裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

土曜日

(無題)

朝6時半起床。入浴&ミクシィ、8時朝食と判で捺したよう。9時までにFRIDAY四コマネタ、差し替え分二本を考えてメール。これに案外時間を取られてしまう。本日の予定としては、このまま新中野の自宅から代官山のEDO ET D’EAU(エドエドと読む)に直行して髪をセットしてもらい、そこからフジテレビ『広告大賞』雑学コーナー撮影に、というスケジュールだったのだが、自宅を出るときに確認したら、収録スタジオの地図がカバンの中にない。昨日、仕事場を出るときに確かに持って出たはずなのに。仕方なく、とにもかくにも代官山に向かい、菅原先生に髪、やってもらい、時間的にはギリギリを過ぎているが、宇田川町の仕事場にタクシー飛ばし、地図を探す。

無かったらどうしようと思ったが、流しのところにあった。昨日、持って出ようと仕事机の上から持っていって、コートなど着替えのときに流しの脇に置いて、そのまま置きっパで出てしまったらしい。自分の神経の散漫さに呆れる。

しかも、収録スタジオを、六本木のところとカン違いしていたのを、今日収録というその日、もうすでに現場に着いていなくてはならない時間になって、やっと気づく。砧のTMCスタジオ(以前何かの番組で一度行った)だった。なんで六本木だなぞと思いこんでいたのか。あわててタクシー飛び乗り、スタジオに電話かけて担当者を呼び出して貰い、遅れる旨を伝える。

幸い、タクシーも飛ばしてくれ、20分遅れくらいで到着した。やはりスケジュールマネージメント係は絶対必要なり。すぐ打ち合わせ、基本的にこちらの送ったネタは大筋生かして台本に反映されており、気分よし。CMのビデオ見ながら楽屋でざっとディレクター、プロデューサーと流れ確認。アドリブいくらでもフッていただいて結構ですんで、と言っておく。

弁当を使う。生姜焼き弁当。弁当勝負(なんだそれは)では日テレさんの勝ち。12時半、予定通り収録開始でスタジオへ。メイク中の爆笑問題の二人と挨拶。相変わらず太田はムスッとして取っつきにくい。プロデューサーのOさん、
「私は以前から『世界一受けたい授業』みたいな番組を作りたかったんですよ。先越されたなあ」と。

セット、古道具屋と古書店を駆け回っていろんなもの集めたという小道具がいっぱい。急場作りではあるが、さすが金がかかった番組、という感じ。台本はネタを書きならべたというだけのざっとしたものなので、間をつないでかなり自由に、というか勝手に台詞を入れる(ネタ紹介を独断でクイズ形式にしてしまったりした)。太田・田中の二人も、事前の練習のときは台本にあるギャグをいかにも気力ないという感じでブツブツイイながら合わせているだけだったが、こっちがアドリブでフると、さすがに見事に返し、その上を行ってくる。

お互いノッてかけあい、二人のやりとりにも出来るだけ噛むようにする。ムスッとしていた太田の方が次第にノッてきて、最後は二人も大ノリになり、
太田「面白いですねえ。これ、毎週やりましょう!」
田中「トリビアのコーナー拡大しよう!」
唐沢「そうすれば私もあの番組、裏方でなく顔を出せるし」
田中「そうですよ!」
唐沢「だいたい、私日テレとかTBSではトリビアって言ってるけど、フジでこの言葉口にするの初めてなんだから」
太田「アハハハ」
という盛り上がりになった。

ただ並べてあっただけのネタを、ブッツケでひとつづつ、有機的に意味づけて構成したのは、こっちのやりやすさ優先だったのだが、ディレクターさんに
「つなぎのトークもやっていただきまして……」
と感謝される。まあ、その場では盛り上がったけど、テレビ的には時間ワクの中でほとんど切られて残らないんだよねえ。

帰りのお車、タクシー券出るかと思ったら出ない。これはあとで請求していいもんなんだよね?田中に聞いたトリビア。
「おすぎとピーコは子供のころ、お互いに“たっちゃんかっちゃん”と『タッチ』そのままに呼び合っていた(本名が孝昭。克昭)。私それ聞いて「うーん、みなみちゃんがみなみ君だったところが違うんですね」

渋谷まで。月曜の対談収録用の打ち合わせをおぐり&しなっち&編集部といろいろ連絡取り合い。明日の横浜にぎわい座の件で、担当者のN氏と電話連絡。その他も連絡いろいろ。

実は一件、大変に気がかりなことがあったのだが、それが一気に解決することあり、ストーンと気が楽になる。私という人間は基本的に一生を通じて“ツイてる”のではないか、と思えてくる。

いや、実際、一生の間に、普通の人ならかなり致命傷的になるトラブルも経験しているのだが、それを無傷に近い状態でこれまで切り抜けられてきている。ティーラ・ブラウン遺伝子(SF『リングワールド』出てくる“幸運の遺伝子”)を持っているかのように、最初から幸運に恵まれるのでなく、トラブルだのウヨ曲折な事情だのはさんざ降りかかってくるのだが、最終的には何かいい具合な位置に落ち着いてしまっているのが私の、少なくともこれまでの半生での結果であった。

もっともこの遺伝子の持ち主の欠点としては、その、土壇場での運の強さに頼ってしまって、ものごとにきちんと準備をしないままに臨むことである。その姿勢さえきちんとしてれば、別に幸運の遺伝子なんぞは必要なかったりするのだが。

9時、帰宅。今日は家メシ。甘海老刺身、その頭の殻を揚げたものを使ったサラダ、牛の塩焼きなどをサカナにビール、ホッピー。その後、小型の釜で炊いた飯でワサビ釜飯を。酒を加えて炊いたメシにすりおろした(ツーンが苦手な人は細かく刻んだ)ワサビを混ぜ込み、醤油数滴垂らし、もみ海苔をたっぷりかけていただく。さっぱりしていて風味豊か、実に結構。その後自室で水割り缶飲みつつ、ノルマンディ上陸関係ビデオなど見て、12時過ぎ就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa