裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

土曜日

恐山のイタ公

ジローラモ、青森県を訪ねる。朝8時起床。天気はいいし暖かいが気圧変調の予感。

9時朝食、ナメコの味噌汁(卵入り)をスープ代わり。あと果物。母、今日の陽司さんの会に行くという。肩がバリバリに張って、朝から眠くて仕方ない。新聞に大きく清水ひとみさんが載ってるな、とぼんやり思い、ウン? と思ってよく見たら荒川静香だった。こないだのゴールデン劇場の佐藤祐一さんとのコントで「そして私は荒川静香」というセリフがあったが、ホントに似ているのだな。あと、ひえだオンまゆら先生にも似ている。で、清水さんとひえださんはさほど似ていないのが面白い。

秋玲二氏、死去。95歳。学習漫画の草分けの一人。失礼だが、まだ生きていらしたということを知っただけでも感動だった。集英社の『なぜなぜ理科学習漫画』シリーズは小学生時代の私の愛読書のひとつだったが、宮内栄一、西沢まもる、北本善一といった執筆陣がならび、若月てつの『ひらけゆく宇宙』、中沢しげおの『虫の国をたずねて』などは今なおファンの多い傑作である。

その二作に比べるとおとなしいが、秋玲二の担当した、『光・音・熱の魔術師』の完成度は飛び抜けており、この当時すでにベテランは違うな、という感想を小学生だった私も抱いたものである。それは、漫画自体が学習要項をそのまま絵に起こしただけ、というのでなく、きちんとそれを漫画としての起承転結の中に取り入れ、必ずオチをつけている、というまとめかたの妙から受ける感想だった。勉強のための副読本としての機能と、マンガそれ自体の面白さを、両立させていたのである。

これは、昭和40年代当時、非常に高度で難しいことであった。当時の教育界において、子供たちに迎合して面白さを強調することはタブー、とまではいかずとも品のないもの、ととられていたからである。面白く、かつ頭の固い教育者にも納得させる画品の高さ。それを成り立たせたのは、秋氏のマンガ家としての抜群の画力と構成力にあった。バランス感覚とも言えるかもしれない。

秋氏の学習マンガの特長のひとつに、それがガラスであれ金網であれ塩の結晶であれ、なんでも、その物体に体をくっつけてしまい、キャラクター化してしまうという強引(?)な手法がある。かなり印象的だったものだが、これは明治時代に武内桂舟などの児童画家たちが子供向けの童話の挿絵などに多用した手法で、それはまたさかのぼれば江戸時代の絵本作家たちが開発した、“事象のキャラ化”の伝統を継ぐものだった(これを意識的に大人の読み物の世界に取り入れたのが江戸黄表紙である)。その系譜にある最後の作家が秋氏である、といえるかもしれない。そして、それは学習マンガというもの正当な流れであった。

マンガ表現というものが、マンガそれ自体の内包する欲求によって進化してきたというのは事実だろう。しかし、その一方で、マンガはその誕生と時を同じくして、子供たち相手にものを噛み砕いて伝えるためのツールとして利用され、また進歩してきた。これもまた、マンガの忘れてならない発達史なのだ。秋玲二氏は、その第一期の完成者と言っていい。ある意味、マンガがこれだけ日本人の中に浸透したのは、秋氏のような学習マンガ畑の人の、記録に残らぬ努力が基底にあるのではないか。御冥福をお祈りする。

日記つけ、電話数本。1時半、家を出て参宮橋。道楽でノリミソラーメン。そこからタクシーで渋谷の仕事場に向かうが、途中でオチる。体力が徹底して落ちている。もっとも舞台4日間演じたあと、1日も完全休養ナシ。いろいろ精力的に動いているようで、もうトシなのだから体いたわらないとな。

事務所に行き、メールチェック、返事などいろいろ。なんとかマッサージ受ける時間をヒネリ出せないかと算段するがどうにも無理。2時半、時間割。村崎百郎氏と『社会派くん』対談。対談しながらも眠くてねむくて、オチそうになる。後半、なんとかまとめになるキーポイントひねり出して対談を(この鬼畜対談らしく)強引にまとめる。

終わって銀座線で上野広小路。神田陽司独演会於上野広小路亭。開場30分前についたがすでに列が出来ている。ホリエモンの効験あらたか、である。喉やたら乾き、近くのドトールで電話連絡。大木屋に席の予約つけ加え。改めて広小路亭に戻る。結局のところ入場料は株価62円なので120円(2円はフィギュア金メダル記念でおまけ)、それにライブドア株券のあたる抽選券を950円(だったか)で買って入る。

席をとっておいてくれたので椅子席に。母が先に来ていた。しばらく待つうちにアスペクトのK田くんも来る。陽司さんとは以前、仕事を一緒にしたことがあるとか。客数、ほぼ110人くらい。なかなかの入りで目出度いが、ちと暑く、また酸素不足。

まず神田紅葉の『新門辰五郎の誕生』、それから陽司の『小菅のホリエモン』、途中で『天野屋利兵衛』がはさみこまれる。講談という芸は落語と違い、人物、またエピソードをある価値観で客観的にとらえて描写する、という特長がある。最初から価値観が固定しているわけである。それ故に講談ははっきり言えば内容ではなく、語りの力のみで客を引っ張っていく芸である。そこを陽司は“内容”でも引っ張っていこうとしている。陽司さんのファンたちが期待しているのも、“内容で聞かせる講談”の確立だと思う。そこに彼の魅力もあり、苦悩もあると思う。内容で聞かせるなら、落語というそこに特化した類似の話芸があるのであるから。

そこから日経の株雑誌のデスクさんと対談。
「われわれ素人が株ってやって儲かるんですか?」
という質問に
「まあ、芸人さんを贔屓するように、自分の好きな会社が大きくなってほしい、その応援をしたいという気持で株を買う、というのが一番いいんじゃないですか。儲けようとしたら駄目です」
と。専門家がここまで言うのだからな。

中入りの後、吉幸(ブラ房)の『家見舞』。談幸門下に移って、落語は以前よりより本格的になったがマクラの部分の黒っぽさはやはりブラック譲り。と、いうよりしぐさ、口調、顔までも、最近談之助に似てきたような……。

で、後半はいよいよ長講一席『坂本龍馬・亀山社中』。力作であるし、聞いたあとのファンが“陽司さんの入門編として最適”と言っていた。それに異論はない。が、しかしこれだけマスコミでホリエモンが講談に、と騒がれて客が入ったのだから、いかに当初のホリエモン擁護が粉飾で難しくなったにしろ、坂本龍馬との対比というテーマを明確に出した方がわかりやすくなかったか。陽司さんは実力からしてもっとメジャーになれる人だと思うのだが、それにはまず、大衆向けに、“わかりやすさ”を武器にしないといけないと思う。全てにわかりやすくする必要がないのは当然として。受けている芸人さんを見ると、とりあえず全てに共通しているのが“わかりやすさ”なのだ。わかりやすく、しかし質を落とさず。陽司さんなら出来ると思う。

客席の小山高生先生に挨拶され、名刺交換。名刺に『アジア最大の脚本家』と書いてあって笑う。ウソ偽りはない。身長194センチの長身なのである。終演後、母はそこで帰り、K田くんと打ち上げに参加。そこで思い掛けない人と出会った。

『猫三味線』の企画やプレゼンにさんざ利用させてもらった『紙芝居読本』を製作した研究会・みちのく芸能大学のすずき佳子さん。いま、新作紙芝居を製作しているとのことで、その作者のクマガイコウキさんもいた。なんと当時の現役紙芝居絵師の佐渡正士良さん(95歳)が絵を描いた、SFホラー紙芝居だそうである。企画書を見せてもらったが、タイトルが『空想科学絵巻・蛇蝎姫と慚愧丸』。ストーリィもぶっ飛んでいるが、いや、佐渡先生のセンスが凄い。驚嘆、狂喜して、プロデュースの手伝いを申し出る。その他、大須演芸場に大東良先生を見に通い詰めているファンの人(トンデモ本大賞もすでに予約したとのこと)とか、濃い人たちいろいろ。

話は楽しかったが、途中から急に体調不良となり、全身倦怠感。あ、こりゃ風邪が腹に入ったな、と自覚して、中座してタクシーで帰宅。風邪薬のみ、半身浴して体を暖め(『伊福部昭の芸術』7をBGMに1時間)、寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa