裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

水曜日

ファイバー立て立てば歩めの親心

 食物繊維をたくさんとらせるのが親心です。朝、7時45分、起床。朝食、まさ吉でもらったイカメンタイの残りをバタで炒め、タマネギ・マッシュポテトと合わせてタラモサンドイッチ。果物はデラウェア。11時、と学会九州会員のH氏から電話。いま、渋谷の駅にいるので、五分ほど会ってくれないかという。部屋の中がコミケの荷物等で一杯なのでマンションのロビーで、と言ったがそこのソファには先客あり。結局、表の植え込みの脇に腰掛けて話す。彼の仕事がらみで少し相談事。あまり役には立ってあげられず。

 最近、夕刻に眠くなるということはなくなったが、その替わり12時頃に一瞬、ガクッと眠くなる。20分ほど寝て、どこかからの仕事の電話を目覚ましがわりに。昨日は青林工藝舎、今日は講談社。あと、実相寺監督の飲み会でよく会うO氏から、少しユニークな出版ビジネスのことで相談を受ける。

 昼は昨日のすがわらで作ってもらった太巻き四ケ。アナゴが切れていたのがやはり残念。好美のぼる本の原稿を書き、二本、完成させて送る。相変わらずノドが乾いて何度も水を飲み、お茶を飲み、ジュースを飲む。メール数通、やりとり。コミケ以降心身共にバテていたが、植木不等式氏のメールにちょっと力つく。

 ナンビョーさんのサイトの常連メンバー、あのつさんから野菜また届く。トウモロコシ、ミニトマト、キャベツなどありがたし。中に、黒くて固い殻があって、先の方がとんがっている黒い木の実(?)のようなものがある。何なんだか、わからず。都会ものの無知。買い物に出かけようかと思ったが、これが送られたので行かず、ぎり ぎりまで仕事。

 5時、新宿三丁目、末広亭に神田山陽襲名披露興業を聞きに行く。『クリクリ』の絵里さんケンさんからのお誘い。末広亭に(打ち合わせとかでなく)落語を聞きに行くのは十何年ぶりのことだろうか。まして、それが芸協(山陽一門は芸協に所属)のときだなんて、何十年ぶりのことだろうか。2700円払って入る。ちょうど、陽司が講談をやっていた。間に合うように来たのだが、もう終わりのところ。残念。少し後ろの方に座る。会場内の設備、ほとんど変わっていない。椅子のせまくて固いことも。プログラムに載ってる居酒屋『猿の腰掛』の広告の、“こいつがなんともいえねえと柳橋師匠だっていわれるに違えねえと思ってまさあね……亭主愚言”という文句がまだあったのに仰天した。この柳橋師匠ってのは今の柳橋じゃないよ。芸術協会会 長だった先代柳橋だよ。

 高座には祝いの後ろ幕が吊られ、左右に飾り物が配置されて、まったく落語と変わらない。講談の襲名披露興業というのを見るのは初めてだが、先代の山陽は講談が下火になったとき、いち早く落語との提携を試み、真打・二つ目といった制度も落語にならって取り入れた人だから、これでいいのだろう。高座続いては三遊亭遊馬、演目は『牛ほめ』、冒頭のまくらに……などと書き出すのもイヤミなのでやめておく。寄席の落語というのは内容をどうこう言うべきものでない。文治、遊三という大看板も『堀之内』(文治はお祖師さまでなく浅草の観音様で演る)、『青菜』といったオーソドックスな噺をオーソドックスに演じている。別段取り立てて注意をはらって聞くものでなく、その雰囲気を味わうべきもの、なんだろう。噺でなく、演者を楽しむタイプの人としては、それこそ無茶苦茶に久しぶりに桂南なん(夏どろ)と古今亭寿輔(地獄巡り)を生で聞いた。南なんの病気みたいな口調は相変わらずだが、髪が薄くなったところに時の流れを感じる。寿輔は口ヒゲをたくわえ、谷村新司のパチモノ風になって出てきたが、開田さんの弟子の岡さんにもちょっと似ている。黄色の高座着で現れ、“なんだ、あのチンドン屋は、と思ってる人もおいででしょうが……”と笑わせていたが、ブラックや談之助を知ってるともう、おとなしくて。『地獄巡り』、こないだ聞いた談生の『地獄八景』と同じクスグリがあったのには笑った。芸協の噺家らしく、“うひゃあ、さすが豪華な名人会だね、文楽、圓生、志ん生……”という 後に“今輔、金語楼”とつけたのがご愛敬。

