裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

水曜日

ミスチルとおしんこ

 日本の伝統的な食事に似た、素朴な歌を歌っていきたい。朝7時半起床。夢の中でやたら激高していた。くわしい内容は忘れたが、ゲーム雑誌の座談会で、91歳になる老落語家(今回、ゲームのキャラに抜擢された)と対談をする。昔は人気を誇った人だったが、さすが年齢から近頃はボケが入っている。そのボケも私にとってはほほえましかったのだが、その落語家のことを若いゲームライターが雑誌でクソミソに書いていたことを知らされ、自分で怒りを統御できなくなるくらい怒りまくるというもの。その雑誌の、当該文章のところを拳でどんどこ殴りつけ、そのライターの家に電話をかけさせ、留守だと知ると留守録に“カラサワだ、テメエなんぞに××(その落語家の名前)が凄かった頃のことなんかわかるもんか、上等だ、今度挨拶に行くから覚悟しておけ!”と吹き込む。担当編集者が困りきった顔をしていた。実生活においても夢の中でも、ここまで怒り狂ったことは滅多にない。なんでまた。

 朝食、パンを切らしているのでホットケーキをK子に作り、私はオートミール。ポンカン半個。メール、福原鉄平くんから、こないだの日記の“ナタリー・ポートマン大顔論”に、精細な研究報告。彼女はほっぺたから顎にかけての線が非常に美しい反面、顎から後頭部にかけてのつくりがデカく、そこらへんを髪でカバーして斜め上あたりの角度から撮ったものが彼女にとっての“女神の角度”で、そこらを心得ている『マーズアタック!』では、見事に大統領の娘という気品が出ていたが、今回は女性を美しく撮ることに能のないルーカスが“ナブーの女性は全部オールバックでオデコ丸出し”などという設定にしてしまったので、あわれナタリーはアンパンマンか前田愛か、という大顔面女になってしまったのだとか。“映画は設定よりウソが大事、主演女優を美しく撮れないで何が監督か”との怒りは非常にモットモであると思う。写真もわざわざ比較対象用2点を送ってくれたが、確かに髪を上げると下ろすで別人のよう。横顔と正面で印象がガラリと変わる例としては『異邦人』の久保田早紀がいたなあ、と思う。ところで留守中、私はモバイルを持ち歩かないので、K子のアドレスにメールを転送してもらうよう、設定。

 午前中は同人誌用台割をずっとやる。ああでないこうでないと図版を左見右見し、何度もコピーに立ち、計算機をカチャカチャとやる。大変だがなかなか楽しい。食うための仕事でなく、趣味だからであろう。食うためなら逆に、こんな面倒くさい作業は御免である。海拓舎H氏から電話、今日出発前に打ち合わせ&お願い事があるというので、12時半に自宅へ来てもらうことにする。これは食うための仕事、これはこれでまた楽しい。完成した台割、平塚くんのところに送ろうとするが話し中でなかなか送れず。昼は昨日の寿司屋でもらった稲荷寿司、立ち食いで四ケ食ってすます。

 Hさん送れて1時過ぎに来宅、原稿の話。後半送った原稿が面白いので、この線で全部やってもらうことになるかも、とのこと。うーむ、では刊行時期も大幅にズレることになるか。他の本との作業がガチンコになるなあ。頼まれごと、これは詳しい人間が知り合いにいるので簡単。Hさん辞去のあと、平塚くんへFAX、今度はなんとか送れた。電話、ささきはてるさんから。企画の件。今度メシ食いながら話しましょう、と言っておく。さて、これは趣味と食うための仕事の双方の性格があるな。

 1時50分に出る予定でいたが、案外サクサクと全てのことが片付いたので、K子が早めに出かけようと主張、ではとタクシーで東京駅へ。裏モノ、ナンビョーさんのところのメンバーとのオフ会含めた、2泊の大阪旅行である。ついて見たら、例のK子の早く行き癖で、1時間も間がある。大丸デパート内の和風喫茶で、かき氷食べて時間つぶす。そしたら時間が今度はなくなり、あわてて2時50分のぞみ博多行きに乗り込む。今回は仕事も同人誌系の翻訳の仕事をひとつ持っていくだけで、とにかく体と頭を休める旅行にしようと、徹底して決意。とは言っても残した仕事のことなどが気になるので、缶ビール飲んでノンキな旅行の気分に無理矢理シフト。すぐ眠くなり、多少イビキかいてK子に叱られる。途中で、朝会ったHさんから携帯に電話。今朝の頼まれ語とは事情で一時オフにしておいてくれとのこと。

 梅雨の合間か、東京からの車窓風景はどこも日差しがキラキラときれい。岐阜あたりで、田圃の真ん中に立つラブホテルで、『ホテルエーゲ』というのがあった。『エーゲ海に捧ぐ』あたりの流行ったころのホテルか、とも思ったが真新しい。しかも、エーゲは看板ではエ〜ゲ、みたいな書体で、何かまたイヤらしい。K子と“田んぼの真ん中のホテルにエーゲ、ってよくつけられるなあ”“つけろと言われてもちょっと思いつかないわよね”“『ホテル田んぼ』、とかつけちゃうよね”と。

 5時半、新大阪着。降りてキオスクの新聞見出しを見たら、山本直純死去の報。タクシー乗って心斎橋の日航大阪ホテルへ。そこに泊まるのではなく、そこのロビーで裏モノの金成さん、詰めにくいさんと待ち合わせなのである。心斎橋筋がやたら混んでいるのでおかしいなと思ったら、例のあさひ銀行ATM爆破事件の現場前を通る車が、みんなそこを見ようと徐行するので、混むのだと教えられる。なるほど、そこを過ぎるとみな一気にスピードを出すのでスイスイと行く。物見高いは大阪も江戸と同じか。日航ホテル大阪で久しぶりに金成、詰めにくいのお二人に再会。投宿はなんばの南海サウスタワーホテルなのだが、時間が迫っているのでそこにチェックインする時間もないとのことで、では、と歩いてしゃぶしゃぶ屋『田門』へ。ひさしぶりなので道を忘れて、看板を探して、アア、あそこだあそこだ、と歩きだそうとしたら、地面に置いてあったあ旗竿の台のコンクリートに足をひっかけ、ずざっ、と前倒しに転んでしまった。見ると、ズボンの膝のところがスリ剥けて大穴が開いている。あちゃあ、と思うが、とにかく、このままじゃ歩けないから、どこかでツルシのズボンを買おう、と探す。さすが戎橋通りで、ちょっと若向けの店だったが、すぐ見つかり、店の奥(と、いっても通路の陰だが)で履き替えさせてもらい、ことなきを得る。膝小僧も赤くなってはいるが血は出ていない模様。仙台時代、ジーパンを新調して、その店からの帰り道に、同じように転んで一本、買って数分で台無しにしたのを思い出した。あのときは貧乏の極みだっただけに、泣くに泣けなかった。

 ここ、例のフィギュア写真集を出すために、東京のスタッフ一行六名と大阪の海洋堂へ打ち合わせに行ったとき、終えて戻ってきて、どこかメシ食えるところないか、と探したが心斎橋というのは案外夜が早いところで、どこものきなみ閉まっていた。で、たまたまこの店の看板見つけ、談判してみたら、“うちももう閉めるところやけど、六名さんやったらお入れしますわ”と言われて入り、そのうまさに愕然とした店である。こういう偶然で発見したおいしい店というのは、本当にうれしい。それから一年に一回くらいは誰かかれかと行っていたが、この数年は、行く店も増えて、ちとご無沙汰していた。あのいかにも大阪、という感じのおかあさん、変わらず元気で、歓迎してくれる。“お電話で声聞いて、すぐわかりましたわ”とのこと。

 集まるメンバーは8名。金成さんと詰めさんの他、ナンビョーさん一党からぺぇさん、damさん、もりもとたつやさん、えふてぃーえるさん。ビールで乾杯して、さてお肉お肉。相変わらず、口の中に入れるとそのまま溶けてなくなるような柔らかさだ。K子は詰めさんにと学会のマグカップを売っていた(このためにわざわざ東京から重い荷物を持ってきたのか)。いろいろと雑談。金成さん、詰めさんとは裏モノ会議室新装のことなど。リカバリ一党とは山本弘会長のところはじめ、いろんな掲示板の運営のことなど。damさん、詰めさんと今日は大学で教えている人が二人もいるので、自然その話に。二人とも、いかに大学務めというものが儲からんか、という話をする。

 このお店の推薦という、吟醸の何とかいうお酒(名前忘れた)が、高いが濃くて非常においしい。その後、広島の酔心というのを飲んだのだが、まるで水みたい。K子が“所詮は広島の酒”と吐き出すように言う。お母さんがやってきて、“うちからのサービス”ともう一本、出してくれた。そんなお得意さんだったか、われわれ? ととまどうが、お母さん、もう昔なじみのような口調。要は覚えやすいんだろう、われわれ夫婦は。初めて来たときの“六名さまやったら……”の話をしたら、“まあ、そんなことでしたか。うちもえげつない商売しますなあ”と笑う。しゃぶしゃぶの後は麦トロ食べて、みんなでさくらちゃんの写真撮影して、ワイワイ言いながらホテルまで送ってもらう。10時過ぎ、歯を磨いてふうという感じで寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa