裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

木曜日

イトマーン、イトマーン

 逃げろ許永中、弾よりも早く。朝、6時起き。ぐっすり寝られる日は逆に早く目が覚める。夢でパチンコの景品交換所のようなところでトイレを借りようとするが、その内部があまりに狭いので呆れて笑ってしまう、というシチュエーション。朝食はトウモロコシ、チェリートマト。果物はデラウェア。

 昨日、あのつさんから送ってきた謎の木の実、ネットで調べるとどうもヒメクルミらしい。われわれが普段見慣れているクルミとはまったく違う、黒くて小さくて先がトンがっているハート型のもの。ナッツ屋で売っているのはシナノクルミで、ペルシア産のものを改良した品種であり、皮が薄く、剥きやすい。このヒメクルミはカンカチに殻が固く、ペンチで押しつぶしそうとしても歯が立たない。食べ方もネットで調べてみると、塩水に15分ほどつけて、それから鉄鍋で気長に煎ると自然に割れ目が出来るのでほじくり出して食べる、とあった。暇にならないと食えない。

 原稿、今日じゅうにやらねばならぬものが堆積。まず講談社の好美のぼる本の作品解説をだだだと書く。あまり堅くならず、かといってマンガ地獄変などのようにくだけすぎず(くだけるのが悪いと言っているのではない。芸風の差である)、中間の線をねらって書く。それにしても、この採録作品選定はK子と担当のYくんの趣味全開であり、ほとんどが初期のもの。こんなマニアックで、売れるのだろうか。

 二本書いて送り、そこらで青山へ出る。通りのビルの地下の奥まったサザエのどんケツのようなところにある手打ちソバ屋『楽』で鴨せいろランチ。ゆかりご飯とお新香がつく。店はおしゃれで、蕎麦もおいしいが、ソウメンなみに細く切ってあるのが私の趣味ではない。雑用ちょっと、それから紀ノ国屋で買い物して帰る。

 帰宅して少し寝る。バテ防止である。電話、加藤礼次郎から。土曜の小松原一男画集発売記念上映会に行くの? と言うから行く、と答えると、よかった、自分も奥さんを連れて行く、という。オタク教育に余念がないらしい。終わったあと、こっちの夫婦も一緒に、懸案だった焼肉会をしようと打ち合わせる。それにしてもバラタック見るのは久しぶりである。

 仕事再開し、好美のぼる本はあと後書きを残すのみになったので、次にSFマガジン。メモなど参照して大体の構成を決めたところで、編集長S氏から電話、2時間で書き上げます、と返事。400字詰め10枚2時間はちょっとキツイ(いつもの倍速である)のだが、構成段階の感触で大丈夫、と踏む。そこは長年のカンである。さっそくバリバリと書き出して、2時間を15分、延長したところで10枚書き上げた。鼻息荒くメールする。

 そこで夕食の準備。朝、三杯酢と醤油を割ったものにつけておいたキュウリと茄子の即席漬け、枝豆の塩茹で、青いトマトの刺身、以上送ってくれた野菜で。青トマトの刺身はK子の好物。それとイカの木の芽和え、煮込みうどん。食べながらK子の撮影したコミケの写真を見る。なかなかな出来。ビデオで、森一生『怪談蚊喰鳥』。夏になるたびに一度は観かえす。私と快楽亭ブラックの二人が推す、怪談映画の最高傑作(ある意味中川信夫の『東海道四谷怪談』より好きである)。白黒の画面からただよってくる夏の暑苦しさ、中田康子のねばりつくような肉体の色気。そして金貸し按摩に扮する船越英二の、一筋縄でも二筋縄でもいかない、軽薄なお人好しとして登場して、徐々に開き直って、小林勝彦(中田の情夫)との立場を逆転させていくあたりの演技のうまさ。初めて観たのはまだ予備校時代の怪談オールナイトだったが、船越英二のイメージが180度ひっくり返るこの名演には大仰天したものだ。常磐津のお師匠さんがうらさびしい墓場の脇に住んでいるという設定のみがちょっと変だが、あとは名匠・森一生の演出、国弘威雄の脚本、ここだけ江戸情緒を無視した倉島暢の電子音楽風BGMとの取り合わせ、いずれも絶にして妙、である。いつぞや快楽亭と飲みながら、この映画の面白さ、そして二人とも“映画がこんなに面白いのなら”と、古書店などを探して買って読んだ宇野信夫の原作『巷談宵宮雨』のツマラナいことに呆れた想い出などを語って、大盛り上がりしたものである。そうだ、この映画を快楽亭、落語にして高座にかけたらどうだろう。あの按摩、快楽亭のニンにぴったりだと 思うのだが。

 などと考えながら見ていたら、西手新九郎である。快楽亭から電話がかかった。なんと、小人プロレスラーのリトル・フランキー、宿舎で死んでいるのが発見されたとのこと。死後三日ほどたっていたが、盆休みで誰も連絡がなく、気がつかなかったという。“これで小人レスラー、とうとうブッダマン一人になっちまいましたねエ”としみじみ(角掛留造は身長があり過ぎて、小人レスラーの範疇に入らない。あれは聞いたら“ただ単に背の低い親父”なんだそうである)。ひとつの文化の終焉に立ち会う、というのは寂しいものである。炭酸割り焼酎2ハイ。

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