 仲入りちょっと前に絵里さんたち、入ってきた。さすが人気者の真打誕生で、場内ほとんど満席。ひでや・やすこの漫才は空回り。昇太、ネタは大したことないが、キビキビした動きはとにかく明るい。相変わらず若いことには驚嘆する。私よりひとつしか下でないのが信じられない。熱演で時間が押したとみえ、遊三をはさんでヒザのボンボンブラザーズはサワリのみで引っ込み、さてお待ちかね山陽。

 この人、もちろん好きではあるが、技術的にもギャグ的にも、決して飛び抜けて優れているわけではないと思う。しかし、これだけの人気者にまでなったのは、まず、素ッとぼけたキャラクター、そしてアドリブのうまさが大きな要素だ。内容でなく、反応で笑わせる。ここらへん、非常に昇太に似ている。若い頃にぴたっと昇太にくっついていたそうだが、その呼吸を吸収していたのだろう。客の反応をみごとにすくって、だらけさせない。マイクが少し傾いていたのを“真打昇進で神経質になってまして、こういうのも、意図的なのかな、と思えて”と直すギャグを、三回、繰り返したのに感心した。アドリブをただのアドリブで終わらせず、ギャグにまで昇華させている。もっとも、これもアドリブなのかどうか、ちと怪しい。新作と古典とどっちをやるかを客の拍手の多さで決めます、と客に言い、新作の方の手がちょっと多いのに、“私には伝統芸を期待されていないようで……”と笑わせ、“では両方、やります”とおもむろに二本立て宣言するのも、アドリブのように見えて毎度やっている演出である。で、新作は『台所の片隅』。前にブラックの会に出演したときも同じネタだっ た。これ、落語としてはともかく、講談でやるネタかなあ。

 9時きっかりに終わって出る。外でK子、待っていた。絵里さん、ケンさんと四人で、近くの上海料理屋に入って、老酒で雑談。ケンさんはやはり“一年に一度行くか行かないかで、しかも2700円も払うんだから、もっと一人々々の噺をみっちりと聞きたい。もう寄席という形式はダメだ”と言っていた。私も残念ながら、今のこの内容では確かにそうだろう、と思わざるを得ず。ただし、ただダメ、と切り捨てるのではなく、再生の道を模索したいが。真打披露口上の席で文治が、“講談は戦時中は大層な人気だったが、戦後、ネタを浪曲の広沢虎造が神田伯山から買って、それで大人気になり、逆に売れネタをなくした講談は落ちぶれていった”と話したが、あれは本当のことなのか、講談はいつ滅びたのか、というような話をごくさらっと。一竜斎貞鳳がやめちゃった時だろうと私は思っている。若い頃の談志がそれこそ芸を盗もうと密着していたというエピソードもあるこの人、古典を現代感覚で語れる希有の知性と才能を持っていた。しかも顔がよく、『お笑い三人組』で知名度もあった。なまじ頭がよすぎたため、政治の世界に走って失敗してしまったんである。

 料理は極めて家庭的、というか、うまい素人料理、の域。とはいえ、酒飲みながらバカばなしのときにはこれでもいいのかも。ギョウザ、揚げパン、鯛の蒸し煮、伊勢エビマヨネーズ和え、ゴーヤの炒め物など。紹興酒一本半。残った半分は持って帰っ た。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa