファンだと快楽亭から聞いており、ぜひ一度お会いしたい、と思っていたのだが、非常に気が小さいので、コワくて躊躇していたという。例のマリオンでの試写のときも、終わったあと、快楽亭のおかみさんが探したのに監督の姿が見あたらなかったのは、観てすぐ感想を言われるのがコワくて、他のス タッフに
「ほら、開田さんたちあそこにいるぞ」
「ほら、唐沢さんが“オケガワのモデルがわからない”と言っているぞ、行って説明してあげろよ」
 と背中を押されながらも、逃げ回っていたのだそうだ。いや、そこまでコワガラれれば評論業としては本望というもの……かも知れない。

 で、聞いてみたら、オケガワ(西部の街の発明者)のモデルはジュリアーノ・ジェ ンマであるそうな。
「ジェンマが不摂生して60代になったらああなるかな、というイメージ」
 だとか、なるほど、そう言えばそんな感じか。実際のジェンマはこのあいだ『王女ファナ』に、渋いがダンディなままで出てきていたが。まあ、今回の作品はパロディネタをいちいちタネあかししない、というあたりに水島監督のプロらしいポリシーがあるのだろう。SF大会にも昔参加したことがあるというからオタクぽい部分もある人なのだろうが、それが突出していないのである。モデルネタ(水野晴郎氏からは、“モデルに使ってくれてありがとう”と電話が来たそうだが、それでも、最初はあまりに似すぎていたキャラを、そう似てないように直したのだとか)などをあまり無闇 に詮索する作業はあまり意味がないだろう。それにしたって、
http://theater.nifty.com/db/0000024973/main.jsp
 ↑ここはちょっとひどいが。あれだけ堂々と出てきた(しかも声優がちゃんと大塚周夫で!)ブロンソンを“出てない”と言い切るのは、この女性ライターさん、きちんと映画を観てものを書いているのか。あるいはヒゲのない『荒野の七人』バージョンのブロンソンをブロンソンとはわからなかったのか(こういうツッコミを入れるから水島監督に怖い人だと誤解される)。その他、
「『しんちゃん』の監督だ、って言うと必ずサインに絵を描くことを求められるんで困るんですよね、ボク絵がまるでダメなのに」
 と言う話でみんな笑うが、あとでサインを求められたときにはちゃんと絵を描いて おられた。

 途中からNHKのYくんも来て、監督に名刺を渡したりしている。チャイナの料理は今日はスッポンのスープがメイン。あとは黄ニラ、トウミョウなど野菜中心で、快楽亭が“家ではカミさんにダイエットだと言って野菜ばかり食わされて、たまに外なら肉を食えるとヨロコんでいたのに……”とボヤいていた。ところで、店の壁にこのチャイナハウス企画の食事会の参加応募のポスターが。中国の曲阜で“西太后の朝ご飯”と、“孔子が皇帝をもてなしたときの夕食”を再現する(西太后のは朝ご飯だが夜、食べる)企画だそうで、参加費17万で、西太后朝飯の方は40品、孔子の方は120品も出るコースだそうである。トンデモ本2004とカチ合うので植木さんが嘆いていた旅行というのはこれか。11時帰宅、蟻酒の酔いですぐ寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa